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- 王なるイエスの元年
イエスは彼らに近づいてきて言われた、「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。 (マタイ28:18-20)イースター(復活祭)は過ぎてしまいましたが、教会暦ではペンテコステまでは「復活節」が続いていますので、今回はイエスの復活について書きたいと思います。ルカとヨハネの福音書によると、復活したイエスはエルサレムとその周辺でも弟子たちに現れましたが、マタイはパレスチナの北部に当たるガリラヤでの復活顕現を強調します。ユダを除く11人の弟子たちは
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- 「福音」とは何か?(2)
前回の投稿では、イエスが宣べ伝えられた「福音」は「神の国の福音」であった、というところまで述べました。今回は福音の内容である「神の国」の三つの側面について考えてみたいと思います。神の国は救済史的である神の国は歴史から切り離された単なる神学的概念や理念ではありません。それは旧約時代の聖徒たちによって待ち望まれ、イエス・キリストの受肉によって到来し、今も教会を通して拡大し、やがて世の終わりに完成する、ダイナミックな歴史的現実なのです。「福音」とは単なる普遍的・抽象的な「罪の赦し」のメッセージではありません。聖書の教える罪の赦しも、二千年前に地上を歩まれ、十字架にかかって死なれ、復活されたナザレのイエスという歴史上の人物、さらにその背景にあるイスラエルの歴史を離れては本当の意味で理解することはでき
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- Joel Greenへの献呈論文
このたび、米国の学術雑誌Journal of Theological Interpretationが世界的に著名な新約学者Joel Greenの65歳の誕生日を記念して、献呈特集号を出しました。その中で私も共著論文を書くことが許されましたので、紹介します。今回の献呈号を編集したマイケル・ゴーマン博士は序文の中で、これは21世紀の献呈論文集の形であると語っています。このように雑誌の特別号として献呈論文を集めることの利点の一つとして、各論文が学術データベースのインデックスに確実に登録され、将来的に他の研究者による検索や入手が容易になるからだそうです。さて、ジョエル・グリーン博士はフラー神学校の新約学教授であり、多数の著書を出版していますが、私は特に彼が書いた大部のルカ福音書注解や、ルカ福音書の神
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- エペソ書とキリストの戦い(3)
(その1 その2)このミニシリーズではエペソ書における霊的戦いについて概観していますが、今回は後半の4-6章について見ていきます。エペソ書6章の有名な「神の武具」の箇所を考えるとき、この部分が4章から始まる倫理的奨励の長いセクションに含まれていることを理解することは決定的に重要です。3章までの前半部分でパウロは、歴史の中で神が展開してこられた救いの計画について述べ、その中で教会がどのような役割を与えているのかを説明してきました。それを受けて4章冒頭ではこう語られています:1 さて、主にある囚人であるわたしは、あなたがたに勧める。あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き、2 できる限り謙虚で、かつ柔和であり、寛容を示し、愛をもって互に忍びあい、3 平和のきずなで結ばれて、聖霊による一致
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- SBL 2016 学会参加記
2016年11月19-22日に開催された、米国聖書学会(SBL: Society of Biblical Literature)の年会に参加してきました。私はSBLの正会員ですが、毎年11月に開かれる学会に出席するのは数年ぶりのことになります。今回は発表の機会が与えられたこともあって、久しぶりの参加となりました。SBLの年会はアメリカ国内で毎年場所を変えて行われますが、今年はテキサス州サン・アントニオで開催されました。SBLは米国宗教学会(AAR: American Academy of Religion)と同時開催となりますが、それと前後して米国福音主義神学会(ETS: Evangelical Theological Society)も、しばしば同じ会場で開催されます。私はETSの会員でも
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- 復活のキリストの現われ
