中間の状態とは何?
は、神、聖書、救い、そのほかの霊的な課題を理解することの助けとなる のを願って、それに専念し、訓練を受けたボランテイヤの奉仕者から成るミニストリーです。私たちはクリスチャンです。プロテスタント、保守主義、福音派、根本主義、そして無宗派です。私たちは、教会と相並んで、霊的なことに関しての質問の答を人々が見つける手伝いをするパラ.チャーチ.ミニストリーだと自分たちを見ています。
中間の状態とは復活の前に天国に行ったキリスト者がどのような体をしているかを考える神学的な概念と言えます。聖書は死を迎えたキリスト者が主のみもとにいく事を明確にしています(IIコリント5:6-8; ピリピ1:23)。聖書はまたキリスト者の復活がまだ起こっていなく、死を迎えたキリスト者の肉体はまだ墓の中にある事も明確にしています(Iコリント15:50-54; Iテサロニケ4:13-17)。ですから、中間の状態についての疑問は復活前に天国にいるキリスト者達が一時的な肉体を与えられているか、霊的な、実体の無い状態で存在しているかという物です。
聖書には中間の状態について多く書かれていません。中間の状態について、間接的にではあっても書いてあるただ一つの箇所は黙示録6:9で、「小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。」と書いてあります。この箇所で、ヨハネは殉教した人々を見ます。この殉教した人々は「たましい」と表現されています。ですから、この一つの聖書箇所から、中間の状態にいる人々は霊的な、実体の無い状態で復活を待っていると結論付ける事ができます。
キリスト者が最終的に行く天国とは新しい天と新しい地です(黙示録21-22)。この天国は確実に物理的な場所であり、私たちの物理的な肉体も復活し、栄光を受け、新しい地での永遠のために完全にされるのです。現在、中間の状態にある天国は霊的な領域であり、そこに存在しているキリスト者には物理的な肉体の必要が無いのでしょう。中間の状態がどんな物であれ、そこにいるキリスト者達は天国の栄光を楽しみ、主の御名を賛美しているはずです。