キリストの贖いを認めないユダヤ教と剣をとって戦うことを認めるイスラム教の教え

正しいか間違っているかは別として、私は最善を尽くしましたが、これらは私の意見を表明しているだけです。

  

AMAZING GRACE LEGENDADO english portugues 日本語(私は十字架はイエスの刑具でなかったと考えていますが、この歌の内容はいいと思います)

  今回の記事では、ユダヤ教とイスラム教について簡単にまとめてみます。 諸宗教にどのような共通点があるか、どのような相違点があるかを説明します。そして、修行を通して、神通力をつけるというような慣行がなぜ危険なのか、なぜ悪霊ではなく創造者エホバ神を崇拝するべきなのかを説明したいと思います。 先回は、聖書がエホバ神に対する崇拝を中心として記録した本であることをまとめましたので、併せてお読みください。仏教と神道については次回まとめます。 

聖書の映画と聖書の簡単な内容とその真実性 

(1)ユダヤ教(2)イスラム教(1)ユダヤ教 ユダヤ教は、西暦前16世紀に神が出エジプト後のイスラエル人に与えたモーセの律法だけを受け入れています。ユダヤ教は、モーセの書いた五書とタルムードを受け入れています。そして、イエス・キリストが神のみ子であり救い主であることを否定しています。神がイスラエル人と結ばれた律法契約がまだ続いていると考えています。 タルムードは、イエスの実在を否定してはいません。ただ、聖書はイエスが神の力によって奇跡を行ったと言っていますが、タルムードは、イエスが魔術を行ったと言っています。 ユダヤ教は、イエスの実在と奇跡を否定していませんが、キリスト教徒と違いイエスをメシア、また、敬われるべき方とはみなしていないだけです。  しかし、創世記には、大洪水後、エホバ神がアブラハムとその子孫の族長たちと交渉を持たれ、彼らを受け入れられましたが、まだその当時は、彼らは律法をまだ受けて守っていませんでした。ですから、このことは、エホバ神はモーセの律法を守るからではなく、神に信仰を持って従う人々を受け入れられることを示しています。 さらに、神は、アブラハムに彼の子イサクを犠牲にするように命じられ、彼がそのようにした時に、神はそれをとどめられました。神はアブラハムが子供のイサクの代わりに雄羊をささげるように取りはからわれました。 なぜ神は、そうするようにアブラハムに命じられたのでしょうか。神は、将来ご自分がご自分の子を犠牲にされることを示されたのではないでしょうか。 さらに、申命記の中で、モーセは自分のような預言者が将来現れることを予告し、その者に従わなければならないと述べていますが、そのことをユダヤ教徒は、拒否しています。(申命記18:18,19) モーセの律法によって救われるためには、その者にすべて従わなければなりません。(申命記11:26-28;12:28)   しかし、 モーセ五書には、「罪の捧げ物」という語が、約100回出てきます。神はユダヤ人が罪を犯した時の場合のため、エルサレムの神殿で祭司が動物の犠牲の血などを捧げて、罪の贖いをして神との良い関係を回復する手立てをもうけられました。(出エジプ30:10)  この取り決めは、神が人間が罪を犯して、モーセの律法を完全に守れない事態が生じることを予見しておられたことを示しています。 なぜなら、わたしたちはアダムの子孫であるため、罪を受け継いでいます。そのため、みな罪を犯します。(列王第一8:46)モーセの律法を完全に守れる人はひとりもいません。 モーセは、イスラエル人の偶像崇拝などの罪に対する神の怒りをなだめる働きをしました。 (出エジプト34:9)でも、モーセは死んだので、もうイスラエル人の罪を神の前になだめることはできません。 昔の祭司は神殿で罪のための捧げ物を贖罪の日に、毎年、また、人が罪を犯した時もエンドレスに捧げなければなりませんでした。 しかし、エルサレムのエホバの神殿は、イスラム教の岩のドームになっているので、現在は、ユダヤ人の祭司はそうした奉仕ができず、罪を覆っていただくことができません。 ユダヤ人で、神から与えられたモーセの律法、また、口伝律法をすべて守れる人がいるでしょうか。すると、ユダヤ人を初めとしてわたしたちアダムの子孫は、いつまでも、罪を犯して神から非とされる立場に立つしかありません。 まことの神であれば、わたしたちが罪から救い出されて、神の是認を得るように助けてくださるはずではないでしょうか。ですから、これらの事柄は、神がご自分の子を動物の代わりに犠牲にされて、律法を守れない人々の罪を許すために、備えをしてくださることを表しているのではないでしょうか。   イエスはご自分の完全な体を一度限り神に捧げたので、わたしたちはキリストの贖いに頼れば、罪を許していただけます。(コロサイ1:14)これは、神の側の過分のご親切の取り決めです。 そして、モーセは、自分のような預言者が再び起こされることを予告しました。(申命記18:18,19)イエスは、モーセのような預言者です。イエスはモーセのように死ぬことはないので、いつまでも、わたしたちの罪のために、わたしたちが滅びないように、永遠の命を受けられるよう助けることができます。

