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血を流してはならない

⇒音声を聞く(MP3, 32kbps)「血を流してはならない」秋葉正二;フィリピの信徒への手紙2,12-18 新年明けましておめでとうございます。昨年は複雑な様相を呈しているシリアの内戦がますますひどくなり、一昨年に引き続いて難民がヨーロッパ各地へ押し寄せました。その影響で、ヨーロッパ各国では難民排斥を訴える右翼政党が躍進しました。EUを離れる決断をしたイギリスもそうですが、EUの中核ともいうべきドイツやフランスまでもがその波をかぶっています。私たちの国は地理的に離れていることもあり、おそらく多くの日本人は難民を気の毒には思いつつも、対岸の火事的に眺めているのが実情だと思います。 私は一言でいうとヨーロッパの歴史を築き上げてきたキリスト教が問われている事態だと考えています。キリスト教には「よ

わたしたちは証人です

⇒(MP3, 32kbps)「わたしたちは証人です」秋葉正二イザヤ書61,1; テキストは「コルネリウス物語」と呼ばれる使徒言行録の中で最も長い物語の一部です。  コルネリウスはイタリア隊の百人隊長ですが、ペトロを異邦人伝道の第一人者にしてゆく重要な人物です。  テキストはコルネリウスの家に招かれたペトロが福音を告げる場面で、これは異邦人に対するペトロの最初の説教です。 43節までのこの説教を読んでいると、キリスト教の教えの内容が順序良く整理されて述べられ、キリスト教信仰のエッセンスの説明を受けているような感覚に捉われます。  『あなたがたはご存知でしょう』と呼びかけられれば、思わず 「はい」 と答えてしまいそうです。  聖書学者によればこの部分にはヘレニズム的宗教の用語法が見られるとのこと

ぶどう酒に変わった水

⇒(MP3, 32kbps)「ぶどう酒に変わった水」秋葉正二  テキストは「カナの婚礼」と呼ばれる有名な箇所です。  すぐ前の1章には洗礼者ヨハネの記事と最初の弟子たちのことが書かれています。  それに続いてきょうのテキストがありますので、イエスさまのガリラヤでの最初の行動ということになります。  舞台は婚礼の披露宴。  場所はガリラヤのカナで、イエスさまと母マリア、そして弟子たちも招かれています。  マリアと言いましたが、ここではなぜか固有名詞は使われず、「イエスの母」あるいは単に「母」です。  さて、ユダヤの婚礼は大変派手でした。  花婿は花嫁を迎えに行き、自分の家に連れてきます。  そこに親戚やら友人たちやらが招かれて盛大な宴が催されます。  マタイなどには天国に絡めた婚宴の喩え話があ

百人隊長の懇願

⇒(MP3, 32kbps)「百人隊長の懇願」秋葉正二イザヤ書2,2-5; テキストの主人公は百人の兵士からなる古代ローマ軍の部隊長、百人隊長です。 ローマ軍団は6千人から編成されており、これが60の百人隊に分けられていました。 百人隊長はローマ軍の中軸と呼ばれ、優秀な人材が集められていました。 ローマの軍隊ですから、ユダヤ人から見れば、百人隊長は当然異邦人ということになります。 このことは物語全体のポイントになることですから頭の隅に置いておいてください。 このテキストの場合、ローマ軍とは言っても、カファルナウムを含むガリラヤ地域の領主であったヘロデ・アンティパスが雇ったサマリア人や異邦人を含んだ混成の外人傭兵部隊であったとも考えられますから、もしそうならば、百人隊長にはなおさら一癖も二癖も

