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聖書信仰(藤本満師ゲスト投稿 その6)

(その1 その2 その3 その4 その5)藤本満先生によるゲスト投稿、6回目は、私(山崎ランサム)とのインタビュー形式でお送りいたします。『聖書信仰』(再刷おめでとうございます!)このたび、寄稿の最後に山﨑ランサム和彦先生が質問され、小生が少し応答し、必要があれば、山﨑ランサム先生がさらに応答する、という形式を取っています。読者のみなさまも、先生の質問に対して、様々なお答えがありますでしょう。私の拙い返答にご辛抱ください。 *     *     *Q1.どのような神学も歴史の真空状態の中で生み出されてくるものではなく、神学者が生きている具体的な歴史的状況に 必然的に影響を受けるものだと思います。本書における先生の主張をよりよく理解するために、先生ご自身の神学的背景について、簡単に お教えく

科学と聖書(3)

(その1 その2)今回もずいぶん間が空いてしまいましたが、科学と聖書についてのシリーズを続けたいと思います。バイオロゴスのウェブサイトには次のようなミッション・ステートメントが掲げられています。バイオロゴスは、神による創造の進化的理解を提示することによって、教会と世界が科学と聖書的信仰の調和を見出すようにと勧めます。そして次の中核的なコミットメントを掲げています:私たちは、歴史的キリスト教信仰を受け入れ、聖書の権威と霊感を支持します。私たちは神が何十億年にもわたって存在するすべての生命を造られた創造主であることを認め、進化的創造を支持します。私たちは真理を追求し、自然界と聖書を研究する中でつねに学び続けていきます。私たちは謙遜を得ようと努力し、異なる意見を持つ人々とも親切な態度で対話すること

Not Found―コロナ禍の中で聴いた音楽

新型コロナウイルスの感染拡大にともない、私が奉仕している神学校も教会も全面的にオンラインでの活動になりました。その他に外出する必要がある場合も、車を使うことがほとんどなので、公共交通機関を利用する機会はめっきり減りました。けれども8月29日(土)の午後は、久しぶりに電車に乗って妻と外出しました。サントリーホールで行われるコンサートに出席するためです。そのコンサートとは、芥川也寸志サントリー作曲賞の選考演奏会でした。この賞は戦後日本を代表する作曲家の一人、芥川也寸志氏(1925-89)の功績を記念して創設されたもので、若手日本人作曲家の登竜門として知られており、今年で第30回になります。(余談ですが、芥川也寸志氏といえば私の世代にとっては「N響アワー」の司会者としても記憶に残っています。)今年

荒野の40日

今日から今年のレント(四旬節)が始まりました。レントとは、「灰の水曜日」に始まり、復活祭に先立つ40日間の期間を指します(6回の日曜日を除く)。伝統的に、教会はこの期間を祈りと悔い改め、慈善のわざをもって主の復活に備える時として守ってきました。レントは福音書に記されている、イエス・キリストが公生涯のはじめに荒野で40日間断食をし、悪魔の誘惑を受けたという記事と結びつけて理解されます(マタイ4章1-11節、マルコ1章12-13節、ルカ4章1-13節)。クリスマスと復活祭以外、あまり教会暦を意識しないという教会に属するクリスチャンも、この時期に主が荒野で過ごされた40日間に思いを巡らすのは意味のあることだと思います。イワン・クラムスコイ「曠野のイエス・キリスト」上で述べたように、マタイ、マルコ、

「主の祈り」を祈る(9)

(シリーズ過去記事 1 2 3 4 5 6 7 8)天にまします我らの父よ。ねがわくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ。我らをこころみにあわせず、悪より救いいだしたまえ。国とちからと栄えとは、限りなくなんじのものなればなり。アーメン。「我らをこころみにあわせず、悪より救いだしたまえ。」「こころみ」と訳されているギリシア語peirasmosは「試練」とも「誘惑」ともとることができることばです。いずれにしても、私たちの内と外から働きかけて、神から引き離し、罪を犯させ、御心にかなった歩みをさせなくするような力のことを言います。「悪」と訳さ

