ヨハネの幻は続く。「一匹の獣が海の中から上って来るのを見た。これには十本の角と七つの頭があった。それらの角には十の王冠があり、頭には神を冒涜するさまざまの名が記されていた」(1)。この描写には、ダニエル書の影響があると言われる。
そこで、ダニエル書を少し読んでみよう。7章3節以下に「海から四頭の大きな獣が現われた」(3)とあり、特に四番目の獣に十本の角があるところなど、今日の箇所とよく似ている。とにかく、ダニエルは「四頭の大きな獣」の幻が何を意味するのか分からず、悩んでいた。すると、「そこに立っている人の一人が」(16)――おそらく天使であろうが――謎解きをしてくれる。「これら四頭の大きな獣は…四人の王である」(17)というのである。これは、それまで中東世界を支配してきた四大帝国、すなわち、バビロニア・メデイア・ペルシア・ギリシアの王たちのことである。四番目にギリシアが挙げられているが、これは、アレキサンダー大王の大帝国と、彼が死んだ後で部下の将軍たちが創始した諸王朝、とりわけ、紀元前2世紀、ダニエル書が書かれた時代にユダヤを支配していたシリアのセレウコス王朝を指すと言われている。このように、聖書はその時代の歴史と密接な関わりを持って書かれたのであり、決して「無時間的な真理」ではない。
セレウコス王朝のアンテイオコス四世は、ユダヤに対して極めて苛酷な支配を行い、エルサレム神殿を荒らし、民を仮借なく迫害した「悪王」として名高い。ダニエル書が「第四の獣は地上に起こる第四の国、これはすべての国と異なり、全地を食らい尽くし、踏みにじり、打ち砕く。十の角はこの国に立つ十人の王、そのあとにもう一人の王が立つ。彼は十人の王と異なり、三人の王を倒す」(7,23-24)と書いているのは、この暴虐な王・悪しき国家のことなのである。
しかし、離散のユダヤ人(デイアスポラ)はこの圧政の下で苦しみながらも、このような悪しき国家は神の御心に背いているのだから、決して長続きはしないということを信じていた。そして、この確信を暗号めいた文体で告白し、仲間に伝えて励ました。それがダニエル書なのである。
この点はヨハネ黙示録も同じだ。黙示録13章の「獣」は明らかにローマ帝国である。紀元1世紀末のローマ帝国は、地上で唯一のスーパーパワーであった。絶対的な力を持つこの帝国は、理不尽な言いがかりをつけてキリスト教徒を迫害した。
シェーンキヴィッチの『クオ・ヴァディス』によると、皇帝ネロは良い詩を作るための刺激を求めてローマの都に火を放ち、国民の怨嗟の声がつのると放火の責任をキリスト教徒に転嫁して厳しく迫害したという。これは小説だから、むろん厳密な意味で史実とは言えないが、当時の状況をある程度反映しているであろう。
「竜はこの獣に、自分の力と王座と大きな権威とを与えた」(2)とある。ローマ帝国がこれほど絶大な権力をもって非道を行うのは、「神に敵対する悪魔的存在」、つまり「竜」がその力を与えたからではないかとヨハネは考えたのだ。「人々は竜を拝んだ。人々はまた、この獣をも拝んで…」(4)。ローマは皇帝礼拝を強要する。従わない者は仮借なく弾圧する。これも「神に敵対する悪魔的存在」から出たことである。
悪しき皇帝ネロは、その失政を責められて68年に自決する。しかし彼には妙な人気があり、多くの人々は「ネロはまだ生きている」と信じていたという。「今はパルティアに潜んでいるが、やがてローマに攻め上ってくる」というのである。「死んだと思われたが、この致命的な傷も治ってしまった」(3)というのは、この伝説を反映している。この世では善良な者はしばしば弱く、悪い者は強靭である!
さて、ここで今日の中心主題に移る。「国家とは何か」という問題である。先ず、互いに矛盾するような二つの国家観が存在することに注目しなければならない。
第一は、今日我々が読んでいるヨハネ黙示録13章に代表されるような考え、つまり、「国家というものは、神に敵対する悪魔的な存在にもなり得る」という見方である。ダニエルにとってはシリアのセレウコス王朝がそうであった。ヨハネも、当時のローマ帝国をそのように見ていた。そして、これに類する国家観は、その後の歴史においても繰り返し現れた。ナチスに迫害された多くのユダヤ人にとっては、ヒトラーのドイツが正にそうであった。侵略を受けたアジアの諸民族から見れば、日本も同じである。日本軍は「鬼」と呼ばれた。スターリニズムが支配していた頃の旧ソ連も同様である。ブッシュ大統領は、イラクや北朝鮮を「悪の枢軸」と決めつけるが、そのアメリカはどうだろうか? もちろん、立場によって見方も変わることは当然だが、国家が「悪魔的なもの」になり得るという現実的な認識は、聖書の中にもある。
第二の見方はローマ書13章である。「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです」(1)。「上に立つ権威」は、「善を行わせるために」、あるいは「悪を行う者に怒りをもって報いる」(4)ために「神に仕える者」なのであり、いわば社会の秩序を守るために神によって定められた制度だ、というのである。このような考えはパウロだけでなく、新約聖書のあちこちに現われる。―― 我々はこのどちらを取るか?
だが、実際の国家は、この二つの間にあるのではないか。神が定め給うた秩序として良く機能することを我々は祈り求める。そのような良い国家も、稀にだが存在する。しかし多くの場合、国家は「獣」にもなり得るのである。理想化することは出来ないが、かと言って性急に悪魔的と断定することも出来ない。
だからこそ、ヨハネは「忍耐と信仰が必要である」(10)と言うのではないか。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
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