 

神はモーセにあなたのような預言者を起こすのでその者に聞き従わなければならないと言われた

 しかし、ユダヤ人はそうした立場にあるイエス・キリストを退けています。そのようにすると、ユダヤ教徒は、自らの罪をまことの神から許していただけません。また、神殿も祭司もおらず、動物の犠牲を捧げて、神から罪を許していただくことができません。すると、まことの神からの救いを得られないのではないでしょうか。◎ユダヤ教と神のみ名の発音 ユダヤ教徒は、神のみ名は尊いので発音するのも不敬だという考え方のために、神のみ名を語るのをやめて、主や神とかしか言わなくなりました。 しかし、出エジプト記の中で神はファラオを早期に滅ぼさず生かしておいた理由をこのように説明されました。「実際には,この目的のためにあなたを存在させておいた。すなわち,あなたにわたしの力を見させるため,こうしてわたしの名を全地に宣明させるためである。」(出エジプト9:16)   また、聖書のモーセ五書の中には、テトラグラマトンが1800回あまり出てきます。神はご自分のみ名を隠したいのに、それだけたくさんの神のみ名を聖書の中で用いられるでしょうか。 ですから、エホバ神はご自分のみ名を人々が隠しておくことを望まれるのではなく、全地で宣明され崇拝されることを望まれます。ですから、神のご意志は、神のみ名を隠さずに使って、そのみ名を恐れることです。 エルサレムの南のネゲブのアラドにあった要塞で、部下と司令官の間の通信文が記された陶片が見つかりました。そこには、「ヤハウェ〔エホバ〕があなたの幸せを気にかけてくださいますように。……彼はヤハウェの神殿にとどまっています」と記されていました。それは、通信文から西暦前7世紀のエルサレムがバビロンによる陥落寸前の時期のものであることが分かります。 また、ラキシュの要塞で見つかった陶片にも、「エホバがあなたの平安を求められますように」といった言葉が記されていました。ラキシュの文書のうちの七つは,神のみ名に合計11回言及しています。

 

ラキシュ書簡はユダヤ人が出エジプトの時代からエルサレム陥落の時まで神のみ名を日常会話で使っていたことを示す

 ですから、ユダヤ人は出エジプトの時代、すなわちモーセ五書の時代から、エルサレムがバビロンによって陥落する時代に至るまで、日常生活でエホバのみ名をためらうことなく使っていたことが分かります。

 ですから、まことの神のみ名を用いないという後代のユダヤ人の習慣は、エルサレムがバビロンによって倒壊する時代まで行われていた習慣とは異なるということが分かります。神のみ名を用いないという習慣は、非常に後代になって、実際、初期クリスチャンの時代以降に始められた習慣です。

 まことの神は、モーセ五書の中に、何千回もご自分のみ名を表すテトラグラマトンを記録させておられるように、ご自分のみ名を用いることを望まれています。 ですから、今日、ユダヤ教徒やキリスト教徒が神のみ名を発音しようとしないのは、昔のユダヤ人の最初の習慣と神のご意志からはずれているということが分かります。 

Andrew Shiva / Wikipedia

The Dome of the Rock (Arabic: مسجد قبة الصخرة‎, Hebrew: כיפת הסלע), on the Temple Mount in the Old City of Jerusalem.

