エレミヤ38章・預言者エレミヤはエルサレムの災いを求めていたか

正しいか間違っているかは別として、私は最善を尽くしましたが、これらは私の意見を表明しているだけです。

エルサレムに対してバビロンが攻めてきました。ですから、人々が悪い道を改めなければバビロンが攻めてくるというエレミヤの言葉は成就しました。その時には、『バビロンの王があなた方とこの地に攻めて来ることはない』と預言していた預言者の立場はなくなっていました。(エレミヤ37:9)

 エルサレムはバビロンから攻囲されていました。(エレミヤ32:1,2)そのような状況の中で、エレミヤはユダの人々とエルサレムにとって最善のことを求めていました。エルサレムが間違いなく、バビロンによって攻め取られることを伝えました。例え、バビロンと戦い続けても、「この都市は間違いなくバビロンの王の軍勢の手に渡され,彼は必ずこれを攻め取るであろう」と伝えました。(エレミヤ38:2)

 しかし、エレミヤは、カルデア人に降伏する者は生き続けることができるというエホバの言葉を伝えました。(エレミヤ38:3)そして、エレミヤは、ゼデキヤ王に彼がバビロンの王のもとに出て行って降伏するなら、ゼデキヤも生き続けることができて、エルサレムも火で焼かれないということを知らせました。(エレミヤ38:17,18)

 エレミヤが勧めていた方法は唯一の救いの道だったでしょう。それで、エレミヤは事実に即して、その危機的な状況で人々が生き続ける方法を伝えました。

 ところが、ユダの君たちの中には、信仰に基づいて考えない人たちがいました。彼らは、それまでにエレミヤの預言の言葉が成就していたことを度外視しました。エレミヤは、すでにエホヤキム王の時代に、人々が悪いことをやめなければバビロンが攻めて来ると預言していました。(エレミヤ25:8,9)そして、エレミヤが過去に預言してきた通り、バビロンはエルサレムを攻囲していました。

 そして、エレミヤがバビロンに降伏することを勧めることに対して、エレミヤが「この都市に残されている戦人の手とすべての手を弱めている」と言いました。(エレミヤ38:4)

 人々は、ユダ王国があくまで、バビロンに対して戦い続けるべきだという考えを持っていました。結局、ユダには、勝利の見込みがないというエレミヤを通して与えられたエホバの言葉を信じていなかったのです。それで、ユダの人々は、エレミヤが、ユダの国益に反することを預言すると考えていたのでしょう。

 彼らは、あくまでユダ王国のバビロンからの軍事的勝利を願っていました。しかし、その時すでに彼らの形勢はとても不利でした。ユダの王エホヤキムとエホヤキンはバビロンに攻囲され、流刑にされました。また、ゼデキヤは、バビロンによって王にされましたが、バビロンとの契約を破ってエジプトに使者を送ったために、エルサレムはバビロンに攻囲されていたのです。(歴代第二36:5,6;36:9,10。エゼキエル24:1,2)

 非常に長い期間、情勢はユダに不利なものでした。そして、事実を客観的に見るならば、バビロンからの勝利を望めない事、バビロンによってエルサレムが陥落するのが時間の問題であることを予見できたはずです。しかし、ゼデキヤやユダの君たちは事実を客観的に見ることができなかったのです。

The Burning of Jerusalem by Nebuchadnezzar’s Army

ユダの君たちはエルサレムがバビロンに攻囲されエルサレムの陥落は時間の問題だという事実を度外視してエレミヤの勧めを退けました

 彼らは、ユダの人々が全滅するまで、バビロンと戦い続けることを願っていたのでしょうか。ユダはエジプトに頼っていたので、エジプトがバビロンに勝利するかもしれないという一縷の望みに希望を託していたのでしょう。

 しかし、エホバ神は、エジプトがバビロンのネブカドネザルによって倒されるということを知らせました。(エゼキエル30:10,11)それで、ユダがエジプトにたくした望みは打ち砕かれることになっていました。それらのユダの君たちの強硬な態度は、バビロンによるユダの全滅に導くものでした。 

 

 エレミヤの助言ではなく、ユダの君たちの態度の方がユダの国益に反する態度であったと言えます。また、彼らの態度は、現実的でもありませんでした。例え、エルサレム内に残っていた兵士の気持ちを強めたとしても、エルサレムが災いを避けることはできなかったからです。

 エホバ神は、その当時の国際情勢をよく把握されて、その中で、ユダにとって最善のことを勧められました。また、エホバ神は、その当時、ユダの悪のために、バビロンによって罰を与えることを考えておられました。(エレミヤ21:10;36:31)

 しかし、結局、ユダは、エホバの勧めに応じて、悪い道から立ち返ることをしませんでした。ユダが根本的に間違っていたのは、エホバ神の崇拝を捨てて、神の律法にはなはだしく違反し、また、エホバ神の助言を無視したことでした。

 国家には強硬なタカ派が存在することがあります。最後まで、戦闘することを主張する場合があります。しかし、それは、国民が存続する道ではありません。日本も第二次世界大戦末期に沖縄では、最後まで、米国と戦い続けて非常に多くの死者が出ました。もっと早く降伏していれば、死者の数を大いに減らせたかもしれません。それで、状況を考えずに戦い続けることは、国家の全滅に至る愚かな道です。結局エルサレムは、バビロンの前に陥落し、火で焼かれてしまいました。(エレミヤ39:8,9)

March 31, 1945 on Okinawa, largest of the Ryukyu (Loochoo) Islands, 375 miles from Japan.

戦争末期の沖縄ではあくまで戦い続けたので悲惨な結果になりました

アメリカ軍に包囲されていたという事実を客観的に判断し降伏する方が賢明でした

 しかし、ユダの君たちは、全くエホバの言葉を考慮しませんでした。それで、エレミヤを一時的には助けたゼデキヤ王は、バビロンに捕らわれとして連れていかれることにはなりましたが、一応命は容赦される結果になりました。(エレミヤ39:7)しかし、エホバの言葉を全く考慮しなかったユダの君たちは、バビロンの軍隊がエルサレムを陥落させた時、皆殺されてしまいました。(エレミヤ39:6)

 それで、どんな状況になっても、エホバの言葉を考慮することによって、最悪の結果を免れることができます。そうすることが望ましいことに思えなくても、エレミヤは、ユダとエルサレムの災いではなく、その状況で最善の結果になることを求めていたのです。

 それは、現代の聖書の預言の解釈者たちも同様です。エホバの言葉に基づいて関係者にとって最善の結果をもたらすことを求めているからです。

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