「焚き火牧師」こと大頭眞一先生の対談相手として参加させていただいた本が出版されましたので、ご紹介します。『焚き火を囲んで聴くキリスト教入門』(いのちのことば社)です。
この本はもともと『百万人の福音』で大頭先生がなさっておられた対談シリーズを本にまとめたものです。私は神義論のテーマで語らせていただいていますが、その他にも聖書やクリスチャン生活に関する疑問、キリスト教と他宗教や社会との関わりなど、多彩な主題について、これまた多彩な顔ぶれの方々との対談がまとめられています。
「はじめに」で大頭先生は、白か黒かと言い切ることのできない微妙なところを焚き火を囲んでいるように語り合って本にしたかったとおっしゃっています。したがって、私の章も含めて、この本に書かれているさまざまな見解を、それぞれの主題に関する「キリスト教的模範解答」と捉えることは、編者の意図ではないのでしょう。むしろ、さらなる対話への招きというふうに捉えるのが良いのではないかと思います。
最近も友人との会話を通して、キリスト教会の一致とは何かを考えさせられているのですが、私は以前から「焚き火」のイメージはキリスト者の交わりの一つのあり方を示した優れたイメージだと思ってきました。
焚き火を囲んで話す時には、講師と聴衆のような非対称な関係はありません。皆が中心である焚き火(イエス・キリスト)から等間隔の輪になって座り、そこには上座も下座もありません。
またビジネスの話し合いなどでは互いに正対して相手の顔を見ながら話をしますが、焚き火を囲んで話す時は、見ているのは互いの顔ではなく、中心にある火なのです。人が焚き火の前に立つと、その人の顔は暗い影となって見えなくなってしまいます。けれども、焚き火の反対側に座っている人は、火のゆらめきを通して初めて見えるようになります。
そこには決まったプログラムもなく、話したい人が話し、話したくない人は黙って聴いていることもできます。時には皆が一言も発せず、黙って静かに火を見つめ、その温もりを感じていることもあるでしょう。自然発生的に始まった歌が大合唱になることもあるかもしれません。
そこには決まったメンバーシップもありません。焚き火に当たりたい人がやってきて、しばらく火のそばに座り、自由に去っていくこともできます。
そんな自由で平等で緩やかな交わりが実現したらと思いますが、現実はなかなか難しいようです。けれども、焚き火の輪に加わろうとする人を拒まないこと、いつもイエス・キリストを中心に置きつづけることを心がけて、これからもさまざまな人々とのつながりを大切にしていきたいと思います。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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