三島由紀夫が切腹自殺により主張したかった憲法9条廃止と天皇制の復活

正しいか間違っているかは別として、私は最善を尽くしましたが、これらは私の意見を表明しているだけです。

(1)三島由紀夫は割腹自殺を遂げて何を主張したかったのか わたしは今回、日本人の自殺について調べていて、三島由紀夫が割腹自殺を図ったことに注意をひかれました。それで、自衛隊と関係した三島由紀夫がどんな趣旨で割腹自殺を図ったのか、Wikiの「三島由紀夫」や「三島事件」「檄 (三島由紀夫)」から詳細を調べました。 

 三島由紀夫は、1970年(昭和45年)11月25日、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地内で総監を人質にして総監室を占拠後、最後の声明文である「檄」を撒布してバルコニーから演説しました。彼の目的は、自分の衝撃的な死によって自衛隊を決起させて軍事クーデターを起こして自衛隊を日本国軍にして、天皇制に戻すという意図があったようです。 

 

1970年自衛隊の市ヶ谷駐屯地から演説している三島由紀夫檄を配り割腹自殺を遂げる三島は何を主張していたのか

 

 このことからも分かるように彼は神道信者であり、軍国主義者でした。また、残された彼の「檄」などの言動からすると彼は天皇を日本の偶像として崇拝し、憲法9条を含む日本国憲法を廃棄したいと望んでいました。 

三島は、自衛隊が軍事クーデターを起こして、戦前のように天皇崇拝を復興することを望んで割腹自殺というような人々の感情をゆさぶる行動に出たようです。 

  彼が残した遺書風のメモには、「限りある命ならば永遠に生きたい. 三島由紀夫」と書かれていました。ですから、彼は死ぬことによって永遠に生きる霊魂になると信じていたのではないかと思います。ですから、彼は、自殺をすることを決して恐れなかったのでしょう。 

 三島由紀夫は学習院高等科を首席で卒業し、卒業式では総代を務め、昭和天皇から銀時計を賜りました。また、東京帝国大学に入学しました。彼は神風特攻隊に入りたいと考えていましたが、新兵検査で落ちて、兵隊としてとられず、終戦を迎えました。 

 三島由紀夫の代表作は小説に三島自身の両性愛的な傾向と性的な不能を告白した『仮面の告白』や、人妻の姦通を描いた『美徳のよろめき』 などがあります。また、二・二六事件で銃殺刑に処せられた青年将校と、神風特攻隊員の霊が、天皇の人間宣言に憤り、呪詛する様を描いた『英霊の聲』(えいれいのこえ)という短編小説があります。 

 ですから、確かに三島由紀夫は、神道と仏教の国日本の国の人らしい、とても日本人らしい日本人でした。彼が、神道信者であり、天皇を崇拝するべきだと考えていたこと、あるいは日本を崇拝し、守ることが大切だと考えていたこと、また、死者の霊が存在していて、死者の霊は死後に永遠に生きていると信じていたことが彼の作品群や残された「檄」からうかがわれます。 

(2)悪霊の影響を受けていたらしい三島由紀夫 

 三島由紀夫の「英霊の声」を三島から受け取った人が彼の7回忌にこのように語っています。 

 『昨夜一気に書き上げた。出来上がってしまったのだ」と渡されたのだが、一読して全身の血が凍る思いがした。どういう気持から書いたのかと聞くと、ゾッとする答が返って来た。「手が自然に動き出してペンが勝手に紙の上をすべるのだ。止めようにも止まらない。真夜中に部屋の隅々から低いがぶつぶつ言う声が聞える。大勢の声らしい。耳をすますと、二・二六事件で死んだ兵隊達の言葉だということが分った」怨霊という言葉は知ってはいたが、現実に、公威(三島の本名)に何かが憑いている様な気がして、寒気を覚えた。』 

