聖書は洗礼について何を教えていますか

「イエスは彼らに近づいてきて言われた、「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。」
(マタイによる福音書28章18〜20節、口語訳)

聖書は洗礼について何を教えていますか

フィンランド語原版執筆者: エルッキ コスケンニエミ(フィンランドルーテル福音協会、神学博士)日本語版翻訳および編集責任者: 高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

 この小文では洗礼に関する問題を扱い、このことについての聖書の教えを簡潔にまとめます。そして、洗礼が恵みの手段であること、すなわち、洗礼を通して罪の赦しを受けること、を否定する人々との対話をめざしています。私の議論の出発点はルター派の洗礼についての見解です。

 この小文は洗礼をめぐる対話の中の一つの意見の提示するものです。これを最後まで読んだ人が、洗礼をめぐる種々の対立意見のどの主張に関してどのように自分では思っているか、どの点で意見を異にするか、しばし立ち止まって考える機会となればさいわいです。その後で、読者は、洗礼に関する考えを個別のテーマにしぼって深めていくことができるからです。

 簡潔にまとめることに重きをおいたために、この小文は残念ながらかなり表面的な内容にならざるをえませんでした。取り上げることができなかったテーマとしては、たとえば、旧約聖書の予型(雛形)、洗礼者ヨハネの洗礼、洗礼にかかわる聖書の多くの重要な箇所(使徒言行録など)があります。

1)人間はその隅々にまで染み付いた罪(原罪)によって腐敗しています

 洗礼にかかわる問題は、それを適切な問題設定の枠組みに入れないかぎり、誰一人それを理解することができません。私たちがここで出発点とする見解は、「全人類は神様から完全に離れてしまっている」、ということです。

 この問題を考える上で基本的でもっともわかりやすく、まったく慰めない聖書の箇所は、ローマの信徒への手紙1章です。それによれば、神学用語でいうところの「一般的啓示」によってすべての人間は(聖書ではなく)自然を通して神様の活動の一端を知覚できるようになっています。ですから、本来ならば人類は自らの創造主を知って仕えるべきだったのに、そうしませんでした。逆に、罪を重ねることで、神様に背を向け神様を捨てました。それゆえ、今現在そうなっているように、この世は慰めのない罪と暗闇の巣窟となってしまいました。この世界では、誰一人、聖書で言う「肉」(すなわち、罪の中に落ちた自己)によっては神様のことを探そうとしません。また、神様のほうでもご自身を人間から隠して誰一人見出すことができないようになさいました。神様は「隠れたる神」です。人間はいくら自身の宗教性を駆使したところで、それで神様に近づけるわけではありません。それどころか逆に、造り主からより遠ざかってしまうことになります。

 このように、「人間は神様から完全に離れている」、というのが聖書の出発点です。聖書の核となるメッセージは次の通りです。愛の神様は、罪の中に落ち込み永遠の滅びの裁きを受けているこの世のことを、ふたたび顧みて憐れんでくださり、キリストを通して私たち人間を罪と死と悪魔の圧政下から贖い出してくださいました。キリストをこの世に派遣する前にそのための下準備として、神様はアブラハムを選んで彼の子孫を「神の民」とし、御旨をモーセと預言者とを通して告げ知らせました。こうしてできた道は神様の御子イエス様がこの世に来られるために開かれたものでした。御子の生誕によって、光は闇の中で輝き、神様は人間に近づいてくださったのです。

 この出来事は神様の大いなる愛の御業でした。旧約聖書の段階ではその準備が進められました。そして、イエス様がゴルゴタの丘で十字架にかかって死に、三日後に死者の中から復活なさった時に、それは成就されました。使徒たちとその後継者であるキリスト教会全体は、この救いの御業を全世界に告げ知らせる使命を与えられてきました。神様の恵みの活動は、使徒たちの伝えた神様の御言葉である聖書とその使徒的な説教と、洗礼と聖餐という聖礼典とを通して、私たちのもとに届けられます。

 最初の人間たちの罪の堕落の出来事以来、人は皆、この世に罪深い存在として生まれてきます(詩篇51篇)。人はほうっておけば勝手に自分の生き方を決めて、神様から離れて生活し、しまいには滅びの苦しみが永遠につづく世界に落ちていきます。「子どもは皆、キリストなしでも天の御国に入れる」、とする考えかたは人間が捏造したものであり、聖書に基づいていません。神様がキリストを通してこの罪深い世界に自ら近づいて贖いの御業を成就してくださったところにのみ、救いは存在します。「イエス様の弟子」としてのみ、人は救われるのです。そして、イエス様の弟子になるのは、洗礼を通してです。

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