神の御子の血潮にて生きる 好地由太郎
ラスベガス日本人教会 砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を
好地由太郎(こうちよしたろう)は、185年房総半島の金田で、貧しい家庭に生まれました。18才の時に日本橋のある商店に奉公に出されましたが、奉公先で悪いことを重ね、ついには女主人を殺害、金を奪い、証拠を消すために放火し、終身刑の判決を受け、監獄に入れられます。しかも獄中でさえも、彼は脱走を繰り返し、その度に逮捕され、少しも反省の色もないために看守からひどく嫌われていました。ある日、監獄に一人の青年が入ってきました。その青年に由太郎は「どんな悪い事をしてきたのだ?」と尋ねた所、「何事もしていません」という応答に腹を立て、仲間達と袋叩きにしました。その時、青年は涙を流しながら彼らの為に祈っていました。その姿が忘れられず由太郎はその青年に「どうすれば君のような心になれるのか?」と尋ねると、青年は「聖書をお読みなさい」と言い残し、去っていきました。その時から由太郎は聖書を手に入れたいと思うようになったのですが、なんと、当時入手困難だった聖書が、ちょうど差し入れられたのです。これは由太郎の母親からの差し入れでした。しかし教育を受けていない由太郎は、聖書を読む事ができず、代読してもらうと、そこに書かれていた事が罪人への悔い改めだったのを知り、自分の期待に反していた為、聖書を続けて読むことはしませんでした。その後、脱走を数度も試みた由太郎は重罪を加えられ、小菅集治監をへて、北海道の空知集治監に送られます。ある日の事、由太郎は不思議な夢をみました。天使のような輝いた顔の少年が現われて「この本を食べなさい。これは永遠の生命を与える神の道です。」と彼に告げました。同じ夢を3回見た由太郎は、夢の中で言われている本が4年前に母から差し入れのあった本(聖書)のことだと気づき、看守長から片仮名と平仮名を学び、聖書を一生懸命に読み始めました。聖書を読むにつれ、彼は「自分がなんと人生に値しないような生き方をしてきた」と痛感するようになり、彼は変わっていきました。悪い習慣をやめ、人が嫌がるトイレ掃除を率先してやるようになり、病気の囚人には心をこめて介護し、自分の魂を救った福音を他の囚人たちにも伝えました。イエス様の御言葉に触れ、彼は新しい人生を歩み始めたのです。しかし、信仰を持った事で、監獄内の迫害が強まりましたが、その度に主の不思議な介入があり、信仰が守られましたし、由太郎の信仰も強められました。由太郎は聖書を無二の親友とし、約3年間で新約聖書をおおかた暗記しました。しかし、信仰が増すにつれ心の苦悶は依然として消え去らずに高まるばかりでした。。無期徒刑の上に9年間の重刑まで負っている身で聖人ぶって何になる、どうせ一生涯、ここで朽ち果てるのではないかと悶々とすることもありましたが、気を取り直して神の恩恵を一つ一つ数えては天にも昇るほどの喜びに満たされて神に感謝する時も過ごしました。4年間の独房生活を送って、さらに旧約聖書の研究へと進み、通読すること数10回に及び、あらかたの聖句を暗誦することができるほどになりました。わが身は北海道に朽ち果てても構わぬが、自分の犯罪で損害を蒙った人々への謝罪をせねばならない気持ちが強まり、いくらかの蓄えから送金と謝罪の手紙を送付しました。なかには慰めと励ましの返信まで届き、真の平和を心に抱きたい思いから断食して10数日間の祈りを続けました。しかし、一向に心が潔められた確信を得ることができずにいました。夏のある夜、鉄窓の下で祈っているとき、全身を蚊に襲われ、非常な惨めな思いになりました。名月は万物平等に照らされているが、自分は哀れにも獄中で蚊に襲われている身。いっそう蚊に一身を与えてここで死んだほうがましかもしれない、と思いつつ、ある医者が、人の血を吸わなかったら蚊は越冬できないが、吸った蚊は冬の寒さに耐えられるとの話を思い出した途端、稲妻のように由太郎めがけて天から「イエス・キリストの血によりて罪よりわれらを潔める」との声が聞こえ、蚊は人間の血により生き、自分は神の御子の血潮にて生きる。このことに合点した重刑の罪人である自分に主イエス・キリストが贖主になってくださった、と悟り、途端に独房は天国となり、由太郎は新しく生まれ変わったのです。その後、模範囚を続けた由太郎は、明治天皇の特別な恩赦により釈放されました。また天皇の特別な計らいにより戸籍から犯罪歴が抹消されました。23年の監獄生活を送った由太郎は、牧師になり、多くの魂をキリストに導き、主に従う人生を全うしました。(LVJCCブログ制作チーム:薫)ブログランキングに参加しています。クリックで応援してください。