 聖書は死んだ人は感情も意識も無くなっていると述べています。(伝道の書9:5,6)しかし、聖書は邪悪な霊者すなわち悪霊が存在していることを明らかにしています。彼らはエホバ神が最初に作られた自由意志を持つみ使いでしたが、神に反逆して堕落した悪霊です。(ユダ6。創世記6:1,2) 

元は神のみ使いだったが人間を真の神から引き離そうとしている悪霊たちが存在している

 悪霊に影響されて、人は声が聞こえたり、幻を見たり怖れを感じることがあります。(ヨブ4:14,15)悪霊は真の神への信仰に反する事柄を促進するために霊媒などを通して人に影響を与えることがあります。(レビ19:31) 

 悪霊は、三島を支配し「英霊の声」を書かせて、天皇崇拝を復興させ、日本が再び戦争を行える国にして日本を災いに巻き込みたいと考えたのではないかと思います。三島が切腹自殺というような狂気の行動に走ったのも、悪霊の影響があった可能性があります。

(3)三島由紀夫の日本を崇拝するべきだという考え方 

 三島はその切腹の前に書かれた檄の中で、「生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまつた憲法に体をぶつけて死ぬ奴はゐないのか」と語っていました。 

 ですから、三島は日本を愛していて、日本を大切にしたり守るということは何よりも大切にされるべき価値があると考えていました。いわゆる、日本を崇拝の対象にするべきだと言っていたとも言えるかもしれません。 

 わたしも日本はとても良いところが多い国だと思います。日本は、戦後は、憲法9条に従っておおむね戦争にかかわることを避けてきた平和な国です。また、政府は日本人の年配者や困窮している人々にとても優しく、214万5667 人の人に生活保護を与えています。これは日本政府が社会的な弱者にとても親切であることを示しています。日本社会では助け合いと協力がなされていると思います。 

 おおむね日本人は、行儀が良く、マナーをよく守ります。殺人者や粗暴な人は諸外国よりは多くはないのではないかと思います。親切な日本人が存在していて、戦後はとりわけJICAなどの取り決めに従って発展途上国の人々のために利他的献身的に尽くしてきた日本人も少なくありません。   また、ギャンブル依存症を抜け出すのを助けるボランティアグループや貧しい子供たちを助ける子供食堂や学習援助のボランティア・グループなど他の人を助ける利他的な努力をする人々、被災地の人々を助けるボランティアをする人々も各地に存在します。  また、難民を国際的に利他的に助けたことで有名な緒方貞子さんはキリスト教系の方です。また、最近の震災などの災害で民間で先頭に立ってボランティアの援助を行っているのは、エホバの証人やキリスト教会の方々です。日本ではクリスチャンの人口はほんの1,2%なんですが、そういう人々ががんばっています。 こういうボランティアのキリスト教系の人々は、天皇制の支配的な戦前にはいなかったのではないかと思います。

  また、日本は自然も美しいです。 

 

日本は自然も美しい 

 

 しかしながら、日本はマイナスの局面もあります。日本の歴史を調べてみるとその最初から、権力争いのために殺人と争いを続けてきました。日本の主な宗教である仏教と神道は日本が流血や自殺を避けるように助けてきませんでした。 どこの国でもそうですが、日本にも昔は剣を使う武士がいました。また、戦時中は、暴力的横暴に振舞う憲兵や警察が存在していました。豊臣秀吉の時にも、外国を侵略しました。また、明治・大正・昭和と外国を侵略して多くの戦争を行い、大量の血を流しました。 

 また、日本で人気のあるヒーローのひとりは天下を統一した豊臣秀吉です。わたしは最近まであまり認識していませんでしたが、彼は日本にキリスト教を伝えるためにやってきていた宣教師たちと日本の信者たちの中心になるメンバーを処刑しました。 豊臣秀吉は、無抵抗のクリスチャンたちを、長崎で処刑したキリスト教徒の迫害者でした。江戸時代もキリスト教徒は厳しい弾圧を受けました。 

