「殺してはならない」

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します

第六戒「殺してはならない」について考えたい。これには厄介な矛盾がある。というのは、旧約聖書は死刑や戦争などの「殺し」を大幅に容認しているからだ。

ある研究者は、第六戒に使われている「殺す」という言葉の旧約聖書における用語法を詳しく調べて、それが「ある特定の殺害行為に限って用いられている」ことを明らかにした。つまり、第六戒はすべての殺人行為を禁じたのではなく、個人的な恨みによる恣意的な殺害や、共同体の生活を脅かす「反共同体的な殺人」だけを禁じているのだという。だから、共同体を守るための死刑は正当化される。「人を打って死なせた者は必ず死刑に処せられる」(出エジプト記 21,12)。「戦争」も同様だ。

第四世紀以降キリスト教化されたヨーロッパも、概ねこの行き方に倣った。「キリスト教的ヨーロッパ」を守るためには、「十字軍」のような戦争も、「魔女」を根絶するための死刑も正当化された。この考え方は、今日まで続いていると思われる。

だが今日は、我々は原点に立ち帰ってイエスに注目したい。彼は第六戒の意味を新しく掘り起こして、我々の拠るべき基準を示したからである。すなわち、

「あなたがたも聞いている通り、『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる」(マタイ 5,21-22)。

ここでイエスは、要するに殺人という行為になって外に現われるよりも前に、それを生み出す「根っこ」ともいうべき思いが人の心の中にあることを指摘しているのである。これこそが問題である! このように、「根っこ」に迫るやり方は、イエスの思想の基本的な特徴であった。「悪意、殺意、姦淫、みだらな行い、盗み、偽証、悪口などは、心から出て来る。これが人を汚す」(マタイ 15,19)。

『ハイデルベルク信仰問答』は、第六戒が求めていることについて、神は「ねたみ、憎しみ、怒り、復讐心のような殺人の根を憎んでおられる」(問106)と書いているが、これはイエスの教えに忠実な態度だ。また、それを積極的に展開して「自分の隣人を自分自身のように愛し、忍耐、平和、寛容、慈愛、親切を示し、その人への危害をできうる限り防ぎ、敵に対してさえ善を行うこと」(問107)と言っている。

さて、以上に述べたことを踏まえた上で、「殺すな」という神の命令に抵触するのは具体的にどのような行為であるかを、今日の情況の中で考えたい。

カール・バルトは、主著『教会教義学』III/4で、神の創造という観点から包括的にキリスト教倫理を扱っているが、その冒頭、第六戒に基づいて次のように書いた。

「人間の生は ―― 自分の生も他者の生も ―― 神のものである。それは神の貸与、また仁慈である。それゆえに生は畏敬されねばならず、畏敬されねばならぬがゆえに、また、あらゆる不遜な否定や抹殺から保護されねばならない」。シュバイツアーのように、いきなり「生への畏敬」を持ち出すのではなく、「神から貸し与えられた」生であるが故に畏敬されねばならず、従って保護されねばならない、と言うのである。

つまり、彼は第六戒を「原理主義的に」受け取ってはいない。人間の生は「絶対的な価値」だから何がなんでも守らなければならない、とは言わないのである。イエスが神の意思に従って自らの生を「捨て」たように、どうしても必要な場合には自分や他者の命を断念することもあり得る。それを彼は「限界状況」と呼び、どのような場合が「限界状況」に当たるのかを、自殺・堕胎・安楽死・正当防衛・死刑・戦争といった具体的な諸問題に即して徹底的に考えた。今から半世紀も前に書かれたものだが、私の見るところ、基本線は今日でも立派に通用する。これを参考にしたい。しかし、今日はすべての問題について語る時間はないから、我々にとって緊急な「戦争」の問題だけを取り上げたい。

昨年9月11日の事件があってから、「熱心なクリスチャン」といわれるブッシュ大統領は「テロ撲滅」を大義名分に掲げて、「悪の枢軸」の中でも最悪のイラクを先制攻撃すべきだと主張している。理性的な人々はこれに反対しているが、保守的ないくつかの教派は、この「正義の戦争」を是認しているようだ。「テロ」は反社会的な無差別殺人で第六戒違反だが、テロ撲滅の戦争は、自由社会を守るための「正義の戦争」である、というわけだ。だが、そんなに簡単に言い切れるものだろうか?

古来、「正義の戦争」はキリスト教倫理の大問題の一つであった。メノナイトやアーミッシュ、クエーカーなどの「絶対平和主義者」たちは、戦争はすべて悪であって「正義の戦争」などはあり得ないという立場をとるが、バルトは「絶対平和主義」には賛成しない。彼自身、ナチに対する戦争は「正義の戦争」であるとして、「キリスト者は銃を取れ」と呼びかけた。これは「限界状況」だというのである。

だが、その彼が、ヒロシマ以後、戦争の様相が一変したことを指摘して、もはや「正義の戦争」はあり得ないのではないか、と述べている。実際、ABC兵器が開発された後の戦争では、無数の市民が無差別に殺されるばかりではなく、残留放射能(広島・長崎)、劣化ウラン弾(湾岸戦争)、枯葉剤のダイオキシン(ベトナム)などが実証しているように、将来の世代にまで及ぶ深刻な影響が残り、地球そのもの・生命そのものの存在さえ脅かされている。戦争に「限界状況」はないのではないか。私は今、限りなく「絶対平和主義」に近づいていると告白しなければならない。

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