ヨハネの福音書21章には、復活したイエスがテベリヤ湖(ガリラヤ湖)でペテロと他の6人の弟子たちに現れたできごとが書かれています。話の筋を追うのは難しくありません。ペテロたちが漁に出て、夜通し働いても何も獲れなかったのが、そこに現れたイエスの助けによってたくさんの魚を獲り、その後イエスと一緒に食事をした、というものです。15節からは、イエスがペテロに「わたしを愛するか。」と三度問いかける有名な問答が描かれています。そして21章の最後には、ペテロがどのような死に方をするかについてのイエスの予告(18-19節)と、「イエスの愛しておられた弟子」すなわち福音書記者ヨハネの運命について述べられています(20-23節)。ふつう、この章はヨハネ福音書の20章までがひとまず完成した後に(ヨハネ自身によってで
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- N・T・ライト『聖書と神の権威』翻訳出版②
(前回の記事)前回の記事では、この度翻訳出版したN・T・ライト著『聖書と神の権威』の簡単な内容紹介を行いました。 そこでも述べた通り、私はライトが本書で展開する聖書論には基本的に同意しています。しかし、どんな学者であっても、その人物の言う事すべてに同意するということはありえません。それは当たり前のことですので、通常はある本の紹介をする時に、同意しない箇所についてそのすべてを詳細に言及したりすることはしません。翻訳書の巻頭にもその旨断り書きが入れてあります。しかし、今回は、きわめて重要な主題について著者と意見が異なる事態になりました。訳者の責務としては、著者の主張はそのまま正確に翻訳した上で、それとは別の場で自らの意見を述べる必要があります。その一部は本書の「訳者あとがき」で述べましたが、あと
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- グレッグ・ボイド・インタビュー(4)
(その1 その2 その3)グレッグ・ボイド博士のインタビューの4回目です。今回は、神学における「ミステリー(奥義・神秘)」の役割についてです。* * *――オープン神論に対する批判の中で、もう一つよくなされるのは、神の主権と人間の自由意志の関係について、オープン神論はあまりにも合理的に説明しようとしすぎる、ヒューマニスティックな神学だ、というものです。最近読んだ論文でも、オープン神論を批判する中で、「私たちは神のミステリーを認めなければならない」と主張されていました。つまり、神の主権と自由意志がどうやって両立するのかは、人間の理性を越えたミステリーなので、それを合理的に説明しようとするのは誤りだ、ということです。個人的にはその論文自体はあまり説得力を持たなかったのですが、一方
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- N・T・ライト『聖書と神の権威』翻訳出版⑧
過去記事 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ナラティヴと抽象的な命題の体系との違いは、前者は時間の流れに沿って展開するダイナミックな運動である、ということです。聖書全体を一つのナラティヴとして読む際には、それがどのようなプロット(筋)にしたがって展開していくかに注意する必要があります。聖書のグランドナラティヴのプロットがどのようなものかについては、いろいろな捉え方がありますが(こちらを参照)、ここではライトの5幕劇のアナロジーを引き続き採用したいと思います。それは1.創造、2.堕落、3.イスラエル、4.イエス、5.教会~終末でした。すでにシリーズ第①回で述べたように、聖書はこの劇の台本にたとえることができますが、それは第5幕の最初の部分(初期キリスト教会)の部分までしか完成していません。その後の大部
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- 「主の祈り」を祈る(8)
(シリーズ過去記事 1 2 3 4 5 6 7)天にまします我らの父よ。ねがわくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ。我らをこころみにあわせず、悪より救いいだしたまえ。国とちからと栄えとは、限りなくなんじのものなればなり。アーメン。「我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ。」私たちが祈る時には、物質的な必要だけでなく、関係における必要についても祈るべきです。それには神との関係と人との関係の二つの側面が含まれます。私たちが健全な信仰生活を歩んでいくためには、この二つの側面がどちらも正されていく必要があります。
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- Rhythm to Song
(日本語訳は下にあります)Rhythm to Song—My Ecclesiastes 3—by Doria Yamazaki-Ransomlike the wavescyclingin and out in and outlonely and embracedaccepted and rejectedparanoid and securehopeful and despairingin and out in and outthese are the rhythms of lifein and out in and outillness and wellnesslife and deathbroken and wholetrusting and betrayedfalling and rep