聖書のグランドナラティヴ再考(2)

前回の記事では、聖書のグランドナラティヴを次のような7部構成で考えることを提案しました:A 創造 B 悪の起源  C 神の民(イスラエル)   X イエス・キリスト  C’ 神の民の刷新(教会) B’ 悪の滅び A’ 創造の刷新さて、この7部構成が従来の6部構成(1.創造、2.堕落、3.イスラエル、4.イエス、5.教会、6.新創造)と違う点は、6番目の要素(集中構造で言うB’)として「悪の滅び」を追加したことです。「悪の滅び」とは、キリストの再臨、最後の審判、そしてすべての悪への最終的勝利を含みます(1コリント15章23-28節、黙示録19-20章など)。もちろん、これらの要素は終末論的成就の一部として、従来のグランドナラティヴ理解にも含まれて

力の支配に抗して(1)

当ブログではこれまでもシモーヌ・ヴェイユについて何度か取り上げてきました(たとえばこの記事)。私はヴェイユの専門家ではなく、彼女が書いたものをすべて読んでいるわけでもありませんが、暇を見ては少しずつ読んできました。その中で最も好きな作品はと問われれば、躊躇することなく挙げたいのが、「『イリアス』あるいは力の詩篇」です。これまで、冨原眞弓訳(みすず書房『ギリシアの泉』所収)、Mary McCarthyによる英訳(こちらで読むことができます)、そして最近出た今村純子訳(河出文庫『シモーヌ・ヴェイユ アンソロジー』所収)といろいろな訳で読んできましたが、読むたびに感動を新たにする珠玉の小品です。このエッセイは、タイトルからして素晴らしいです。このような、直截的かつ詩的な表題を自分もいつか書いてみた

悪魔の解釈学(2)

ユダヤ人はしるしを請い、ギリシヤ人は知恵を求める。しかしわたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものであるが、召された者自身にとっては、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神の力、神の知恵たるキリストなのである。(1コリント1章22-24節)(その1)前回は1980年代アメリカにおける反ロック/メタル運動において、しばしば作品の内容が大きく歪曲して解釈されたことを見ました。けれどもその一方で、ヘヴィーメタルの歌詞やアートの中に悪魔のイメージが頻繁に登場するのは確かです。「神がデスヴォイスで歌うとき」の第5回では、多くの場合それは商業的理由によるものだったということを書きました。悪魔的イメージを売り物にしているメタルミュージシ

この世でよそ者として生きる(リチャード・ヘイズ教授講演より)

5月5日(金)に開かれた北東アジアキリスト者和解フォーラムに参加しました。このフォーラムは米国デューク大学の神学部と和解センターのイニシアティヴで始まったもので、今回が7回目になります。私自身は、韓国済州島で開催された昨年のフォーラムに続いて2回目の参加となります。今回は新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、半日のみのオンラインでの開催になりましたが、多くの発見や励ましを受けました。フォーラムには、日中韓米から招待された約150名以上のキリスト者が集いました(オンラインだからこそ参加できた人々も多く、参加者は例年より大幅に増えました)。参加者はカトリックやプロテスタントの聖職者や学者、パラチャーチ活動家、学生などさまざまで、非常に多様な顔ぶれであるのが特徴です。今回のフォーラムでは、世界的に

神と立方体についての断想

このブログでは時々シモーヌ・ヴェイユを取り上げていますが、最近読んで特に印象に残った箇所を紹介します。「ある物体の周りを巡るとき、わたしたちはその物体が実在していると確信する。それは、間断なく変化するあらわれをつくり出すが、それを決定するのは、あらわれとは別な、あらわれの外にある、あらわれから超越した固定化された形式である。この働きによって、対象が幻ではなくひとつのモノであり、身体を有していることを認識する。(中略)立方体の箱はどこから見ても、立方体の形をしていない。だが、立方体の周りを巡る人にとって、立方体の形式こそが目に見える形の変化を決定する。その決定が客体の身体をわたしたちに授けてくれる。それゆえ箱をじっと見つめていると、それが立方体ではないにもかかわらず、ほかならぬ立方体であると確

