利己主義と所有物

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「利己主義と所有物」

秋葉 正二
イザヤ書61,1-5 ;

 「金持ちと貧しいラザロ」の譬え話から学びます。テーマは何でしょうか? 貧しい者と金持ちの対比がまず出てきます。金持ちは毎日贅沢に暮らしており、この金持ちの門前には惨めな姿のラザロという俗に言う乞食がいたことがまず示されます。ラザロの姿は実に哀れで、これ以上の悲惨な姿はないだろうと思われるほどです。話の筋には直接関係ないようですが、21節には犬が出てきて、できものだらけのラザロのできものを舐めていたというのですから、時代的な犬への蔑視も感じます。当時は野生の犬が多くいたでしょうから仕方ないとも言えますが、どうも聖書の犬に関する記事はろくでもないものが多すぎます。ラザロの貧しさを強調するために、ラザロと一緒に犬まで貶められているように思えて、愛犬と蜜月の12年を過ごした人間としては、話の最初からあまり気分がよくありません。

 まあそれはともかく、話の筋は進んで、金持ちもラザロも死んでしまいます。そうして22節からは、あの世における二人の姿の描写に移っていきます。ユダヤ世界では、死後の世界についての思想はまちまちですが、少なくともこの譬えにおいては、金持ちがいる陰府は死者がさいなまれる所として描かれています。24節には『炎の中で悶え苦しむ』という表現が出てきますから、逃れることのできない苦しい暗い地の底といったようなイメージでしょうか。そしてこれとは対照的に、ラザロが天使に連れて行かれた死後の世界は、信仰の父であるアブラハムがすぐ側にいる宴席だったと言うのですから、何ともまあコントラストが際立っています。一般的に表現すれば、天国と地獄が並んで描かれているわけです。

 金持ちが悶え苦しむ地獄からは、はるかかなたに天国のラザロが見えたとありますから、この二人の環境は生前と死後とで逆転したことになります。生前の金持ちが悪いことをしていたとか、ラザロが信仰深かったなんていうことはまったく書かれていないので、どうも生前の生き方に応じて、因果応報の報いを受けたということではないようです。イエスさまは権力ある者や富める者を低くされ、貧しい者や弱い者を高めるという方向性をたびたび示されますので、私たちはその線に従ってこの話でも結論を予想したくなりますが、まったくそれはなく、ただ単に二人の環境が変わったということですから、言われているのは、この世とあの世の基準は逆転しますよ、ということのようです。別な言い方をすれば、神さまは人間とはまったく別な考え方をされるお方だ、ということでしょう。

 その逆転の仕方として描かれているのが、金持ちは陰府に移され、一種の刑罰の場所としても考えられていた陰府で苦しみを受けねばならなかった、……反対に乞食のラザロは、特段何もしていないけれども、天国の宴席に招かれていた、ということなのです。ただよく読むと、生前ラザロが門前で物乞いをしていてもこの金持ちは彼に何もしてやらなかったという点が浮かび上がってきますから、貧しさにあえぐ者を同じ人間仲間として受けとめる心を持っていなかったということが読み取れる気がします。

 弱り目に祟り目に会っているような人の心を受け入れることのできない人間は金持ちであろうとそうでなかろうと、神さまの秩序によれば天国には行けないよ、という主張があるようにも思えます。もし自分がこの金持ちのように陰府で苦しんでいるとするなら、まちがいなく同じように「助けて、指先の水で舌を冷やして」と願うでしょうから、そうならないために、私たちは生前どう生きたらよいかを考えなければならないとも思うのです。結局この金持ちは富に寄り掛かって生きたけれども、神さまに自分の生き方を相談するようには生きなかったのです。ですからそこには悔い改めが見出せません。

 ラザロだってその意味では金持ちと同様、悔い改めの生活などは送らなかったかも知れませんが、彼はあまりにも貧し過ぎたのでそうしたことを考える余裕もなかったのです。神さまは慈愛のお方ですから、そうした環境に置かれたラザロを無条件に天国の宴席に招かれたのでしょう。金持ちは24節で『父アブラハムよ』と呼びかけて、27節,30節でも三度救いを求めて叫んでいますが、これは言わば血縁による救いを求める姿です。彼はラザロの名前を出していますから、門前で乞食生活をしていたラザロを知っていたということになります。ラザロが飢えた生活をしていたけれども、その姿は金持ちの眼中にはなかったのです。そういう憐れみの心に欠けた生き方をしていたのです。

