啓示8・9章-七人のみ使いが第一から第六のラッパを吹く(35)額に神の証印のない人々に関する預言

正しいか間違っているかは別として、私は最善を尽くしましたが、これらは私の意見を表明しているだけです。

  第五のラッパの後に出て来るいなごは、「額に神の証印のない人々」だけを損ないます。(啓示9:4)

  そして、そのいなごには、彼らを殺すことではなく、五カ月のあいだ責め苦に遭わせることが許されます。額に神の証印のない人々は、責め苦に遭わせられる時、死を求めますが決してそれを見い出せません。また、死にたいと思っても、死は彼らから逃げて行きます。(啓示9:4-6) 

額に神の証印のない人々は殺されないが五か月の間責め苦に遭う

 

 「額に神の証印のない人々」はどうしてこのようなことを経験するのでしょうか。聖書の他の書の預言は、この啓示9章の預言とどのように調和しているでしょうか。今回は、このことを検討して、わたしたちが事態が進展したら、どのように行動するべきかを考えましょう。 

(1)ダニエル書にあるキリスト教の諸国家が神の律法に違反する行動をとるという預言 

 ダニエル書は、北の王が二度目に南の王を攻撃する時に主に、ヨーロッパ、ロシアの地中海沿岸諸国のキリスト教の人々が剣をとって戦うことを示唆しています。その時に、北の王は一度目の攻撃のようにうまくいかないことが預言されています。(ダニエル11:29)なぜなら、その時、北の王を「キッテムの船」が「失意」させるからです。 

ダニエル書は「キッテムの船」が北の王を失意させることを預言している地中海沿岸のキリスト教諸国家が神の律法に違反して戦うことになる

 

  なぜなら、キッテムとはキプロスを意味します。また、昔のヘブライ語の用法の中に、キッテムという語で、キプロス島周辺、つまり、地中海沿岸地域を表わす用法がありました。キプロス島では、ギリシャ正教徒が大半です。そして、キッテムをローマ人やイタリアと訳している聖書翻訳もあります。 

キッテムとは地中海沿岸のマケドニア側のキリスト教諸国周辺を意味する

 

 さらに、民数記の預言からも、キッテムの船とは、地中海沿岸諸国のマケドニア側であると言えます。(民数記24:24)ですから、「キッテムの船」とは、とりわけ、マケドニア沿岸のローマ、ギリシャなどを含んだ地中海沿岸諸国の船を表わすと考えられます。 (ダニエル11:30) 

User:Dave souza 

キッテムの船にはギリシャ正教会のギリシャの海軍も含まれているでしょう

 

 それで、「キッテムの船」に乗っているのは、ギリシャ正教徒やローマカトリック教徒を中心とした地中海沿岸のヨーロッパ諸国のクリスチャンであると解釈することができます。(ダニエル11:30) 

 それで、北の王は、おそらく、ローマカトリック教の国やギリシャ正教会の国の海軍によって敗北します。それで、預言によると、ローマカトリック教会やギリシャ正教会の聖職者たちや教会員は、神の律法に違反して剣をとって戦うことになるようです。 

(2)啓示11章の二人の証人が口から火を出してその敵たちをむさぼるという預言 

 啓示11章によると、「火が彼らの口から出て,その敵たちをむさぼり食う」と描写されている「二人の証人」が登場します。(啓示11:5)この二人の証人は、後ほど、「大いなる都市」に連れて行かれます。(啓示11:8) 

  彼らは、昔のモーセやエリヤに幾らか似た業を行ないます。(啓示11:6)モーセはエジプトのファラオに神の警告を知らせて、エリヤはバアル崇拝者たちと戦いました。それ自体は決して間違っていません。 

 おそらく二人の証人は、モーセやエリヤのように,「霊的な意味でソドムまたエジプトと呼ばれる大いなる都市」、すなわち、大いなるバビロンを強く非難することになるのでしょう。(啓示11:8;16:9)彼らの言う事は当たっている部分もあるでしょう。それで、二人の証人は大いなるバビロンの怒りを買います。 

二人の証人はモーセやエリヤのような預言の業を行ないおそらく大いなるバビロンを非難する

 