御国を来たらせたまえ(4)

(シリーズ過去記事 1 2 3)このシリーズでは、「神の国の到来」をテーマに考えてきました。主の祈りの中で「御国を来たらせたまえ」と祈るようにとイエスが弟子たちに教えられたように、キリスト者の祈りは、そして聖書が教える終末の希望は、神の国が地上に訪れることであって、私たちが「天国に行く」ということではありません。つまり、基本的に聖書が示している方向性は「天から地へ」であって、「地から天へ」ではないのです。これに関連して、今回は多くのクリスチャンが終末に起こると考えている一つのできごとについて取り上げたいと思います。それは「携挙」と呼ばれるものです。「携挙」と言う言葉自体は聖書には出てきません。英語のraptureという表現は、1テサロニケ4章17節のラテン語訳に出てくるrapiemur(「私

Even Saints Get the Blues(信仰者と嘆きの歌)(4)

(その1 その2 その3)これまでの投稿の中で、詩篇88篇を「聖書の中のブルース」として何度か引用してきました。今回はこの詩篇を正面から取り上げようと思います。1  わが神、主よ、わたしは昼、助けを呼び求め、夜、み前に叫び求めます。 2  わたしの祈をみ前にいたらせ、わたしの叫びに耳を傾けてください。 3  わたしの魂は悩みに満ち、わたしのいのちは陰府に近づきます。 4  わたしは穴に下る者のうちに数えられ、力のない人のようになりました。 5  すなわち死人のうちに捨てられた者のように、墓に横たわる殺された者のように、あなたが再び心にとめられない者のようになりました。彼らはあなたのみ手から断ち滅ぼされた者です。 6  あなたはわたしを深い穴、暗い所、深い淵に置かれました。 7  あなたの怒り

キリストにある平和(福音主義神学会での発表)

来たる5月29日(月)に、福音主義神学会東部部会の春期公開研究会で発表することになりました。今回は「キリストにある平和」というテーマで聖書から平和について考えます。最初の講演は、昨年『旧約聖書の平和論 神は暴力・戦争を肯定するのか』(いのちのことば社)を出版された南野浩則先生(福音聖書神学校)が、同じく「旧約聖書の平和論」というタイトルで行ってくださいます。私の方は新約聖書から講演させていただきます。私の講演では新約聖書全般の平和論というよりは、ヨハネの黙示録を中心にお話しさせていただこうと思っています。聖書の中にはたくさんの戦争や暴力の描写があり、時にはそれらが神に由来するようにさえ思えます。これはキリスト者が平和について考える際の大きな問題となります。新約聖書の中でも特に黙示録は暴力的な

エペソ書とキリストの戦い(4)

(その1 その2 その3)エペソ書における霊的戦いについてのシリーズ、今回は、6章の「神の武具」の箇所についてさらに見ていきます。10  最後に言う。主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。11  悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。12  わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。13  それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。14  すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、15  平和の福音の備えを足にはき、16  その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ

「主の祈り」を祈る(2)

(前回の記事)「主の祈り」はイエスが弟子たちに教えられた祈りです。ですから、礼拝ごとにこの祈りを唱える教会も多いですし、個人的にも暗記して毎日祈っている人も多いでしょう。しかし、主の祈りはそらんじられるけれども、その意味を考えながらじっくりと祈ったことがないという人も案外多いのではないでしょうか。主の祈りを毎度の儀式のように何も考えずに繰り返しているだけで、まったく心に響いてこないというのは、あまりにももったいない話だと思います。主の祈りは単に暗記して唱えれば「御利益」がある呪文のようなものではありません。主イエス・キリストが「このように祈りなさい」と教えられたからには、この祈りには単なる儀式、礼拝やデボーションのプログラム中の単なる一項目以上の意味があるはずです。クリスチャンは主の祈りの意

イスラエルの王イエス(2)

