ここに登場するマタイは、マルコやルカの平行記事では「レビ」と呼ばれているが、同一人物と考えてよいだろう。彼は徴税人であった。少し前に教会学校の子どもたちが演じた「ザアカイ物語」の主人公のように、ローマ帝国という巨大な権力に寄生して私腹を肥やしたり、貧しい庶民を食い物にしたりしていたのだろう。誰からも嫌われる存在であった。このような人物がイエスの弟子として招かれたのである。
今年は「イタリヤ年」とかいうことで、多くの催しが計画されているが、その一つに「カラヴァッジョ展」というのがあるらしい。カラヴァッジョは17世紀の初め頃イタリヤで名声のあった画家で、聖書に題材を取った写実的な絵で知られる。私は彼の絵に特に惹かれるわけではないが、ちょっとした関心がある。「マタイの召命」という作品は、なかなか印象的だ。
左手に徴税人マタイが座っていて、うつむいてお金を数えているらしい。その周りに何人かの仲間がいる。右手から射し込んでくる明るい光が、何かが外で起こっていることを暗示している。仲間は皆、そっちの方に気を取られている。
その時、何が起こったのだろうか。
収税所の中の薄暗がりと、外の明るい光との対照が、何かを物語っているようだ。うつむいて金勘定をしているマタイ。もちろん、イエスは収税所の前を正に通り過ぎようとしているのだが、その姿はこの絵には現れない。射し込んでくる明るい光がそれを象徴しているだけだ。そしてこの光は、イエスの呼びかけをも意味しているであろう。イエスは通りがかりに、収税所に座っていたマタイを見て、「わたしに従いなさい」(9a)と声をかけたのである。
マタイは、一見、金勘定に余念がないように見えるが、実はイエスの声に耳を澄ましているに違いない。その声が、彼を動かすかどうか。この葛藤を、カラヴァッジョは見事に描いた。
一瞬の間。それから彼は「立ち上がってイエスに従った」(9b)、と福音書は記す。
ところで、イエスの招きとはどのようなものか。
戦時中「召集令状」というものがあった。よく言われるように、「一銭五厘」の赤色の葉書に印刷されたものだが、反抗を許さない絶対的な命令であって、有無を言わさずに若者たちを兵士として召集する。むろん、戦地に送るためである。令状が来たら最後、どの家庭でも否応なしに、一家の大黒柱のような父親や、手塩にかけてようやく成人した息子たちを送り出さなければならなかったし、恰もそれが「おめでたい」ことであるかのように、涙を隠して祝わねばならなかった。イエスの招きは、このような権柄づくのものではない。彼は、いかなる権力とも無縁の人であった。
或いは、イエスの招きは、若者たちに「マインド・コントロール」をかけて犯罪的な行為に誘い込むカルト集団の勧誘のようなものでもない。
それは、真に人間らしい生活への招きなのである。
徴税人マタイは、ローマ帝国の権威を笠に着て税金を取り立てながら、その実は自分の利益のことしか考えないという、まことに人間らしくない生き方をしていた。そのマタイに向かって、イエスは「そこから出てきなさい」と呼びかけたのである。収税所の中のよどんだような薄暗がりから、明るい光の中へ出ておいで。出てきて、本当に一人の人間として隣人と出会うがいい。一人一人の隣人を大切にし、たとえ僅かの物でも分け合って共に生きるがいい。人間らしい生活の明るい光の中に入ってくるがいい。そこにこそ祝福がある。私と一緒に生きていこう!
先週は、秋田聖子さんが天に召されてから一年目の記念日だった。記念の文集が出版されて、読まれた方は深い感銘を新たにされたであろう。イエスに招かれて、彼と共に生涯を全うし、祝福された人がここにいる。
一年後のちょうど同じ日、2月8日に瀬崎富さんが82歳で地上の生涯を終えられた。陶山先生が近親の方々と共に臨終を看取られ、その先生の司式によって翌9日夜前夜式、10日の正午に告別式が営まれた。式辞の中で先生が語られたことは、列席者一同の胸を打った。瀬崎さんは、皆が枕元を囲んで聖書を読み、「主われを愛す」という彼女が特に愛した讃美歌を歌っている間に、次第に息が間遠になり、眠るように息を引き取られたという。ご苦労の多い一生だったと聞くが、イエスに招かれて彼と共に生涯を全うした人が、ここにもいる。奢らず高ぶらず、出会う一人一人の人を大切にし、共に祝福に与る。そのような生活へと、イエスは招き給うのである。
もう一つある。イエスに招かれた生活は、単純なものだ、ということだ。瀬崎さんは、皆が枕元を囲んで「主われを愛す」という讃美歌を歌っている間に、眠るように召されたというが、2年前に100歳で天に召された川西田鶴さんは、晩年この歌を英語で歌われた。Jesus loves me, this I know, for the Bible tells me so.そう言えば、年を取ってからアメリカに講演旅行に招かれた神学者カール・バルトは、ある時アメリカの一高年女性から「あなたの神学は、結局、何を言っているのですか」と聞かれた。彼はニコニコ笑いながら、"Jesus loves me, this I know, for the Bible tells me so."と答えたそうである。このような、自由で明るい、愛に満ちた、単純な生活。イエスはその中へマタイを招かれた。彼のその後については不明だが、12使徒の名前のリストに「徴税人のマタイ」(10,3)と記されていることで十分ではないか。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
Who We AreWhat We EelieveWhat We Do
2025 by iamachristian.org,Inc All rights reserved.