日本のヒーロー豊臣秀吉はキリスト教徒の迫害者である流血の軍人日本ではそのような人がヒーローになっている 

 秀吉は、自分では仏像のたたりと考えていたのですが、次の年、病気になって回復せず、死にました。わたしは秀吉が殺害したクリスチャンの中には、いわゆる神殿級、つまり真正なエホバの油そそがれた者が含まれていたので、エホバ神が秀吉を滅ぼした可能性が高いのではないかと思います。(コリント第一3:16,17。サムエル第一26:9)また、彼の政権は天下をとっていたのに、滅ぼされてしまいました。 また、ギャンブル依存や薬物依存から抜け出すよう助けるキリスト教系の民間の利他的な努力が払われている一方で、政府はギャンブルを促進する法律を制定しようとしています。わたしの記憶では、韓国も北朝鮮も台湾でもギャンブルの一部を禁止していますが、日本の従来の良い習慣を政府が先頭に立って捨てるという傾向も見られます。 

 ですから、いい所があるとは言え、日本を崇拝し一番大切にするというのは間違っていると思います。日本は基本キリスト教の規範がありません。日本が誇るべき日本国憲法が制定されたのは、その当時日本で非常に数少ないクリスチャンの首相の影響があったからです。 

戦後最初のクリスチャン首相幣原喜重郎は憲法9条を憲法に入れるようマッカーサーに提案した

 

 

(4)三島由紀夫の天皇を崇拝するべきだという考え方  三島は檄の中で、憲法9条全部を削除して、その代わりに「日本国軍」を創立し、憲法に「日本国軍隊は、天皇を中心とするわが国体、その歴史、伝統、文化を護持することを本義とし、国際社会の信倚と日本国民の信頼の上に健軍される」という文言を明記するべきであると主張していました。 

  三島は神道信者であったので、天皇を崇拝するべきだと考えていました。彼は、天皇は神道の天皇制を護るために、儀式を重要に執り行うべきだと考えていました。そして、自衛隊の一部が文官ではなく天皇に第一に忠誠を誓うべきだと考えていました。 

 彼はまた西欧文明と結びついているとしてキリスト教に反対している反米の人でした。彼は、昭和天皇が自分は人間であると宣言したこと、篠原喜重郎が昭和天皇にそのような宣言をするよう天皇に勧めたことを快く思っていませんでした。しかし、彼は自衛隊で割腹自殺を図る前に、昭和天皇を殺したいとも思ったということを聞いた人もいるようです。 

 それで、自衛隊の隊員が戦時中に神風特攻隊のように天皇のため、また、日本国のために自分の命を捧げていることを「至純の魂を持つ」として称えています。すなわち、それが純粋で美しいことだと賞賛しています。しかし、天皇は私たちの第一の忠誠を示されるに値する存在でしょうか。 

 昭和天皇ご自身が「人間宣言」をされたように天皇は、ただの罪を犯す場合もある人間に過ぎません。昭和天皇ご自身が戦時中のご自分の決定に誤りがあったのではないかと大変悩まれたのです。

 そして、そのもっとも大きな責任をご自分の親しい臣下近衛文麿にあったと考えられましたが、全体的に言って日本が戦争をしたこと、もっと早く戦争を終わらせなかったことは間違いであったと考えておられたのです。天皇の間違いは大きなものでした。 

 結局、昭和天皇がご自分のため、日本のためと考えて命を捨てた若者が間違った仕方で命を捨てたことを認められたのです。このことで、三島は昭和天皇を恨んでいました。三島は天皇を崇拝して死ぬということが間違っているとされるので、天皇が人間宣言をしたことを快く思っていませんでした。 でも、実際、天皇は、太平洋戦争をしたことに大きな間違いがあったと認めておられました。ですから、間違いをすることのある現人神ではない天皇を崇拝するのは間違っています。 しかし、わたしヨハネも同様に間違いをします。イエス・キリスト以外アダムの子孫は皆罪人で誰一人完全な人間はいないからです。(ローマ5:12)その時点で最善なことは何なのかをご存知であるのは、全知全能の神エホバだけです。(箴言2:6)神エホバを崇拝することだけが、正しいことです。後になって後悔することがありません。 

