86歳の殉教者 ポリュカルポス
ラスベガス日本人教会 砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を
イエス・キリストが十字架にかかられて後、約40年後の紀元69年頃に、ポリュカルポスは生まれました。彼はヨハネの福音書やその手紙、黙示録の著者である使途ヨハネの弟子であり、そのために様々な教えをヨハネから受けたと言われています。彼は幼い時から、キリストを信じる家庭に育ち、その上ヨハネのような先生から教えを受けたのですから、良きクリスチャンとなり、後にはスミナル市(現在トルコ国)の教会監督になりました。スミナルの監督になって、紀元110年にはピリピ教会の求めに応じて手紙を書き、その中で、「徳を重んじ善を行う生活をし、キリストにある信仰によって救われたのだから、万一、死ぬような事があっても信仰を捨ててはならない」と、勧めました。当時のクリスチャンへの迫害は相当なもので、ポリュカルポスにもその危機が迫っていました。彼がある一軒の農業の家に泊まっていた時、ついに兵士が捕らえようとやって来ました。信徒達は、彼を隠そうとしたのですが、彼は少しも恐れず静かに2階より下りてきて、兵士達に挨拶すると、その家の者に命じて食事を整え、親切にもてなしました。この悠揚とした老聖徒を前に兵士達は、ただ頭を下げて敬意を表すばかりでした。ポリュカルポスは、一時間程祈る時を与えてくれるように頼むと、ひざまずいて祈り続けました。祈っているうちに彼の心は歓喜に溢れ、黙しておられなくなり思わず口を開き、イエス・キリストの救いを話し出しました。兵士達は、この老聖徒の話に感じ入り、逮捕することを恐れました。しかし、市長の命令とあらばやむをえません。彼はロバにの乗せられると都にひかれて行きました。すると役人達が交互にやって来て、改宗させて命を助けようと図りました。しかし誰も彼の固い決心をひるがす事ができませんでした。ついに、役人達は怒り、ポリュカルポスの老体を、ロバから引きずり下ろして刑場に運びました。その時、突然天から声がありました。「ポリュカポスよ、勇め」そこにいた人々は、その不思議な声を聞きましたが、姿を見る事はできませんでした。聖人と言われた名高いポリュカルポスが、闘技場で処刑されると言うので、大群衆が押し寄せて、かたずを呑んで見守っていました。執行官が彼に最後のチャンスを与えようとして言いました。「キリストを呪え、そうすれば助けよう。」ポリュカルポスは答えました。「私は86年間、キリスト様に従い続けてきましたが、その間ただの一度も私に不幸をお与えにならず。恵みのみを与えてくださった。こんなにまで私を愛して下さる主を、どうして呪うことができましょう。」そこで執行官は「もし命令に従わねば、猛獣の餌食にするがよいのか」「たとえ、どのようにされても、公平に扱って下さる神のみもとに行くだけです。」「猛獣を恐れぬのなら、火で焼き殺されてしまうがどうじゃ。」「火であるとな。それならば、しばらく燃えてすぐ灰になる。本当に恐ろしいのは、来るべき審判の火と永遠の刑罰である。」そのように答えると、ポリュカルポスの顔は喜びと確信に満ち溢れ、実に平和な顔で微笑んでいます。これを見ていた群集は激怒し、「火で焼け!」「焼き殺せ」と叫び、たちまち山のような薪を運びこみ、彼をその真ん中にはりつけにして、火をつけました。火炎は天をも焦がす勢いで燃え上がりました。ところがどうした事か、炎はまるでアーチのようにポリュカルポスの身体を取り囲み、少しも焼けないでいたのです。群衆は彼の眩しく輝いている顔を見ているだけでした。執行官はやむなく兵士に命じて、彼の脇腹を槍で突いて殺したのでした。群集は、この有様を見て、神が彼と共にいたことを認めるほかはなく、感動し胸を打って立ち去りました。
「ネブカデネザルよ、この事について、お答えする必要はありません。もしそんなことになれば、わたしたちの仕えている神は、その火の燃える炉から、わたしたちを救い出すことができます。また王よ、あなたの手から、わたしたちを救い出されます。たとえそうでなくても、王よ、ご承知ください。わたしたちはあなたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません。ダニエル書3:1-18」(LVJCCブログ制作チーム:Kao)
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