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- 秘められた計画
⇒(MP3, 32kbps)「秘められた計画」廣石 望申命記7,6-117;I 明日は、71回目の敗戦記念日です。それはかつての戦没者の慰霊と並んで、過去の歴史や未来をどう捉えるかが問われる日でもあります。キリスト教が成立してゆく最初期にも、歴史理解をめぐる大きな問題がありました。とりわけ、出身母体であるユダヤ教との関係をどう理解するかという問題です。今日は、パウロのテキストを手がかりに、そのことをごいっしょに考えてみましょう。II キリスト教がユダヤ教から分離し、独立していった最初の大きなきっかけは、第一ユダヤ戦争におけるユダヤ側の敗北でした(紀元70年)。その後、さまざまな要因が働いて、分離は長い時間をかけて進んで行きました。他方で、パウロがローマ教会宛の書簡を書いたのは紀元1世紀の50
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- 神への愛・人への愛
⇒(MP3, 32kbps)「神への愛・人への愛」廣石 望申命記6,1-9;I イエスは、神への愛・人への愛を「最も重要な戒め」として教えました。それはマタイ、マルコ、そしてルカによる福音書に伝えられています(マタ22,34以下、マコ12,28以下、ルカ10,25以下)。本日のテキストであるルカ福音書が伝えるヴァージョンの特徴は、人への愛が「良きサマリア人」の譬え(ルカ10,30以下)と組み合わされている点です。この有名な譬えは、ルカ福音書だけに伝えられています。 今日は、この聖書箇所を手がかりに、神への愛と人への愛の関係について、ごいっしょに考えてみたいと思います。II その前に、新約聖書における「愛」という言葉について、二つほど基本的なことを申し上げます。 第一は新約聖書、とりわけパウロ
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- 寄留者と共に喜び祝え
⇒(MP3, 32kbps)「寄留者と共に喜び祝え」秋葉正二;ルカによる福音書10,25-37 以前にもちょっと触れたことがあると思いますが、数年前の夏休みにもう故人になられた加藤周一さんの代表的著作の一つである『日本文学史序説』をじっくり読みました。 筑摩文庫版上下巻で、総ページ数は1000頁を超えます。 結構忍耐を要しましたが、宗教に関する著作を論じる部分の興味しろさは抜群で、なぜ日本でキリスト教人口が1パーセントの壁を越えることができないのか、といった問題について一つの解答を示された気がしました。 その少し前に辻邦生さんの「西行花伝」を読んだところでしたので、平安時代のリーダーである貴族たちが聖徳太子以来の仏教、あるいは空海や最澄のもたらした仏教を信仰という視点で深められなかった理由や
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- 貧しいやもめの献金
⇒(MP3, 32kbps)「貧しいやもめの献金」秋葉正二申命記14,22-29; 平和という言葉には「穏やかで変化がない」という意味と、「戦争がない」という意味があります。どちらの意味にとっても、2016年がとても平和であるとは言えないでしょう。連日のように殺人事件が報じられ、それも、なぜそうした犯罪が起こったのか理由がまったく分からない場合も少なくないので、一体世の中はどうなっているのだ、と首を傾げざるを得ません。戦争はシリアをはじめとしてもちろん続いています。そうした世界情勢を背景にして、日本の自衛隊も武力紛争の現場へ派遣されるのは当たり前という風潮になってしまいました。ところで、平和に関する聖書の言葉で最も有名なものに「山上の説教」の〈平和を実現する人々は、幸いである〉があります。口
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- わたしは復活であり、命である
⇒(MP3, 32kbps)「わたしは復活であり、命である」秋葉正二ダニエル書12,1-4; 11章全体にわたって、「ラザロの死と復活」にちなむ一連の出来事が記されています。 表現は具体的でリアルです。 その中にイエスさまの説教とも言うべき話が抽象的に入り混じっています。 ヨハネ福音書のテーマを二つあげるとすれば、「世の光キリスト」と「生命のパン・生命の水キリスト」だと思いますが、これらのテーマを交互に用いながら、クライマックスに向けて高めていくというのが、ヨハネの福音書の構成方法です。 例えば、少し前の9章では、「世の光キリスト」がまったく光のない世界に生きる盲人を癒すという物語が、罪の裁きと赦しという説教を伴って描かれています。 10章は「良い羊飼い」の説教で、それはつまり羊を導くもの