前回の記事では、マタイとルカの福音書における降誕物語において、イエスがイスラエルの王(メシア)として描かれていることを見ました。それでは、このことは現代の(大部分異邦人である)クリスチャンに対して、どのような意味があるのでしょうか? 私たちは二千年前に人として来られたイエス・キリストをイスラエルの王として理解する時、その到来と救いのわざを、歴史の中で何の背景もなく単発で起こったものではなく、神がなさっておられる大きな救いのご計画の中にあるものとして捉えることができるようになります。ある意味では、たしかにイエスは全人類を罪から救うために来られたと言えるでしょう。けれどももし私たちが、イエスがイスラエルのメシアとして、神の民を回復するために来られた、という事実をバイパスして「全人類の救い主」と

キリスト教と愛国心

知人のアメリカ人牧師から、今年の7月4日のアメリカ合衆国独立記念日に向けてリリースされたという歌の動画リンクが送られてきました。このGod Bless the U.S.A.という歌はアメリカのカントリー歌手リー・グリーンウッドが 1984年にリリースしてヒットした愛国歌で、当時のレーガン大統領が共和党の全国大会で使用して話題になりました。その後も湾岸戦争や9・11同時多発テロ事件などの時代にたびたびリバイバルヒットしてアメリカの国威発揚に貢献してきた曲です。そして、コロナ禍やBlack Lives Matter運動で揺れる今年の独立記念日に向けて、作曲者のグリーンウッドが米空軍軍楽隊の歌手たちと共同で新バージョンを録音したというのです。その内容は、アメリカに生まれたことの幸せを喜び、その自由

違いの違いが分かる男(女)

以前、「違いが分かる男の○○」というインスタント・コーヒーのCMがありました。シリーズ化されて、いろいろな有名人が出ていました。独特の音楽とナレーションで、今でも記憶に残っています。「違いが分かる男」がはたしてインスタントを選ぶのかという疑問は別にして、「違いが分かる」というのはキリスト教界においても重要なことです。自分の教会を一歩出ると、同じクリスチャンでも多くの主題について多種多様な理解を持っていることが分かるものです。礼拝や賛美の形式から始まって、聖書や救いや終末についての理解など、同じ神を信じ同じ聖書を読んでいても、ここまで違うのかと驚くこともあります。個人的には、そのような違いを認識すること、まさに「違いが分かる男(女)」になることは、信仰者として健全なあり方であると思います。自分

『百万人の福音』ルカ文書連載

このブログでの紹介がすっかり遅くなってしまいましたが、『百万人の福音』の今年(2019年)の1月号から「ルカが語る福音の物語(ストーリー)」と題して、ルカ文書についての連載をしています。12月号の記事ルカ福音書や使徒行伝をそれぞれ単体として解説した本は多いですが、この連載では、この2つの書をルカによる一つながりのストーリーと見る視点から概観を試みています。まずはルカ文書全体について緒論的な内容をいくつか取り扱った後、二部作のプロットに沿って解説しています。もちろん、限られた紙面で注解書のように詳細で網羅的なコメントはできませんので、重要と思われるポイントのみを取り上げて光を当てるようにしています。『百万人の福音』は学術誌ではなく一般のクリスチャン向けの雑誌です。この連載でも、一般の方々にルカ

「イスラエル」とは何か(『舟の右側』掲載記事)

本日発売された『舟の右側』2023年12月号に「『イスラエル』とは何か? 聖書のグランド・ナラティヴからの考察」と題した記事を書きました。この記事はイスラエルとハマスの軍事衝突を受けて書かれたものではありますが、直接的に現在のイスラエル/中東問題を論じたものではありません。むしろ、聖書のグランドナラティヴの中で「イスラエル」という存在がどのような役割を果たしてきたのか、という点に絞って書かれています。しかし、結論部分で私はこう書きました。 以上、聖書のグランドナラティヴにおけるイスラエルの意義を見てきました。歴史を通して展開する神の救いのご計画にあって、イスラエルは中心的な役割を果たしています。全被造物世界を回復するという神の最終目標の実現のために、全人類に神の祝福を取り次ぐという大切な使命

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