牧師室より #12

ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を
今日は久子ライスさんの救いのお証をします。9月13日の朝、みどり姉から電話があり、「ホスピスで危篤状態にある久子ライスさん(7才)という方を訪ねて、日本語で福音を伝えて欲しいという連絡がある方からあったのですが、先生、行って下さいますか?」とお願いされました。もちろん私は二つ返事で引き受け、11時半に指定のホスピスに行くことにしました。私はさっそく祈祷部に連絡を取り、11時半から危篤状態の久子さんという方に福音を語るので皆さんに祈りの応援をお願いして下さいと頼みました。 ホスピスに到着したのは予定通り11時25分ごろでした。病室には息子さんご夫婦がおられました。息子さんの奥様は韓国人教会で伝道師をされている方でキム・イナさんと仰いました。イナさんの話によれば、久子さんは長い間カリフォルニアに住んでおられ、イナさんも彼女を訪ねる度に福音を語り、ずっと祈って来られたそうですが、久子さんは福音に対して心を閉ざし、話を聞こうともされなかったそうです。ところが5月に長年住み慣れたカリフォルニアから息子さん夫婦のおられるラスベガスに移って来られ、その後7月に急に心臓の異常を覚えられ、バイパスの手術をされてからは容態が悪くなる一方で、9月9日にホスピスに移られることとなったのです。11時半になり、私は久子さんに声をかけ、自己紹介をし、「久子さんは、日本はどちらからですか?」とありきたりの質問をし、しばらく世間話をしました。ベッドのかたわらでは、イナさんが一生懸命に祈っておられました。少し打ち解けた感じになったので、私はさっそく、「久子さんはイエス様の話を聞いたことがありますか?」と尋ねました。すると、急に久子さんは体を強張らせ、「私は仏教ですから」と仰いました。私は、「久子さんは平安がありますか?」と聞きました。彼女は、「あります。私は仏教で、息子も仏教で、それでいいんです」と言われました。私は、「そうですか、でも少しだけ神様の話をさせてください」と言って、死後の世界の話をし、罪を持ったままでは天国には行けないことを伝え、イエス・キリストの十字架だけが罪の赦しと、天国への道であることを説明しました。すると、久子さんは、「もうそんな話は聞きたくない」と言われました。私は悪の霊が働いているのを感じたので、「では、久子さんのために一言祈ってもいいですか?」と聞きました。久子さんは、その言葉に激しく抵抗し、“Please stop it! Please go away!”と力のない声で叫ばれました。すると、そばで祈っておられたイナさんが、“Mother, why do you say that? This pastor doesn't even know you but he came all the way from a distant place to see you. Please don’t say such a thing.”と言われました。そこで、私が一息おいて、「では最後に一つだけ聞いてもいいですか?」と尋ねると、久子さんは「では一つだけです」と言われました。私は、ゆっくりと、「久子さんは本当に心に平安がありますか?天国に行けると本当に思いますか?」と聞きました。すると彼女は、「地獄でもいい」と言われました。すかさず私は、「どうして地獄でもいいんですか?」と聞くと、「質問は一つだけだから、もうこれでおしまい。これ以上、何も聞きたくないです」と言われました。 しかし、私もここで話を止めるわけにはいかないので、また久子さんが福音に対して殊更に心を頑なにされるので、「どうして久子さんは、こういう話をこんなに嫌がるんですか?聞いても、信じたくなければ信じなくてもいいのですから、聞くだけ聞いて下さい」と言って話を続けました。「神様は久子さんを愛しておられるんです。久子さんのために大切なイエス様という神の子を十字架につけて死なせるほどに久子さんを愛しておられるんです。こんなに久子さんを愛している方が他にいますか?神様は、何としてでも久子さんに天国に行って欲しいので、こうして人生の最後の最後まで、久子さんを諦めずに招いてらっしゃるのです。一体この世の何処にこんなにまで久子さんのことを愛しておられる方がいますか?」と言って、神、罪、救いについて話をしました。久子さんは、目を閉じ、片方の手を額に置いたまま、じっと話を聞いておられました。またイナさんは、傍で一生懸命に祈っておられました。いつまた「もういい」と言われるかを気にしながら、私は出来るだけ簡潔に語るべき福音を聖書の言葉を引用しながら最後まで語り終えることができました。そして間を置かず、「久子さん、イエス様を救い主として信じませんか?」と聞きました。すると、驚いたことに、久子さんは、はっきりと、「イエス!」と言われたのです。そこで私は、急な態度の変化に半信半疑だったので、「久子さんは本当に自分の罪を認めますか?」と聞くと、「イエス!」と答えられ、続けて「ではイエス様をご自分の救い主として信じますか?」と聞くと、久子さんは、もう一度はっきり「イエス!」と言われました。そこで私が、「では信仰を告白する祈りをしますから、私が祈るとおりに祈ってください」と言うと、信仰告白の祈りを一言ずつちゃんとして下さり、最後に「アーメン!」と言われました。するとイナさんが泣きながら久子さんを抱きしめ、「ハレルヤ!」と言われると、久子さんも大きな声で「ハレルヤ!」と言われました。その声は、それまでで一番大きな声でした。また、息子さんも泣いて喜んでおられました。私は、ラスベガス教会の皆さんに洗礼式に立ち会ってもらいたかったので、イナさんに、“I think I will come back tomorrow to baptize her. But if you want me to do it now, I can certainly do it.”と言うと、 彼女は、”Why not?”と言われたので、私もそのほうがいいと思い直し、そのままベッドの上で病床洗礼を授けました。翌朝、早天祈祷会が終って8時ごろ、久子さんを訪ねてお祈りをし、一緒に写真を撮ろうと思ってイナさんに電話し、”How is Hisako this morning?”と聞くと、彼女は、喜びの声で、”She passed away at 4:1am this morning. But we are so happy because she passed away so peacefully, and she is with the Lord now.”と言われました。 イナさんの話によると、久子さんは9月12日を乗り越えられない状態であったそうですが、何とか乗り切ることができ、13日の朝になると元気になり、私たちがいた40分間はとても元気で、私たちが洗礼式を終えて帰った後から急にまた容態が悪くなり、翌日(14日)の早朝、平安のうちに天に召されたということでした。この度の久子さんの救いは、“主が生きておられる”ことを物語る出来事でした。また救霊の働きというものが、たとえそれがどのように人の目に映ろうとも、その働きを導いておられるのは聖霊なる神様であることを証明するものでした。そして、その聖霊の働きは、久子さんの場合、長きに渡るキム・イナさんの涙の祈り、またイナさんの教会の皆さんの祈り、そして、福音が語られた30分の間に背後で祈られていた祈りに対する神様の応答であったことを思います。祈りのないところには聖霊の働きはなく、聖霊の働きのないところには救霊の実も結ばれないという重要な真理を、主がもう一度私に悟らせて下さった出来事でした。 私はただ神様に遣わされ、私がそのために労苦したわけではなく、ほかの人々が労苦したものを刈り取らせていただいたのです(ヨハネ4:38)。それは、まく者も刈る者も、共々に喜ぶため(ヨハネ4:3)という御言葉が成就するためであったことを思い、すべての栄光を主にお返しします。今日の一言: 主は生きておられる平安鶴田牧師
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