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- 万民の救い
⇒(MP3, 32kbps)「万民の救い」秋葉正二イザヤ書52,7-10; テキストは信仰義認がテーマです。信仰義認は「聖書のみ」「万人祭司」と並んで、宗教改革の根幹であり、プロテスタント信仰の三大原理の一つだとも言われます。ルターは宗教改革当時のカトリック教会の腐敗の原因を「善行により神は人を義(正義)とする」という行為義認だと捉えました。そうではなく、「人は信仰によってのみ義とされる」と主張したのです。その根拠として最も重要な文書を「ローマ書」に見たわけです。つまりパウロの主張をルターは積極的に取り入れたと見ることができます。もちろんカトリック教会の主張もあり、「信仰」「善行」「義認」をどう理解するかという難しい問題が対カトリックのみならず、プロテスタント諸教派間にもあることを頭に入れて
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- 神の国から遠くない
⇒(MP3, 32kbps)「神の国から遠くない」秋葉正二申命記6,4-5; きょうのテキストには復活についての問答を聞いていた一人の律法学者が登場します。 「一人の」とわざわざことわりがありますので、いわゆるイエスさまの論争相手として登場する律法学者たちとは一線を画する人物だとの意味が込められているのでしょう。 実際読み進みますと、この人物は福音書に登場する律法学者としては異色という印象を受けます。 質問もきわめて真面目で、イエスさまを試してやろうなどという下心は感じません。 『あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか?』 これに対するイエスさまの応答は、「第一の掟はこれである……そして、第二の掟はこれである」という旧約聖書を引用した答え方になっています。 29~30節の第一の掟の指摘で
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- 苦い水と甘い水
⇒(MP3, 32kbps)「苦い水と甘い水」秋葉正二;マタイによる福音書5,17-20創世記は50章にもわたる壮大な文書ですが、11章以降は族長物語です。それは大家族の歴史物語でした。これに対して出エジプト記は民族の歴史の叙述と言えます。出エジプト記は大きく三つの内容に分けられます。エジプト脱出、荒野での出来事、そしてシナイでの十戒授与です。きょうのテキストはそのエジプト脱出と荒野の出来事がつながる部分に位置しています。出エジプト時代とは紀元前1290年頃から1250年頃を指し、モーセの指揮のもとにエジプトを脱出し、40年にわたる荒野の放浪と試練の旅を経て、カナンに帰着するまでの期間です。ところで「律法書(モーセ五書)」は4つ乃至5つの資料に基づいて編集されていることはご存知だと思います。
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- 離婚問題
⇒(MP3, 32kbps)「離婚問題」秋葉正二申命記 24,1-4; テキストのテーマは「離婚」ですが、そもそも結婚がなければ離婚もないわけですから、まず結婚について聖書はどう言っているか、キリスト教はどのように結婚を捉えてきたかについて考えようと思います。 現代では伝統的な男性観、女性観が問い直されています。 聖書が示す男女の姿にしても、たとえばフェミニスト神学の問題提起を受けて、批判的に読まれる時代です。 男と女について、皆さんならば、まず聖書のどこを思い浮かべるでしょうか。 私ならば創世記の冒頭にある創造物語とそれに続く楽園物語をイメージします。 『神は御自分にかたどって人を創造された。……男と女に創造された』 という箇所です。 神さまにかたどって人間が創られたというのですから、それ
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- 信仰と不信仰
⇒(MP3, 32kbps)「信仰と不信仰」秋葉正二;ヘブライ人への手紙11,1-3 テキストは創世記の族長物語のアブラハムに関する一節です。まだ名前はアブラムですが、やがてアブラハムになります。アブラムは父テラの死後、一族を率いてカナンに入りましたが、飢饉に見舞われて一時エジプトへ移ります。しかしエジプト行きは大失敗に終わっています(12章10節以下参照)。けれども、アブラムは経済的資質に恵まれていたようで、エジプトからたくさんのお土産を持ち帰っています。ずっと甥のロトが一緒で、彼も羊や牛などの財産を築くようになっていました。いつでも一部族として分離できる状態です。つまりエジプトへ行く前とは大違いの状況になっています。そこで一つの問題が起きました。6-7節です。『その土地は、彼らが一緒に住