神はこれを見て、良しとされた

⇒(MP3, 32kbps)「神はこれを見て、良しとされた」秋葉正二;ヨハネの黙示録22,1-2 本日の礼拝のテーマは、〈地球環境の問題を祈り考える〉です。 そこできょうのテキストは創世記を取り上げました。 地球環境が痛めつけられていることは、すでに20世紀から指摘されています。  大規模公害、無計画な森林伐採、大型タンカーの事故などが次々と報じられてきました。  それに対して人類が有効な対策を講じてきたかと言えば、決して充分とは言えません。 とりわけ地球温暖化現象は地球上のどの国にとっても共通な課題ですから、対策を急がなければなりません。 温暖化がもたらした結果として、すでに豪雨や干ばつなどの異常気象の増加が報告されていますし、生態系への影響も深刻で、貴重な遺伝子の減少が始まっています。 

わたしも赦します

⇒(MP3, 32kbps)「わたしも赦します」秋葉正二イザヤ書53,5-6; 罪と罰といえば、それは法の原則です。 教会の中にもその考え方は適用されるようになり、今ではどの教団にも様々な懲戒規定があります。 きょうのテキストでも、6節の記述から、コリント教会にはパウロを苦しませた人がいたことが窺えます。 「その人」と書かれているだけですが、一体どこで何をしたのでしょうか? コリント教会にはいろいろな厄介事が起こっていますから、そのような人物が出たとしてもそんなに驚かないのですが、パウロは「その人」のことを、この手紙で今またあらためて糾弾しようとしているわけではなさそうです。  すぐ前の5節の記述から判断すると、パウロは自分が悲しんだだけではなく、「その人」はコリント教会の人々をも「ある程度

今日、救いがこの家を訪れた

⇒(MP3, 32kbps)「今日、救いがこの家を訪れた」秋葉正二創世記17,5-6; 有名な「徴税人ザアカイ」の話です。 皆さんもうご存知だと思いますが、一応物語の背景についていくつかの点を確認しておきます。 まず物語の舞台エリコという町です。 ヨルダン川方面からの交通の要所で、税関所がありました。 そこで働く徴税人は、ローマ帝国から関税徴収を請け負う委託業者です。 徴税する際、住民から不当なマージンを稼ぐのが普通だったと言われています。 ですから彼らは一種の詐欺師や泥棒と見なされていて、法廷で証人に立つ資格さえ与えられていませんでした。 お金を稼げる分、人々から軽蔑されなければなりませんでした。 ましてやザアカイは徴税人の頭であったと2節にありますから、嫌われ方は徴税人の中でも人一倍だっ

御言葉はあなたのごく近くに

⇒(MP3, 32kbps)「御言葉はあなたのごく近くに」秋葉正二;ローマの信徒への手紙10,5-13 申命記の冒頭には(1,5)、イスラエルの民が荒野の旅を経てようやく「約束の地」カナンの入口に辿り着いたことが書かれています。  聖書の付録の地図の2,3で場所を確認できます。  さて、モーセはそこで荒野の旅を振り返り、あのシナイの契約の精神をもう一度説き聞かせて、イスラエルの人々に唯一の主ヤーウェへの忠誠を勧めて死んでいきます。  申命記の内容を一言で言えばそういうことになります。  ですから申命記はモーセの告別説教だとも言われます。  しかし同時に申命記は、全体としては契約文書の形を取っていて、シナイ契約をモアブの地で再確認する文書でもあります。  要するに申命記は教えの形をとった契約の

夜明けの歌を歌おう

⇒(MP3, 32kbps)「夜明けの歌を歌おう」増田琴哀歌3,1-24;ただ今入力作業中です。しばらくお待ちください。

先頭に立ってエルサレムへ

⇒(MP3, 32kbps)「先頭に立ってエルサレムへ」秋葉正二イザヤ書50,6-7; 教会暦はレント(受難節)に入りました。 イースター前の一定期間を特別に区別して守る慣習は紀元2世紀頃まで遡ると言われます。 こんにち教会で守られているような意味でのレントでも、4世紀以来ほとんど変わっていないそうですから、伝統というものは凄いものです。 昔は受洗前の信仰の修練のために、あるいは熱心な信徒たちの自己修練のために断食までが盛んに行われたと伝えられていますから、昔の信仰者の生活の仕方は半端ではありません。 現代の私たちが昔の習わしをそのまま実行する必要はないのですが、それにしても、もう少し何か信仰生活において励まされるような修練を積むことができないものか、と思わされます。 その意味できょうのテキ

