私の信仰履歴書 第五回 神のお扱いを受ける

聖書に出てくる用語、クリスチャンが使う用語を説明しています。 ヘブル的視点で解説されていますので、すでにクリスチャン歴が長い方にも新しい発見があるかもしれません。

野田 秀

昭和は、人が“思いがけない変化”に驚き、振り回され、目を見張った、そんな時代ではなかったでしょうか。ノンフィクション作家の澤地久枝氏が、「貧しかった者も豊かであった者も、学び得た者も学ぶ機会を封印された者も、昭和の同時代人たちが生き得た時間の内容はきびしい」と書いています。確かに、人々が戦前と戦後の多様な現実と変化の中で懸命に生きたその厳しさは、今となっては簡単に説明できるものではありません。

一方、喜ばしいことに、戦後、福音を自由に伝えることができるようになり、あちらこちらに教会が生まれ、青年たちの中から、救いを与えられ、さらに献身する人たちが起こされていきました。私もそんな一人でした。神の召しを確信してから神学校に入るまで数か月という短さであったために、神学校生活は、信仰の素地の乏しい身には困難を覚えることもありましたが、よき教師と仲間に恵まれ、忘れ難い思い出が多く残されています。

三年間の神学校生活を終えてほどなく、一九五八年(昭和三十三年)に母教会が取り組んだ最初の開拓伝道地に遣わされました。人口九千人の東京都下の多摩村は、多摩川に面し、かつて近藤勇や土方歳三たちが駆け回ったであろう土地であり、教会の前にある鎌倉街道は、新田義貞が鎌倉に攻め下った道でした。
歴史的には由緒ある土地でありますが、さしずめ東京の田舎といった風情でした。昭和三十年代は、世間的にも、セピア色の写真になぞらえられる一種不思議な懐かしさを感じさせる時代でした。古いものと新しいものが混在しながら、例えれば、卵が孵化するのを待つような空気が、日本全体を覆っていたと思います。
そんな時代を反映するように、当時のキリスト教会の多くがふつうの家屋を集会場としていましたが、活気に満ちた活動を見せていました。多摩村に伝道を開始した桜ヶ丘教会も、始めは大正時代に建てられた民家が会堂でした。田んぼと畑に囲まれ、住宅はちらほらという地域に遣わされた若く経験もない伝道者は、それからの年々に、神が生きておられることを見せられていくことになります。

大人が導かれて来るには時間がかかりましたが、子どもたちは群れるように集まって来ました。「子ども会」を開き、“幻灯会”(今でいうスライド)と立て看板を出すだけで、二百人もの子どもたちがやって来ました。終わって翌日道を歩いていると、前日来た子どもが私を指さして、「お母さん。ほらキリストが通るよ」と言ったものです。教会の人間がそれだけ目立ったということです。
その後、多摩ニュータウンの造成にともない、村は町に、町は市に変わり、東京で最も都市化した地域として知られるようになります。現在の会堂は、新しくできた三十六メートル道路に面して建てられています。ときどき、「よい所を選びましたね」と言われます。しかし、だれも、将来このようになることを知っていてこの場所を選んだわけではありませんでした。まさに神がお選びになり、私たちに託してくださったとしかいえないのです。
主の大きなみわざを与えられながら、一方で、私には内側に神のお扱いを受ける必要がありました。牧師としていかに不十分であったかは、今思い起こしても顔が赤らむ思いがいたします。

三十代のある日、夜の集会で、私は声を大にして、私たちはきよくなければならないと説きました。集会後、一人の青年がつかつかとやって来て、こう言ったのです。「きよくなるということが、先生のようになることなら、私にはいりません。」 “頭の後ろをガーンと殴られたような”という表現そのものに、私はそこに立ちつくしました。しかしそれは、牧師は語ったように自分が生きなければ、人の心を動かすことはできないのだということを、その人を通して主が教えてくださった貴重な経験でした。
十年経ったころに、説教について、妻から言われたことばも忘れられません。「開拓のころ、あなたの説教は何を言いたいのかよく分かりませんでした。でも、聴いていて涙が出ました。このごろは少し分かるようになりましたが、涙が出なくなりました。」 嗚呼。
その頃、レイモンド・エドマンの『人生の訓練』にふれ、「聖書はこういうふうに読むものか」と目が開かれる思いがしたことが忘れられません。
「ただひとり、大いなる不思議を行われる方に。その恵みはとこしえまで」(詩篇136・4)

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