   しかしながら、二人の証人は、神の律法に違反して戦うことが描写されているようです。聖書の中には昔の神に忠実な預言者が文字通りに口から火を出したという記述はありません。しかしながら、エホバが預言者エレミヤの「口にある」ご自分の「言葉を火とする」という表現はあります。エレミヤの口にある「火は必ず彼らをむさぼり食う」とあります。(エレミヤ5:4)エレミヤの口から火が出るのではなく、エレミヤの口にあるエホバの言葉が火になります。 

 このことは、エホバがエレミヤの言葉を焼き尽くす火のように実効力のあるものとされたことを意味しています。(エレミヤ5:15-18)エレミヤが預言していた通り、バビロンがイスラエルを軍事攻撃し、資産を略奪したり破壊したり、人々を殺したりしてイスラエルは荒廃することになりました。 

 それで、エレミヤの口の言葉が火となり、火がむさぼるとは、比ゆ的な表現でした。そして、エレミヤはエホバに依り頼んで文字通り剣をとって戦うことはしませんでした。 

 一方、「火が彼らの口から出る」という表現は、啓示の書に出て来る二億の騎兵隊に関する表現と同じです。「騎兵隊」の「口からは火と煙と硫黄が出て」、「その口から出た火と煙と硫黄」という「三つの災厄によって人々の三分の一が殺された」とあります。(啓示9:17,18) この二億の騎兵隊とは文字通りの軍隊と考えられるので、この騎兵隊の口から出た火により、人々の三分の一が殺されるのも文字通りでしょう。 

二人の証人の口から火が出るという描写は二人の証人が神の律法に違反して人殺しを行なうことを示している

 

 二人の証人に関しては騎兵隊のように口から出た「火」により、人々を殺すと考えられます。それで、彼らは神に依り頼むのではなく、「彼らを損なおうと思うような者」と文字通りに戦い、人の命を奪うことが示唆されています。(啓示9:17,18)二人の証人は神に全く頼るのではなく、自らを守るために敵を殺すようです。 

 皮肉な事に南の王のために南の王に味方して北の王の軍隊と戦うことになるのでしょう。(ダニエル11:30)これは、神の目からは、霊的な「売春」の行為です。(エゼキエル16:20,21,26,27,37)おそらく、二度目の北と南の間の戦いで、北の王を失意させる「キッテムの船」に乗っているのは、この「二人の証人」だと考えられます。 

 ところが、エホバは二人の証人がそのために戦った南の王が二人の証人と敵対するようにされます。そのような「二人の証人」の「違反」のために、底知れぬ深みから上る野獣は、南の王と共謀して、「二人の証人」を大いなるバビロンにつれていきます。(ダニエル8:12。啓示11:7,8) 

二人の証人は額に神の証印のない人々のように責め苦を経験する

 

 この二人の証人は、おそらくローマカトリック教会とギリシャ正教会の僧職者たちです。いなごは「額に神の証印のない人々」の命をとることは許されていません。(啓示9:6)軍事攻撃をしかけて、捕らわれにするとしても、致命傷は与えないようにいなごの軍勢に規制がかかるのでしょう。ただ、物質の略奪や破壊は行われるでしょう。 

  それで、二人の証人に起きる事と額に神の証印のない人々が経験することは同じ事を描写しているのではないかと思います。それで、「二人の証人」に起きることは、「額に神の証印のない人々」が「五か月のあいだ間責め苦」に遭うという事を表わしているのではないでしょうか。(啓示9:5) 

二人の証人に起こることと・・・

額に神の証印のない人々に起こることは同じことを説明しているでしょう 

 彼らは大いなる都市、大いなるバビロンに捕らわれになる期間は五カ月ですむのかもしれません。それで、私たちは単に神を崇拝すると唱えるだけでなく、神の律法と基準を守るように努めなければならないという教訓が得られます。 

(3)第六のラッパの後に大川ユーフラテスにつながれている四人のみ使いが存在する 

 さらに、いなごの軍勢が「額に神の証印のない人々」を責め苦に遭わせることが預言された後、第六のラッパが吹かれます。その時、「大川ユーフラテスのところにつながれている四人のみ使い」がいることが分かります。(啓示9:13,14) 