エルサレムの神殿跡には七世紀末から岩のドームがあり昔のエホバの崇拝の儀式を行うことはできない 

 ユダヤ人は、もうエホバの神殿で、エホバに求められていた祭司を中心にした崇拝を行うことはできなくなっています。しかし、イエスは特定の場所ではなく、真理である神の言葉に基づいて崇拝が行われることを神は求められていると言われました。(ヨハネ4:23,24) ちなみに、ユダヤ教もイスラム教も三位一体を受け入れてはいません。ですから、三位一体説を奉じるキリスト教会は、神の様態に関する理解で、ユダヤ教と矛盾することになります。(2)イスラム教 日本は飛鳥時代の西暦6世紀の後半に、ムハンマドは、アラビア半島のメッカに生まれました。610年のある日、メッカ郊外でムハンマドは、大天使ジブリール(ガブリエル)から、唯一神(アッラーフ)の啓示を受けたと主張しています。その啓示は、クルアーンにまとめられました。ムハンマドは、イスラム教を説き始めました。 メッカの親族がイスラム教の最初の信者になりました。その後、戦いによって、勢力を拡大していきました。七世紀の初めごろ、アラビア半島はイスラム教によって統一されました。 イスラム教では、ムハンマドを最高の預言者とみなしています。そして、聖書もある程度、認めています。コーラン、もしくはクルアーンやイスラム教の伝承の中では、聖書の中に出てくる人物の多くが登場しています。 例えば、アッラーフはアブラハムに現れた神だとみなされています。さらに、悪魔、アダム、カインとアベル、アブラハム、イシュマエル、モーセ、サムエル、サウル、ダビデ、ソロモン、シバの女王、ヨナ、ゼカリヤ、天使ガブリエル、マリア、ゼカリヤ、バプテストのヨハネ、イエスなどが登場します。 結局、それらの登場人物は、主に中東の人々なので、昔から聖書中の人物が存在するということを裏付ける遺跡などが存在し、地元の人々はそれらの人々の実在を否定はできないでしょう。イスラム教の教えがそうした実在の人々に基づいていれば、人々は、その記述に基づいてイスラム教を受け入れるでしょう。 イスラム教の方では、クルアーンが正しく、聖書はゆがめられていると主張しています。一方、ヨハネへの啓示、もしくは黙示録の書に、聖書に何も付け加えてもならないし、取り去ってもならないと述べています。(啓示22:18,19) イスラム教は、モーセやイエス・キリストを預言者のひとりとして認めていますが、イエスを神の子とはみなしませんし、ムハンマドより劣っているとみなします。 イスラム教は創造者なるひとりの神を崇拝し、多神教と偶像崇拝に反対しています。この点は聖書と調和しています。しかし、述べられている出来事が共通していても、聖書とイスラム教の教えは異なっています。  最初は、ムハンマドは戦いをした時、敵対する部族の女性は奴隷として、財産を没収し、部族の男子はすべて処刑していました。それで、ISILのやり方は、ムハンマドの最初の方法に忠実に従っています。しかし、彼は後には、敵対勢力に寛大になりました。 イスラム教は、一夫多妻で近親相姦も容認しており、武力で勢力を拡大しました。キリスト教は、一夫一婦制で、迫害を忍んでも剣をとって戦うことをイエスによって禁じられていますから、両者の教えは異なっています。 キリスト教徒が、昔十字軍の遠征の時、また、近年、湾岸戦争やイラク戦争などでイスラム教徒を殺害したのは、それらのキリスト教徒が聖書のイエスの教えから背教しているからです。

 

第1回十字軍によるアンティオキア攻囲戦十字軍はイエスの剣を取らないようにという命令に反して行われた 

 イエスご自身は、剣を取って当局に歯向かうのではなく、殉教する道を選ばれたのです。(マタイ26:52)ひとつには、神によってご自分が復活することを信じておられたからです。(マルコ8:31)

 

イエスはみ使いの軍勢や剣でご自分の命が助かるように行動されたのではなく戦わずに殉教する道を選ばれた

   また、イスラム教は神から管理を任された忠実な天使が管理する火の責め苦の地獄を教えています。聖書そのものは、死ぬと無意識になると教えています。(伝道の書9:5,6)◎イスラム教の成立後エルサレムはイスラム教の聖地となり神殿跡に岩のドームが建てられる イスラム教の成立後、西暦七世紀の初めごろ、エルサレムはイスラム勢力の統治下におかれました。7世紀末にエルサレムのエホバ神の神殿跡にイスラム教の岩のドームが建設されました。岩のドームには、昔契約の箱が置かれていたとされる岩が祀られています。

 ですから、イスラム教の聖典コーランには、旧約聖書や新約聖書に出てくる人物の名前がたくさん出てくるとは言え、戦争や殺人を認めていますから、それは、剣をとって戦ったり、殺人をすることを禁じられたイエスの教えとは異なっています。それで、イスラム教の教えは、イエスの父である神とは異なる源からきている教えだと言えます。

 

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