神がお造りになったもの

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神がお造りになったもの

 だが、新約聖書の時代には、食は別の意味で問題にされていた。たとえば、ユダヤ教徒やイスラム教徒の間では――これは今日に至るまで変わらないが――宗教的な教えに従って豚肉は禁忌(タブー)だった。他にもいくつか食べることを禁じられた物がある。

初代のキリスト教会はこのタブーからは概ね自由になっていたが、それでも、食の問題がなかったわけではない。たとえば、偶像を祀った神殿が市内各所にあり、そこではいろいろな動物が犠牲として捧げられる。祭儀が済んだ後、その肉は払い下げられて市場に出回る。その肉を、偶像崇拝を斥けるキリスト教徒が買って食べることは許されるだろうか? 偶像に供えられた肉を食べてもいいものだろうか? これは当時のクリスチャンにとっては意外に大きな問題だったらしい。食べるべきではないと強く主張する人々がおり、いや、構わないのではないかと考える人々がおり、意見の対立は見逃せない段階に達していた。そして多くは、その間で悩んでいた。

この問題について、パウロは、市場で売っているものは、良心の問題としていちいち詮索せず、何でも食べなさい(1コリント10章25節)と言っている。食べても食べなくてもいい。ただ、そのことで仲間割れしたりしないように、と彼は教えたのである。

 今日のテキスト(1テモテ4章)の背後にあるのも、この問題だ。当時、パウロやテモテの周囲には自分の良心に焼き印を押された(2節)ような人々がいたらしい。焼き印とは、家畜や奴隷の皮膚に押される印で、隷属、あるいは不自由の徴である。従って、良心に焼き印を押されたとは、良心が自由でない人々のことを意味する。その人たちが、原理主義的な頑固さである種の食物を断つことを命じたり(2節)することは珍しくなかった。それに対してパウロは、そんなにビクビクしなくても良いと教えたのである。この食物は…感謝して食べるようにと、神がお造りになったものです(3節)。そして、神がお造りになったものはすべて良いものであり、感謝して受けるならば、何一つ捨てるものはないからです(4節)。これが食に関する私たちの基本的な立場だと言っても良いだろう。


 さて、食について、もう一つ述べておきたいことがある。パウロは前述した1コリント10章で、食との関連で聖餐式についても言及している。わたしたちが神を賛美する賛美の杯は、キリストの血にあずかることではないか。わたしたちが裂くパンは、キリストの体にあずかることではないか(16節)。そして、そこでは皆が一つのパンを分けて食べる(17節)のだ、と続けている。このことは意味深い。

 そもそも聖餐式とは何か? それは、神の国の食事の先取りである。

 やがていつか、神の国が来る。神の真実の支配が完成する日が来る。その日には、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの涙をことごとくぬぐい取ってくださる(ヨハネ黙示録21章3-4節)。その日には、今私たちが経験しているような争いや弱肉強食はすべて止む。その日には、食の分配の不公平さも、格差社会もなくなる。その日には、飢えた人たちも飽き足りるようになる。その日には、貧しさの中に見捨てられて今日食べるパンにも事欠く人たちが、その涙を拭われる。母親の乳は既に涸れ果て、泣き疲れてぐったりしている赤ん坊の涙も拭われる。主イエスが、今飢えている人々は幸いである、あなたがたは満たされる(ルカ6章21節)と約束されたように。

 そして、その日には、地上のすべての人が、神の祝福の下で、兄弟愛のテーブルにつくのである。主イエスはこのことを約束された。この約束の先取りが聖餐式なのである。このことを信じて受け入れる方は、共にこれに与って頂きたい。しかし、これに与るということは、地上のすべての人々の苦しみや涙を直視すること、食の正しい分配のために力を尽くすことを意味する。

パレスチナやレバノン、イラクなど中東各地で苦しんでいる人たち。アフリカで飢えている人たち。アジアの各地で呻いている人たち。とくに、フィリピンで血を流している人たち。すべての人の苦しみが、主イエス・キリストの体と血によって担われているということを、私たちは信じたい。これが世界聖餐日の意味なのである。

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