「悔い改めを必要とする人類」

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します

「第六の天使がラッパを吹いた。すると、神の御前にある金の祭壇の四本の角から一つの声が聞こえた」(13)。この声は、「聖なる者たちの祈り」(8,4)に対する神の応答である。ルターは「たとえ言葉にもならない、うめきでしかない祈りでも、天に昇り、高らかに鳴り響き、神の耳に達する」と言ったが、彼らの祈りは、祭壇で焚かれる香の煙と共に神の御前へ立ち上って行く。神はそれに答えたのである。

だが、神の答えは不吉である。「大きな川、ユーフラテスのほとりにつながれている四人の天使を放してやれ」(14)。すると、その四人の天使が「人間の三分の一を殺すために解き放たれた」(15)という。このことは我々を大いに困惑させる。

聖なる者たちは、一体何を祈ったのか? まさか「この世に災いが起こるように、大勢の人が苦しんで死ぬように」と祈ったのではあるまい。まして、愛の神がそういうことを積極的に望んでおられるとは信じ難い。我々は困惑する。

しかし、この場面は、我々の世界の現実を示しているのである。この世ではしばしば、強大な権力・軍事力を持つ者がやりたい放題をする。貧しい人々や子供たちといった「社会的弱者」が苦しめられる。そういう現実がある。この現実に対して異議を申し立てる人々、たとえば旧約の預言者たちは、迫害され、投獄され、遂には殺され、理不尽な苦しみを受ける。主イエスの十字架は、そうしたもろもろの出来事の究極的な形であった。これがこの世界の現実なのである。

恐らくなかなか納得できない人も多いだろうが、このような現実もまた、神の承認なしには起こらない。人間の思いを遥かに超えた計画によって、神は四人の天使を「人間の三分の一を殺すために解き放つ」。災害をもたらす許可を彼らに与える。

さて、聖なる者たちの祈りは、「小羊(イエス・キリスト)が彼らの牧者となり、命の水の泉へ導き、神が彼らの目の涙をことごとくぬぐって」(7,17)下さるようにということであった。この祈りは、最後には必ず聞かれるが、御利益宗教が安易に約束するように調子よく事は運ばない。それは、神がそのような不正な苦しみを引き起こす人々を裁く、という厳しい一面を同時に持っている。先ほど私は、神は災いをもたらす許可を四人の天使に与えたという意味のことを言ったが、その災いは人間世界に対する神の裁きとして来るのである。こうして神の裁きが開始される。

だが、四人の天使が「ユーフラテスのほとりにつながれて」いたというのはどういう意味だろうか? ユーフラテスは、今日のイラク中央部を貫いて流れる大河である。古代のユダヤ人は、「約束の地」の東にあるこの川が東の方から侵入して来る敵を防ぎ止める境界であると考えていた。そのほとりには、神に代わって敵対者に懲罰を与えるために四人の天使が「つながれて」いた。つまり、今までは神のコントロールの下にあったのだ。それが今や解き放たれて、裁きを代行する。「四人」というのは、東西南北の四方を受け持つという意味だろう。つまり、この「懲罰の天使」は全地に対して力を発揮し、今や神の御心に従わない全世界に対して裁きが下されるのである。もちろん、この箇所をブッシュ大統領の「イラク攻撃命令」に当てはめて解釈することはできない。これは「神の」裁きであって、人間の制裁ではない。

四人の天使たちは、「その年、その月、その日、その時間のために用意されていた」(15)という。歴史の支配者である神が懲罰を下す。その日のために天使たちは備えられているというのである。「二億」の騎兵を手勢として持ち、その兵士たちはそれぞれ、「炎、紫、硫黄」(17)の色をした胸当てをつけ、口から「火と煙と硫黄とを吐く」(17)馬、「蛇に似て頭がある尾」(19)を持つ馬に乗る。「火と煙と硫黄」は、聖書に出てくる災害の代表的なものだ。それによって、地上では人間の三分の一が殺される。

三分の一が殺される!これは荒唐無稽な作り話ではない。我々は、大量殺戮を繰り返してきた愚かな世界の現実を直ちに連想する。その意味で、これは現実である。

埼玉県東松山にある「丸木美術館」は、広島出身の画家丸木位里・俊夫妻が描いた「原爆の図」という渾身の大作を展示している。「原爆の図」だけではない。丸木夫妻は原爆の悲惨を描きながら、今世紀、同じ質の悲劇が世界の至る所で繰り返されてきたことに気づき、次第にその視線を広げて行かざるを得なかった。彼らは、「南京大虐殺」を描き、「アウシュヴィッツ」を描き、「沖縄戦」を描き、「水俣」を描いた。また、同じ広島の絵でも、強制労働のために連れてこられて被爆した朝鮮の人々の遺体が長く放置されていたことを悼んで、「カラス」という絵に描いた。カラスが遺体をついばみに来る無残な絵である。だが、故郷に思いを残して死んで行ったこの人々の心を象徴するように、この絵の上の方には美しいチマチョゴリが空を飛んで行くところが描かれた。あるいは、捕虜になって広島に収容されていて、そこで被爆した米軍兵士たちが市民の憎しみを受けて竹槍で虐殺される場面を描いた絵もある。

人類の歴史は、こういう大量虐殺を何度繰り返して来たことであろう。「人間の三分の一が殺された」!人類全体というわけではないが、これは世界の存立を脅かすほどの数である。過去に何度もこのような経験を繰り返しているのに、「殺されずに残った人間は、自分の手で造ったものについて悔い改めない」「偶像を礼拝することをやめない」(20)。つまり、自己の欲望やイデオロギーを絶対化することを止めず、「人を殺すこと、まじない、みだらな行い、盗みを悔い改めなかった」(21)。

神は、このように悔い改めようとしない人間世界を必ず裁かれるであろう。人類は、真の悔い改めを今こそ必要としているのである。

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