「第五の天使がラッパを吹いた。すると、一つの星が天から地上に落ちて来るのが見えた。この星に、底なしの淵に通じる穴を開く鍵が与えられ、それが底なしの淵の穴を開くと、大きなかまどから出るような煙が穴から立ち上り、太陽も空も穴からの煙のために暗くなった」(1-2)。これは、一体、どういうことなのだろうか?
この背後には古代ユダヤの世界観がある。大地は平らな板のようになっていて、その下には地下の世界があり、そこにはもろもろの悪霊が棲んでいると考えられていた。それが「底なしの淵」である。地表のどこかに穴があって、普段は閉っているのだが、一旦それが開かれると、地下に棲んでいる「おどろおどろしいもの」が姿を現す。「煙が穴から立ち上り、太陽も空も穴からの煙のために暗くなった。そして、煙の中から、いなごの群れが地上に出て来た」(3)というのもそれである。
「いなご」は、今の日本にはもう殆どいないが、戦時中はよく田んぼで捕まえて、佃煮にして食べた。しかし、中近東では簡単に佃煮にされる程容易な相手ではない。「飛蝗」の恐るべき被害が時々報告されるが、いわば人間の方が「食われる」のだ!
モーセがイスラエル民族を解放するためにいなごを呼び寄せたときの描写は凄まじい。(出エジプト記 10,15) 「地は暗くなった。いなごは地のあらゆる草、雹の害を免れた木の実をすべて食い尽くしたので、木であれ、野の草であれ、エジプト全土のどこにも緑のものは何一つ残らなかった」。
また、ヨエル書1,4にも、「かみ食らういなごの残したものを、移住するいなごが食らい、移住するいなごの残したものを若いいなごが食らい、若いいなごが残したものを食い荒らすいなごが食らった」とある。
ヨハネの見たいなごは、7~8節にあるように恐ろしく強そうな外観をしており、「その羽の音は、多くの馬に引かれて戦場に急ぐ戦車の響きのようであった」(9)。これは誇張ではないだろう。いなごは、それ程恐ろしい存在だった。「底なしの淵」から現われる「おどろおどろしいもの」の代表として描かれたのも当然である。
ただし、このいなごは青物や木は食べない(4)。その代わりに、「さそりのように、尾と針があって、人に害を加える」(10)。「さそり」は、中近東ではいなごと並ぶ危険な存在である。このさそりの機能を備えたいなごが、「底なしの淵」から立ち上る煙の中から現われて、ちょうど「耳なし法市」の耳のように「額に神の刻印を押されていない人」(4)を襲う。刺された人の苦痛は甚だしく、「死にたいと思っても死ぬことができず、切に死を望んでも、死の方が逃げて行く」(6)。
さて、この「いなご」や「さそり」を、ある具体的な人間や歴史的な事実に強いて当て嵌めるのは「こじつけ」になり易い。それは重大な間違いにもつながる。ここでは、「いなごは、底なしの淵の使いを王としていただいている」(11) というヨハネの説明で十分であろう。この王の名は、「ヘブライ語でアバドンという」(11)。新共同訳では「滅びの国」(ヨブ記26,6)と訳されている言葉だ。「ギリシャ語の名はアポリオン」。これも「滅ぼす者」を意味する。
つまり、いなごは「滅ぼす者」の手下として「底なしの淵」から立ち上る煙の中から現われる。我々を滅ぼすような力が足元に潜んでいて、時としてそれが正体を現す、我々の世界はそのような世界である、ということだ。ここに重点がある。
むろん、これらの描写は古代人の神話的な考え方に基づいており、一見、ありそうもない法螺話のように見える。だが、妙に現実味がありはしないか。
我々は、日頃の生活を「十年一日のように平穏なもの」と感じたりする。だが、ある日突然、「底なしの淵」に通じる穴が開けられたように、「おどろおどろしいもの」が姿を現す。昔の漁師は「板子一枚下は地獄」と言ったが、実は、我々の生活の足元にも「底なしの淵」がある。我々は最近、しばしばそのことを思い知らされた。
安心して食べていた牛乳や肉や野菜が、ある日突然、病原菌や農薬で大規模に汚染されていることが分かる。「絶対安全だ」と言われてきた原子力発電所に不気味な故障が何ヶ所も見つかる。現代科学技術の粋を集めて建造中の巨大な豪華客船が突然出火して何日も燃え続ける、等々。
これらの出来事の背後には、もちろん人間の際限のない貪欲や、企業の面子のためには嘘で塗り固めるという精神がある。それがある日突然破れる。そして不気味な穴が開き、そこから「煙が立ち上り、太陽も空も穴からの煙のために暗く」なる。そう感じた古代人の感覚はまことに正常で、現代人よりも遥かに鋭敏だ。
だが、「底なしの淵」から現われるもので最も危険なのは、国家の権力である。ヨハネ黙示録が書かれた頃、皇帝礼拝がローマ全域で強要され、それを潔しとしない教会はドミテイアヌス皇帝による迫害を受けていた。だからこそ、11章以下でこの帝国は「海(混沌)の中から上る一匹の獣」として描かれたのである。
戦時中の日本や、ナチス・ドイツ、あるいはスターリン支配下の旧ソ連のように、特定のイデオロギーが絶対化された所では、必ず「底なしの淵」の口が開く。このようなものが人々に苦しみをもたらす。実例は無数にあり、「拉致事件」もその一例だ。
だが、ヨハネが「五か月の間」と書いている点に注意したい。これは、「限られた時間」という意味である。苦しみはしばらく続くだろう。だが、永久にということはない。いつか止む。そしてそれをもたらす悪しき力も、いつか必ず去って行くだろう。我々には、詩人が歌ったように、「深い淵の底から」主に向かって呼び続ける忍耐が必要なのである。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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