 25節と26節には、金持ちの「父よ」という呼びかけに答えるようにアブラハムの言葉が記されています。アブラハムの指摘は、一つは生前の環境のこと、もう一点は、兄弟5人のことを持ち出した金持ちに対して、血の繋がりを認めつつも、モーセと預言者を引き合いに出しながら、血縁など救いには何の役にも立たないよという結論でした。「モーセと預言者に耳を傾けるがよい」というアブラハムの言葉は、貧しい人々や自分よりも弱い立場に置かれている人々への憐れみや優しさを指し示しているのです。

 この譬え話の結論に至って、イエスさまはそれまでのご自分の生き方を確認するように、権力者や金持ちが低くされ、貧しい者や弱き者が高められるという神さまの心を確かめられたのだと思います。イエスさまがこうした譬えを持ち出された背景には当然当時の時代背景があったでしょう。権力者や金持ちがどう生きているか、あるいは貧しい者がどんな辛酸を舐めなければならなかったか、時代を正確に見る目がそこには反映されているはずです。現代に生きる私たちもこの時代の貧と富の姿を冷静に観察することがまず必要でしょう。

 いま多くの日本人が貧困に沈みつつあります。6人に一人が貧困状態なのだそうです。国民の所得分布の中央値が年収約250万円。年収がその半分の120数万円に満たない貧困状態が既に2012年に16パーセント超になっているということです。しかも今年は既に生活保護受給者が200万人をはるかに超えて、過去最高だそうです。同志社大学の教授で、カトリック信徒の浜矩子さんが先日書いておられましたが、今の政府の経済政策は金持ち優先であるとのことです。首相は株価も上がり、大企業の業績も伸びつつあると指摘した上で、やがて全国津々浦々にこの富は広がって行くだろう、と力説していますが、これは浜さんに言わせると金持ち優先政策なのだそうです。

 確かに株価が上がって喜ぶのは株を買うことのできる富裕層なのであって、貧しい者には株は無縁です。それに大企業は業績を伸ばしているけれども、多くの中小企業は相変わらず不景気に喘いでいます。首相の視界の中にあるのは富める者たちであり、大企業であって、決して貧しい人々ではない、と浜さんは指摘します。これは「貧しい者は後回し」の政策ではないかというのです。私はだいぶ前から浜さんの言説には注目してきましたが、それは彼女の視点の中に聖書を読んでいる者に特有な姿勢を感じるからです。言うなれば、イエスさまの基本姿勢とも云うべき物事を見る発想の仕方を感じるのです。生活保護世帯は過去最多を更新し続けていますが、その構成比を見ると高齢者と障害者・傷病者が多く、全体の7割以上を占めています。そうした人たちは事実上働くことができない人たちでしょう。

 なぜなら保護費の内訳を見ると、医療費が半分以上だからです。不正受給がけしからんとよく言われますが、不正受給は生活保護費総額の0.5パーセントだそうですから決して多くはありません。私も前期高齢者の仲間入りをしましたが、高齢者はどんどん増えているのですから、今後も生活保護世帯が増え続けるのは間違いないでしょう。生活保護世帯は現代の社会的弱者です。生活保護費を削減せよと叫ぶだけでなく、年金や医療や介護など社会保障関係予算全体の中で議論していく必要があるように思います。厳しい言い方ですが、教会に集う人たちの大半は「貧困は他人事」だと考えているのではないでしょうか。もしそうだとすると、私たちはもう一度丁寧に、例えばきょうのテキストなどでイエスさまの言葉と向き合わなければなりません。

 イエスさまの時代は奴隷制の時代ですから、現代では想像もつかないほど弱い立場の人々は苦しんでいたことでしょう。しかし私たちの時代も現実に貧困の闇は広がりつつあり、この国を覆い始めています。政治家には政治家として、この事実に向き合って効果的な政策を打ち出してもらわねばなりませんが、私たちもキリスト者として、大衆層の貧困化という事実にきちんと向き合って、私たちなりの対策、例えばどんな為政者を選ぶかなどということを考えていくことが求められています。私たちは単純にイエスさまを貧者の権利の代弁者に祭り上げて、社会革命家に仕立ててはならないと考えますが、少なくとも、富や財産そのものではなく、それから生じる危険性と、それらによって危険にさらされている人たちのことは常に考えておく必要があります。

 神さまは全能のお方ですから、有限な私たちとは違って、貧富の問題も世の尺度とは異なるご自身の尺度で計られるはずです。私たちも神さまの知恵の一端に触れることができるように聖書を読みつつ努めてまいりましょう。祈ります。


 
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