(5)三島由紀夫の日本国憲法9条に対する非難 

  憲法9条とは次のような条文です。

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 

 憲法第9条第1項の内容は「戦争の放棄」です。憲法第9条第2項前段の内容は「戦力の不保持」ということです。憲法第9条第2項後段の内容は「交戦権の否認」です。戦争の放棄とは生命を尊重するということです。また、武力の行使に頼らないということは、平和外交に頼るということを意味しています。 

  三島は人間の生命尊重のゆえに戦争をしないという憲法9条の含まれた日本国憲法に反対していました。そして、自衛隊が日本国軍でなく、日本国憲法では憲法違反であることをあるべきでない状態だと考えていました。もちろんのこと、三島は同性愛者ですから、彼の考え方生き方は、キリスト教の聖書とはまったく一致していません。 

  わたしは、日本国憲法9条は、聖書の原則と一致していて、とてもすばらしい原則を含んだ憲法だと思います。わたしは、人間の生命を尊重するという憲法9条の根底にある考え方はとてもすばらしい考え方だと思います。 生命を尊重して、人の命を奪わない、すなわち、殺人を避けることは基本、聖書の神のご要求です。聖書によると、ノアの時代の大洪水の後に、エホバ神は、人間を神の像に創造されたために、殺人を禁じられました。

 

 「わたしは人の魂の返済を求める。だれでも人の血を流す者は,人によって自分の血を流される。」と神の言葉に述べられています。(創世記9:5,6)ですから、ひとりでも、人の命を奪うならば、その命の代償として、その殺人者は、死刑にされるということは、神の目に受け入れられることです。   ですから、憲法9条の生命を尊重するために戦争をしないというのは、聖書中の神の原則と調和しています。 

 エホバ神は殺人を基本的に禁じておられる人間の命を貴重なものとみなしておられるのでひとりの人を殺すとその殺人者の命を引き換えに要求される

 

 また、憲法9条の武力の行使に頼らないという原則は、イエスの勧めの言葉とも調和しています。  聖書は、国家が軍隊を持つことを否定はしていません。しかしながら、イエスは、他国が攻めてきそうな時に、次のようにするように勧められました。  「どんな王が,別の王と戦いを交えようとして行進するにあたり,まず座って,二万の軍勢で攻めて来る者に,一万の軍勢で相対することができるかどうかを諮らないでしょうか。事実,それができないなら,その者がまだ遠く離れた所にいる間に,一団の大使を遣わして和平を求めるのです。」   それで、イエスは国家が一万人、あるいは二万人の軍勢を持つことを否定はしていないることがわかります。(ルカ14:31,32)  しかしながら、このイエス・キリストの言葉は、他国の軍勢が攻めてきた場合、他国の軍事力や自国の軍事力に頼って、戦闘をするのではなく、大使を遣わして和平を求めることを勧めています。これは、憲法9条の精神と調和しています。 聖書が勧めているのは、日本国憲法9条に規定されている通り、武器や軍勢に頼って問題を解決しようとするのではなく、できるだけ早期に外交に頼って、すなわち、大使を派遣して平和的な解決を図るということです。 ですから、聖書が勧めているのは、基本的に平和主義です。とりわけ、攻撃してきた国家の軍勢が自国の軍勢を上回る場合はそのようにするのが賢明です。そうしないで、戦争を始めると自国が敗北して、大きな損失を被るからです。 

  聖書の原則は、通常、うまくいきます。平和外交に頼ることはうまくいくことが多いと思います。一時的に屈辱を感じさせられるとしても、長い目で見て、良い結果になります。

 次回は、この記事の続きとして 憲法9条に規定されているような聖書の原則に従う努力を払う時に、エホバ神が助けてくださったスイスの例をご紹介したいと思います。そして、キリスト教の神に従う時と、従わない時に、どつらが結果がいいのかを考察してみます。 

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