神の愛がわたしたちの心に

⇒(MP3, 32kbps)「神の愛がわたしたちの心に」秋葉正二エレミヤ書9,22-23; 5章の小見出しには「信仰によって義とされて」とあります。 「信仰によって義とされる」ことは私たちの性格や道徳心が強化されるということではありません。 私たち人間の側の不信仰によって崩れてしまっている神さまとの関係が、義と認められることによって成立することを表しています。 3節から4節に、有名な 『苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む』 という表現がありますので、私たちはまず義と認定されて、次にその義が認定にふさわしいように実質的に実を結び、さらにはキリスト者として完成の域に達する「聖化」へとその信仰は深められていくという、信仰義認が生活の中で深められていくプロセスが示されていると、この箇所を解

わたしに従いなさい

⇒(MP3, 32kbps)「わたしに従いなさい」秋葉正二列王記上19,19-20; テキストはマタイ福音書8章に並行記事があります。 マタイの方が簡略で、ルカの61,62節に当たる部分がありません。 そこで聖書学では、マタイの記事がQと呼ばれる資料に基づく伝承部分で、ルカの61,62節はルカが編集で加筆した部分であろうと見ています。 そうだとしたら、なぜルカは拡張部分を加筆したのかを考えて行けばいいでしょう。 物語の筋は簡単です。 マタイではイエスさまの前に2人の弟子志願者が現れていますが、ルカでは3人です。 つまり3人目の志願者をルカは追加したことになります。 ということで物語を読んでいきますと、まず57節一人目の志願者が登場します。 彼はイエスさまが行く所なら、『どこへでも従って参りま

賛美しながら戻って来る

⇒「賛美しながら戻って来る」村上 伸列王記下5,1-14 ; 先週、私はルカ福音書10章25-37節、つまり、「善いサマリア人」のところをテキストとして説教した。あの場面で「サマリア人」が登場することには特別な意味があるのだが、私はその時、別のことに焦点を合わせて話したので、サマリア人の問題にはほとんど触れなかった。そのサマリア人が、今日の箇所にも出てくる。今日こそはこの問題を取り上げなければならない。サマリアとは、地図にもあるように、一般にユダヤとガリラヤの中間にある地域を指すが、本来は紀元前870年頃に北王国イスラエルのオムリ王が建てた町の名である。これが北王国滅亡の時まで首都であったので、周辺地域もサマリアと呼ばれた。紀元前8世紀半に、アッシリヤの王シャルマナサルが大軍を率いて北王国イ

主の憐れみは尽きない

⇒「主の憐れみは尽きない」桜井重宣; ローマの信徒への手紙5,1-5現在、入力作業中です。しばらくお待ちください。

十字架のキリスト

⇒「十字架のキリスト」廣石 望創世記12,1-9; I「十字架」はキリスト教を代表するシンボルです。じっさい建造物としてのキリスト教会の内外には、十字架が使われています。そして伝統的に、キリスト教の教えで、十字架は「贖罪」という教理に結びついています。キリストが〈私の罪の贖いのために、私の代わりに十字架にかかって死なれた〉という信仰告白があるからです。「贖罪」の教えは、イエスの十字架の死がどのような意味で救いをもたらす死であったかという問いに答えるものです。この伝統的な解釈に対して、最近の研究では、次のようなことが指摘されています。まずパウロ自身に、「キリストは私(たち)の罪の贖いのために十字架で死んだ」という表現は、ふしぎなことに出てきません。どうやらパウロにおいて、イエスが「死んだ」とい

