プラス∞の人生”

ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

今日は、‘プラス∞の人生’について考えてみました。

このような美しい場面が描かれている名画を見たことがあります。それは、一人の農夫が畑を耕す手を止め、握っていた鋤(すき)を下ろして地面にひざまずき、両手を合わせて祈っていると、そこに天使が来て、祈る農夫の代わりに畑を耕したという場面です。

人々はそれぞれ自分の畑を耕しています。それがすべての人の人生です。ある人は畑を耕しながら神様と交わる時間を持ちます。そしてある人は、休まずに、ただひたすら働くだけです。この両者の生き方には非常に大きな違いがあります。神と交わる時間は、与えられた務めに対し、神の前で点検を受ける時間であると共に、神から知恵をいただく大切な時間です。

イエス・キリストは、岩の上に家を建てた賢い人と、砂の上に家を建てた愚かな人の譬えを用いて、人生という家の建て方を教えられましたが、そこでは、キリストの言葉を聞いて行う人を岩の上に家を建てた人に、そしてキリストの言葉を聞いても行わない人を砂の家に家を建てた人に譬えられています。この二つの家は、見かけは甲乙つけがたい立派なものですが、嵐や洪水が押し寄せて来たときに、その違いが明らかになるのだとキリストは言われました。つまり、岩の上に建てられた家は嵐や洪水が来てもしっかり立ち続けることができましたが、砂の上に建てられた家はひとたまりもなく倒れてしまいました。なぜ両方とも立派な家に見えたにもかかわらず、片方だけが立ち続けることができたのでしょうか。それは、その家が岩の上に建てられていたからです。

さて、話を戻して、祈りのある人生と、祈りのない人生について考えてみます。祈りのある人生とは、神と共に生きる人生であり、神の知恵と力と助けが伴う人生です。言うまでもなく、祈りのない人生とは、神が共におられない人生であり、自分の知恵と力と経験だけを頼りに生きる人生です。

あの偉大な使徒パウロは、人間的には誰よりも自分に自信を持っていい筈の人でしたが、その彼が、イエス・キリストを知り、人間の弱さと限界に目が開かれたとき、「キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。・・・・・私が弱いときにこそ、私は強いからです」(2コリント12:9-10)と言いました。

つまり、自分を頼りとして生きる人生はプラスαの人生であり、神に信頼し、神と共に生きる人生はプラス∞の人生だということです。そして、プラス∞の人生とは、まさにこの‘鋤を下ろして両手を合わせる農夫’の生き方なのです。

どんなに忙しくても、しばらく鋤を下ろして祈る時間を持ちましょう。

今日の一言: プラス∞の人生を生きよう

平安

鶴田健次

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