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- 人の子が来る
⇒(MP3, 32kbps)「人の子が来る」秋葉正二ホセア書4,1-3; 相変わらず明るいニュースが少ない昨今です。 アベノミクスで景気が上向いたなんて言われてもいますが、賃上げやボーナスが増えて喜んでいるのは、一部の大企業だけという気がします。 恩恵に与れずに過酷な状況に喘いでいる業界も多いのでしょう。 このところよく耳にするのは、「長時間労働」とか「非正規雇用」といった言葉です。 グローバル経済と言われるように、経済状況は一国の問題では済まないと言われていますし、政治にもあまり希望が持てないということになってくれば、この先世界はどうなっていくのだろうかと心配になります。 社会全体がこうした暗いニュースばかりに覆われていくと、またぞろ「世の終わりは近い」という思想が顔を出してくるかもしれ
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- 皇帝への納税は律法に適うか
⇒(MP3, 32kbps)「皇帝への納税は律法に適うか」秋葉正二ダニエル書2,20-22; 明日10月31日は「宗教改革記念日」ですので、一般的にプロテスタント教会は直前の日曜日に宗教改革記念礼拝を守ります。 くれぐれもハロウィーンとやらに惑わされないでください。 キリスト教に関係ないことはないのですが、もともと異教の風習に由来するものです。 来年は宗教改革500年ですから、きっと世界各地でいろいろな催しが行われるでしょう。 「宗教改革記念日」は私たちの信仰について、あるいは教会についてなど、いろいろなことについて考えるよい機会になります。 私は今回プロテスタント教会が発足した時代に対立軸として存在していたカトリック教会について考えてみました。 ガリラヤ会の皆さんは、先日陶山先生が宗教改革
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- 神を待ち望む姿勢
⇒(MP3, 32kbps)「神を待ち望む姿勢」秋葉正二詩編130,5-8; 「ペトロの手紙」は紀元90年代、ドミティアヌス帝の時代に入ってから、使徒ペトロの名前を使って書かれた書物と見なされています。きょうのテキストの冒頭には、この手紙の結びに向けて、万物の終わりが近いことが述べられています。万物の終わりというのは、もちろん終末論ですが、当時の教会にとってそれは観念論ではなく、迫りつつあると自覚していた現実でした。実際に体験しつつある試練でした。教会に属する人々が次々に殺されていくという切迫した事態の中で書かれた書簡であることを、私たちは最初によく理解した上で読む必要があります。 現代の日本のように戦後70年も平和が続いていると、そこに生きている私たちが苦難とか迫害とかを緊張した状況として
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- 本国は天にあり
⇒(MP3, 32kbps)「本国は天にあり」秋葉正二イザヤ書66,22; きょうのテキストにある 『わたしたちの本国は天にあります』 という一節は、60歳を過ぎた頃から私にとってもっとも平安を与えられる箇所の一つになりました。 還暦を過ぎる頃というのは、自分の人生がいわゆる黄昏時に差しかかる時でして、両親や叔父や叔母たちも次々に亡くなっていく時期ですから、この一句は心にしみます。 若い方々は実感がないと思いますが、やがて私と同じような気持ちになる時を必ず迎えます。 ギリシャ語の訳の問題なのですが、文語訳では 『我らの国籍は天に在り』 でしたし、口語訳も 『わたしたちの国籍は天にあります』 ですから、私にとっては「国籍」という訳の方が馴染みがありました。 浅草教会の牧師をされた永井直治
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- 朽ちない絆に与かる礼拝
⇒(MP3, 32kbps)「朽ちない絆に与かる礼拝」陶山義雄イザヤ書56,1-8;教会の暦で本日は「終末主日」と呼ばれています。そして来週・11月27日はいよいよクリスマスの時節を迎えて、「待降節第一主日」になるのです。教会にとって本日は1年を締めくくる最後の週となる訳です。物事に始めがあるように、終わりも訪れます。人の一生も誕生に始まり、死をもって終わります。宇宙、世界にも始めと終わりがあるのですが、その有様を見届けることが出来るのは創造主のみである筈です。創造主を仰ぎ、信じる教会と信徒にとって、1年の始まりを、主のご降誕を待ち望む待降節から数え、「終末主日」に続く1週間を年の終わりとして迎える、そのような1年のサイクルの中で、私たちは創造者である神のご経綸の中に生き、また死を迎える存在
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- 新しい抑圧なき社会へ