 後ほど、詳述しますが、大川ユーフラテスのところにつながれている四人のみ使い」という表現は、大いなるバビロンに捕らわれている神の僕たちがいることを示唆しています。また、他の幾つかの預言の言葉も、神の民がその罪のゆえに「捕らわれ」になり、その後解放されることを預言しています。(ゼカリヤ9:12) 

(4)額に神の証印のない人々が殺されない理由 

 基本的に、それらの僧職者たちは、世界的に大きなキリスト教の組織の中心的な立場にある聖職者たちです。彼らは、自らの教会の信者たちから、伝統的に非常に深い敬意を払われていると思います。 

 それで、その遺体は大いなる都市に置かれます。「大いなる都市」とは「大いなるバビロン」、すなわち、南の王の領土である米国を意味しています。(啓示16:19)人々は三日半の間、二人の証人の遺体を見ますが、「墓に横たえること」を許しません。(啓示11:9) 

 このことは、二人の証人が殺されていないことを示唆しています。それで、地に住む人々は、彼らが主張することに悩まされながらも、彼らに対して敬意を払い、彼らの命を奪うことは控えることになるのではないかと思います。(啓示11:9)これは、またエホバ神の彼らに対する憐みでもあるでしょう。 

 さらに、二人の証人が、後に「自分の足で立ち」あがると言うのは、彼らが実際に殺されていないことをさらに示しています。(啓示11:11)そして、二人の証人は、「天に上っていく」とありますから、彼らは、おそらく、将来起こることを説明されることになるのでしょう。(啓示11:12)ヨハネが天に上ることは、「必ず起きること」を示されることを意味していたからです。(啓示4:1) 

二人の証人が天に上っていくとは預言の説明を受けて理解することを意味している

 

   使徒ヨハネはパトモス島で啓示を与えられて後、故郷に戻ることができたので、おそらく二人の証人も捕らわれから解放される見込みがあるでしょう。                    

(5)クリスチャンが大患難を逃れるために急いで行動を起こす必要 

 この聖書の預言を検討するならば、「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」が聖なる場所に立つのを見たならば、大患難が近いので、クリスチャンは「山に逃げるように」というイエスの助言に聞き従うのが賢明であることを示しています。(マタイ24:15,16) 

 なぜなら、後ほど詳細に解釈しますが、いずれ、いなごの軍勢の攻撃は、二億の「騎兵隊」の攻撃、すなわち大患難につながるからです。(啓示9:16-18)それで、北の王に率いられるいなごの軍勢が、主だったキリスト教の指導者たちを攻撃してから、解放されるまで、たったの「五か月」しかないのかもしれません。(啓示9:5) 

 そして、その直後に、大患難が勃発することになるようです。すると、全地のクリスチャンは非常に急いで、山に逃れる必要があるということになります。 

キリスト教の本拠地が攻撃されるのを見たらすぐに山に逃げ始めるのが賢明

 

 そうすると、クリスチャンたちは、第四のみ使いがラッパを吹いて、太陽と月と星の三分の一が強打がされ暗くなるのを見たら、行動を起こすのがいいと思います。(啓示8:12)すなわち、北の王がキリスト教の拠点を攻撃するのを見たり、「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」を設立するのを見たら、急いで行動を起こした方がいいと思います。(マタイ24:15) 

(6)一つの災いが過ぎなお二つの災いが来る 

 啓示9章には、いなごの軍隊の描写の後、「一つの災いが過ぎた。見よ、これらのことの後なお二つの災いが来る」と述べられています。(啓示9:12) 

 「一つの災い」とは、すなわち、いなごの軍勢が、「二人の証人」、つまり、ローマカトリック教会とギリシャ正教会の聖職者たちの本拠地を軍事攻撃し、生きながら捕えて、南の王の土地に連れ去るという災いを意味するのではないかと思います。 

 そのため、ダニエルの預言で預言されているように、「聖なる所」は「荒廃」することになるでしょう。(ダニエル8:13;11:31)残された二つの災いとは何を意味するのでしょうか。その中には、おそらくイエスが予告された「大患難」が含まれるでしょう。さらに、啓示9章の解釈を続けて行けば、なお残る二つの災いとは何かが分かってくるでしょう。

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