絶望の中に光が”
ラスベガス日本人教会 砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を
(死んだ娘を抱え、悲しみの中で立ち上がって歩き始めた母親。タイトルは“希望”。)今日は、クリスチャンに霊的な覚醒を促すような素晴らしい証しを紹介します。実は、以下に紹介したいYouTubeのビデオは私の信頼するクリスチャンの友人から教えてもらったもので、この証しを聞くなり、私の霊は揺すぶられ、主の御名を心からほめたたえました。人の証しを聞いて、こんな気持ちになったのは久しぶりです。このビデオは、この度の福島第一原発の事故により避難命令を受け教会閉鎖を余儀なくされた福島第一聖書バプテスト教会の佐藤彰牧師の証しです。 総勢0名ほどの教会員が着の身着のまま逃避行の生活を続けておられますが、4月3日に奥多摩での最初の日曜礼拝を持たれたそうです。東京ということもあって、近郊で避難生活をしている教会員とその家族も一緒にかけつけ、7~80名が集われたとのことです。この経験を通して、佐藤牧師は教会の建物が閉鎖し、信徒が散らされても、キリストの教会は決して消滅することがないことを知らされたそうです。その事について、避難生活の報告書でも、またこのビデオの中でも、こう言っておられます。
正直なところ私は、地震と津波に追い討ちをかけるように原発事故が起こった当初、宣教の歴史もここで幕を閉じるのだと思いました。町が放射能に汚染され人々が消えたのでは、地域とともに立つ教会も存在しないと考えたのです。70年にわたるあの地域での宣教の歴史に、こんな形でピリオドを打つようになろうとは思ってもいませんでした。やりきれない思いを胸に、これも現実と受け止め、あとは信徒の就職の世話と、それぞれの転居先にある教会に受け入れを依頼し、働き人を他の教会に紹介して、この地における私の働きも幕をおろすのだと。しかしその後の展開は、私の想像をはるかに超えるものでした。教会はぎりぎりの状態でいのちをつなぎ、生き延びたのです。 初代教会が迫害で散らされる中、生き生きと姿かたちをあらわしていった記録は、新約聖書で知っています。けれどもまさか現代のこの日本で、東北の田舎にある普通の教会の信徒たちが、行く当ても無く突然放り出されて、方々に散らされ、けれども何とか体制を持ち直し、互いに結び合い、キリストの体を再び形づくるようになろうとは、予想もしない展開でした。加えて大げさに言えば、教派を越えて私たちを応援してくださる日本各地や世界の教会が現れたのです。あまりのドラマ仕立てに、これはいったいだれの脚本ですかと、いぶかしがるほどです。 今までも私たちは教会の渦中にいたはずです。けれども、見ているようで見えない世界があり、知っているようで知らない世界があることを知りました。見えるものが一つひとつ引き剥がされる中で見えてきた、震災で得た宝です。 「人の歩みは主によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。 その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。主がその手をささえておられるからだ。」(詩篇37:23-24) 神様は、この度の東日本大震災で最も大きな試練を与えられたこの群れを通して、日本全国の教会を奮い立たせ、世界中の日本人教会に霊的覚醒をうながし、私たちの想像を超えた御業をなそうとしておられるのかも知れません。佐藤牧師は、神は福島第一聖書バプテスト教会をこの大震災のために選んだと言っておられます。であれば負けないで、投げないで、諦めないで進めば、神様の奇跡を次々に体験するに違いないと思い始めている。そう証ししておられます。なんという明るい希望の光に満ち溢れた力強い証しでしょうか。 ラスベガスの同胞の救いのために召されているラスベガス教会も、またこの‘牧師室より’を読んで下さる読者の方々も、神に選ばれているという大切な事実を受け止め直し、それにふさわしく生きていきましょう。 http://sccrblog.blog137.fc2.com/blog-entry-37.html 平安鶴田健次