祈ることと正義を行うこと

⇒「祈ることと正義を行うこと」村上 伸 ; マタイ7,21-23先週行われた「教会カンファレンス」は、準備委員の努力と出席者の積極的な参加によって充実した会となった。転機を迎えようとしている私たちの教会の将来のために、まことに良い第一歩であったと思う。心から感謝したい。さて、9月6日の説教(「教会だより・カンファレンス準備号」に再録)の中で、私はボンヘッファーの「われわれがキリスト者であるということは、今日ではただ二つのことにおいてのみ成り立つだろう。すなわち、祈ることと、人々の間で正義を行うことだ」という言葉を引用した。私たちの教会にとって、これはまことに簡潔で美しい目標である。今日は、改めてこの言葉について考えたい。先ず、「祈ること」について、イエスはどのように教えられただろうか?には、

罪を赦す

⇒「罪を赦す」廣石 望詩編40編1-7 ; I 「人の子は地上で罪を赦す権威をもっている」――今日のテキストのイエスは、そう言います。 「罪の赦し」はキリスト教にとって大切な言葉です。使徒信条にも「(我は)罪の赦し(を信ず)」とあります。もっとも近代のプロテスタント・キリスト教は、「罪(の赦し)」をとりわけ個人の実存の問題に結びつけて理解してきました。他方、今日とりあげる治癒奇跡物語では「罪」は病気ないし障がいに、さらに「罪の赦し」はイエスの十字架の死ではなく、病気や障がいの治癒に結びあわされています。 病気のどこが「罪」なのでしょうか? 「罪を赦す」とは、しかも「地上で赦す」とは何のことなのでしょう?II まず「罪」について、有名な楽園追放の物語(創世記3章)を手がかりに考えてみましょう。

敵を愛せよ

⇒「敵を愛せよ」村上 伸出エジプト記21,22-27;『山上の説教』(マタイ5-7章)はイエスが弟子たち(教会)に対して語られた言葉で、代表的なのが今日の箇所である。先ず、「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている」(38節)とある。、「命には命、目には目、歯には歯、手には手、足には足、やけどにはやけど、生傷には生傷、打ち傷には打ち傷をもって償わねばならない」という戒めの引用である。この「目には目・歯には歯」という言葉は、普通、「人から何かやられたら、容赦なくやり返せ」という徹底的な報復の意味で受け取られることが多い。だが、元々はそうではなかった。むしろ、「報復する場合も限度を越えるな、自分が受けた損害と同じ程度にとどめておけ」という意味であった。それは、際限

目を覚ましていなさい

⇒「目を覚ましていなさい」村上 伸ダニエル書12,1-3;私たちに先立って天に召された信仰の先達・家族・親しい方々を記念するために、私たちは今日、ご遺族や関係者の方々と共にここに集まっている。週報の裏に印刷されているのは、この教会の正規の召天会員とそれに準ずる方々のお名前だが、この名簿に載ってない人々のことも同じように覚えたい。キリスト教の伝統では、毎年、教会歴が終わりに近づくこの頃に、死者を記念する礼拝が行われる。ドイツの教会では、11月15日が「国民が喪に服する日」、18日(水)が「悔い改めと祈りの日」、22日が「永遠を思う日曜日」である。私たちの教会が11月第2日曜日に「召天者記念礼拝」を行うのも、その伝統による。死者を記念する礼拝で説教のテキストとしてよく選ばれるのが、である。私も、

霊の初穂

⇒「霊の初穂」廣石 望詩編130編;I教会の暦では、アドヴェントから新しい一年が始まります。その直前の三つの主日は「終末」の名で呼ばれ、その二週目に当たる今日は「終末前主日」です。この季節、多くの教会では召天者を記念する礼拝がとりおこなわれます。私たちの教会では先週がそうでした。懐かしい方々の遺影を礼拝堂の前に飾り、ご遺族の方々といっしょに礼拝を守りました。 死者たちに思いをよせるとき、無念さと感謝の入り混じった複雑な感情が胸を満たします。私たち自身がやがて過ぎ去ってゆく。メメント・モーリ(死を覚えよ)。私たちのいのちはとても儚い。同時に、一人ひとりの個別的な生の重みと、かけがえのなさを思います。誰もが他人に代わってもらうことのできない弱さや辛さ、そして秘密を抱えて生きたに違いないのです。そ

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