⇒(MP3, 32kbps)「新しい抑圧なき社会へ」秋葉正二;ルカによる福音書4,18-19 トランプ大統領の誕生で世界はこれからどうなっていくのか、どの国も固唾をのんで見守っています。 戦後世界の常識がこれからは通用しなくなるかもしれません。 オバマさんは少なくとも国際社会との協働を目指していました。 それが戦後世界の秩序だったからです。 で、多くの人はトランプ大統領がそうした秩序そのものに関心がないのではないか、と心配しているのだと思います。 でもよく考えると湾岸戦争の頃からすでに世界の秩序は崩れかかっていて、アメリカ一極ではない多局化が始まっていたように思えます。 ですからおそらくこれからは不確実性の時代に入っていきます。大国が軍事と経済の分野で力を示そうとするのは間違いないことでしょ
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- キリスト者の希望
⇒(MP3, 32kbps)「キリスト者の希望」秋葉正二ヨブ記42,1-6; 初期ユダヤ教においては、エルサレムの権威者がディアスポラ(離散)のユダヤ人共同体に宛てて手紙を送り、祭儀的な指導をしたり、異邦人社会でどのように信仰を守って生活すべきかを説いたりする伝統がありました。初期のキリスト教がその伝統を借り受けたことが、使徒言行録のバルナバ派遣などの記事から分かります。そのような状況下、本書は教会の世俗化に対して警告を与えています。教会の人たちが神さまの意志に従うことよりも、世俗社会の価値観を優先して、信仰者としての本来あるべき姿を失っていたことを著者は非難するのです。パウロは信仰義認を説きましたが、これがややもすると教会の中で誤解されていたようです。つまり信仰と行為との生命的な結びつきが
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- 福音の管理責任
⇒(MP3, 32kbps)「福音の管理責任」秋葉正二申命記18,15-19; 使徒パウロの仕事は福音の伝道者です。 その行動力は驚くべきもので、単独で、時には仲間と多くの都市を巡り歩きました。 聖書の巻末に「パウロの宣教旅行1,2,3」と「ローマへの旅」と題して数枚の地図が載っています。 地中海圏は当時の世界ですから、文字通り世界を股にかけて伝道旅行をしたのだなと、今更ながら尊敬の念を込めて感心せざるを得ません。 しかもただ巡り歩くのではなく、手紙を書くために執筆し、労働者として仕事にも励むといった面も備えています。 きょうのテキストでは1節で自分を 『キリストに仕える者、神の秘められた計画を委ねられた管理者と考えるべきです』 と書いています。 管理者という言葉にちょっと違和感を覚えました
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- 二人の女性とインマヌエル
⇒(MP3, 32kbps)「二人の女性とインマヌエル」秋葉正二イザヤ書26,1-6; 教会の使命は福音宣教ですが、一口に福音宣教といっても具体的な活動は多岐にわたります。教会の活動の基はすべて福音宣教にあることを私たちは承知しているわけですから、あらゆる教会活動はその活動を担う人たちが一つにまとまって進められるはずです。ところが現実にはそううまくは行きません。たとえば役員会で取り決められる事柄を見ても、必ず全会一致で事が運ぶわけではありません。それでも役員の皆さんが最後に一つの議案を決議できるのは、人間の理性を超えたある働きがあることを認めているからです。この世の言い方をすれば、寛容とか柔和とか柔軟性ということになるのでしょうが、それだけならばキリスト者でなくても寛容な心を持った方は世間に
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- 私たちが生きるようにと
「私たちが生きるようにと」廣石 望I 皆さん、クリスマスおめでとうございます。 クリスマスはキリスト教徒にとっても、キリスト教徒でない人々にとっても、愛と平和の祭です。私たちは子どもたちが守られ、病気の人たちが慰められ、恵まれない人々に暖かい支援が差しのべられるよう願い、知恵を合わせて行動します。今日の聖書箇所の冒頭に、「愛する者たちよ、私たちは互いに愛し合おう」とある通りです。 II しかし私たちの世界には愛と平和だけでなく、はっきりとした憎悪と破壊もあります。まるで二つの現実があるかのようです。それだけではありません。私の属する人々に対する愛情が、そうでない人々に対する憎しみに直結していること、私たちの平和を守ろうとして外側の人々の暮らしを壊すという場合もあります。 法律を重んじる社会に

- The Cross Pendant
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
