劇的な明暗表現と真に迫る写実性で一世を風靡したバロック絵画の巨匠カラヴァッジョ。僅か38年の生涯の間に、《聖マタイの召命》《聖パウロの回心》など革新的な作品を数々残し、後のバロック絵画に絶大な影響を及ぼしました。しかし、粗暴な性格から何度も暴力事件を起こし、挙げ句の果てには殺人犯として追われる身に。
今もなお人々を惹きつけてやまないカラヴァッジョですが、その魅力は画家自身の波乱万丈な人生と切っても切り離せません。今回はそんなカラヴァッジョの宗教画を、聖書のエピソードとともにご紹介します。
目次
カラヴァッジョの生い立ち|北イタリアからローマ、そして南イタリアへカラヴァッジョの宗教画聖マタイの召命ダマスカスへの途中での回心エマオの晩餐ゴリアテの首を持つダビデまとめミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオは、1571年に北イタリアのロンバルディア地方で生まれました。通名である「カラヴァッジョ」は出生の地であるミラノ近郊の小さな町の名前です。
早くから画家を志したカラヴァッジョは1584年にミラノへ出て、ペテルツァーノのもとで4年間修行をした後、1592年にローマへと旅立ちました。
この頃、カトリックの総本山であるローマでは、1600年の聖年(ローマ巡礼者に特別の赦しを与える祝年)を迎えるにあたって、教会の建設や街道の整備などが急がれていました。記録によると、1600年には300万人もの巡礼者がローマを訪れたといわれています。
そんな時期に永遠の都ローマにやってきたカラヴァッジョは、デル・モンテ枢機卿に見出され、彼の屋敷に住みながら《リュート弾き》《バッカス》などの作品を残します。
そして、1599年から1600年にかけてサン・ルイジ・デイ・フランチェージ聖堂を飾る《聖マタイの召命》《聖マタイの殉教》を制作し、公的なデビューを果たしました。
この連作によって一躍ローマの人気画家となったカラヴァッジョは、教会や貴族から次々と発注を受けて、《聖トマスの不信》《キリストの捕縛》《キリストの埋葬》など数々の傑作を残します。
左:キリストの埋葬 右上:キリストの捕縛 右下:聖トマスの不信
ところがカラヴァッジョは生来の粗暴な生活が災いし、度々傷害などの事件を起こしていました。ついに1606年、乱闘の末に殺人を犯して死刑宣告を受けてしまいます。
カラヴァッジョはローマを離れ、逃亡生活を送りながらも制作をつづけます。しかし、再びローマの地を踏むという悲願は叶わず、1610年に熱病に倒れ、ポルト・エルコレで38年の短い生涯を閉じました。
カラヴァッジョの特徴は、鑑賞者の心を揺さぶる劇的な明暗表現と、真に迫る写実性です。聖書を題材とする宗教画の数々は同時代のカトリック教徒たちの信仰心を強く呼び起こし、400年の時を経た今日も巡礼者の心を捉えつづけています。
代表的な宗教画を何点かご紹介します。
《聖マタイの召命》は、1600年、サン・ルイジ・デイ・フランチェージ聖堂で公開されました。本作を含む使徒マタイの連作で、カラヴァッジョは一夜にしてローマ中に名を轟かせることになります。
マタイによる福音書9章9節「マタイの召命」の記事を描いた作品です。
さてイエスはそこから進んで行かれ、マタイという人が収税所にすわっているのを見て、「わたしに従ってきなさい」と言われた。すると彼は立ち上がって、イエスに従った。
(マタイによる福音書9:9)
イエスが活動した時代、現代のイスラエル・パレスチナ一帯はローマの支配下にありました。ユダヤの人々はローマが課す重い税に苦しんでおり、ローマの手先となって同胞のユダヤ人から税を取り立てる徴税人は忌み嫌われる存在でした。イエスはそんなマタイを自分の弟子として召し出します。マタイはイエスに呼びかけられた瞬間に目覚め、これまでの生き方と訣別して、イエスに従うことを選びます。
画面の右側、光を背に立ち指を差しているのがイエスです。ではマタイはどの人物なのでしょうか。これには諸説あり、中央の自分を指している髭を蓄えた男性がマタイであるとする説、画面左端でうつむいて座っている若者がマタイであるという説があります。
薄暗い静謐な画面の中に、マタイが召命に従う直前の劇的な瞬間が描かれており、鑑賞者の心に訴えかける作品です。
《聖マタイの召命》は礼拝堂の左手の壁に設置されています。右手の壁にはマタイが処刑される瞬間を描いた《聖マタイの殉教》が、正面には天使の霊感を受けて福音書を執筆するマタイを描いた《聖マタイと天使》が設置されています。
サン・ルイジ・デイ・フランチェージ聖堂
Geobia, CC BY-SA 3.0
パウロはキリスト教史でもっとも大きな役割を果たした人物の一人です。三度の宣教旅行を行い、異邦人に宣教しながら各地に教会を設立していきました。新約聖書にはパウロが各地の教会に書き送った手紙類が収録されており、それらは「パウロ書簡」と呼ばれています。彼なくしてキリスト教の布教はあり得なかったといっても過言ではありません。
そんな偉大な宣教者パウロですが、もともとはパリサイ派という熱心なユダヤ教徒の一派に属しており、キリスト教徒を迫害する立場にありました。あるときパウロは、イエスに呼びかけられます。
さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅迫、殺害の息をはずませながら、大祭司のところに行って、ダマスコの諸会堂あての添書を求めた。それは、この道の者を見つけ次第、男女の別なく縛りあげて、エルサレムにひっぱって来るためであった。ところが、道を急いでダマスコの近くにきたとき、突然、天から光がさして、彼をめぐり照した。彼は地に倒れたが、その時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。そこで彼は「主よ、あなたは、どなたですか」と尋ねた。すると答があった、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。さあ立って、町にはいって行きなさい。そうすれば、そこであなたのなすべき事が告げられるであろう」。サウロの同行者たちは物も言えずに立っていて、声だけは聞えたが、だれも見えなかった。サウロは地から起き上がって目を開いてみたが、何も見えなかった。そこで人々は、彼の手を引いてダマスコへ連れて行った。
(使徒言行録9:1-9)
イエスに呼び掛けられたサウロ(サウロはパウロのヘブライ語名)は、盲目のまま同行者たちに手を引かれてダマスコに向かいます。一方、アナニアという人物はサウロのために祈るようにと主の命を受けました。
ダマスコに滞在中のサウロを訪ね、アナニアが彼の上に手を置いて祈ると、たちまちサウロの目からうろこのようなものが落ち、元通りに見えるようになります(「目から鱗が落ちる」という慣用表現は聖書のこの箇所が由来です)。
●こちらの記事もおすすめ
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
Who We AreWhat We EelieveWhat We Do
2025 by iamachristian.org,Inc All rights reserved.