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- 確かに神は共におられる
1997年に自動車事故で亡くなったRich Mullinsは非常に影響力のあるアメリカのクリスチャン・ミュージシャンでした。彼が作った「Awesome God」などの曲は今でも歌われ、日本語に訳されているものもあります。今回は彼の歌の中でも私が特に好きな「Surely God Is with Us(確かに神は私たちと共におられる)」という曲を紹介したいと思います。この曲は彼が作ったものではありませんが、遺作となった「The Jesus Record」というアルバムに収められています。そこに収録されている、死の9日前に録音されたデモを聴く度に感動を新たにします。この歌で興味深いのは、歌い手がナザレのイエスの地上での生涯を同時代の人間の視点から描いていることです。最初のうち、彼はガリラヤの田舎か
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- ピーター・エンズ著『確実性の罪』を読む(8)
(その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7)『確実性の罪(The Sin of Certainty)』の7章で、エンズは「疑い」について正面から取り上げます。疑いとは何でしょうか、そして、信仰者は疑いにどのように接していったら良いのでしょうか?信仰者の多くは、これまで自分が確信し、そこに人生のよりどころを見いだしてきたことがらについての深刻な疑いを経験します。そしてそれは私たちに大きな不安や恐れを引き起こします。多くの場合、そのような危機に直面したクリスチャンは、何か自分に問題があると考え、なんとか壊れたところを修復しようと努力します。その試みがうまくいけば、私たちは元の信仰生活に戻り、以前と同じ歩みを続けて行きます。けれども、もしそれがうまくいかず、疑いが長期間にわたって続く
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- 神がデスヴォイスで歌うとき(5)
するとヨハネが答えて言った、「先生、わたしたちはある人があなたの名を使って悪霊を追い出しているのを見ましたが、その人はわたしたちの仲間でないので、やめさせました」。イエスは彼に言われた、「やめさせないがよい。あなたがたに反対しない者は、あなたがたの味方なのである」。(ルカの福音書9章49-50節)(過去記事 1 2 3 4)まずは次の歌の歌詞をお読みください(英語からの私訳です):自分の魂の救いについて、考えたことがあるのかそれとも、死んだら墓場で終わりと思っているのか神はおまえの一部なのか、それとも頭の中の観念に過ぎないのかキリストは学校の教科書に載っていた名前に過ぎないのか死について考えるとき、息苦しくなるか、それとも冷静でいられるのか教皇が苦境に立つのを見たいのか、彼は馬鹿だと思ってい
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- 戦争と神学者(5)
(このシリーズの先頭はこちら)前回までの投稿では、戦前日本の軍国主義イデオロギーを体現したかのような「日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰」(以下「書翰」。全文はこちら)とカール・バルトの神学の関係を見てきました。そこでは、当時日本で絶大な影響のあったバルト神学が天皇制イデオロギーと強引に結びつけられている姿を見ることができます。ここで生じるのは、明治以来ドイツ神学の影響を大いに受けてきた日本のキリスト教会において、なぜドイツの教会闘争に当たるような運動が出て来なかったのか、という疑問です。これにはいくつかの理由が考えられます。一つは日独のキリスト教会がそれぞれの社会の中で置かれていた立場の違いです。古屋安雄氏(『日本の神学』)は、ドイツ教会闘争は国家と余りにも癒着した教会を
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- 「あなたの信仰があなたを救った」(3)
(その1 その2)前回まで、ルカ福音書における「救いを与える信仰」について見てきました。ここからは、このようなルカの「信仰」概念をより大きな歴史的文脈の中に位置づけることによって、さらに理解を深めていきたいと思います。ローマ帝国における「信仰」新約聖書においてしばしば「信仰」と訳されるギリシア語ピスティス、およびそれに対応するラテン語フィデースは、ギリシア・ローマ世界において、ある命題を正しいとする心的態度すなわち「信念」以上の意味的広がりを持っていました。最近出たテレサ・モーガンの研究によると、ピスティスあるいはフィデースとは「第一義的には、一群の信念でも心や精神の機能でもなく、共同体を形成する関係」でした(Roman Faith and Christian Faith, p.14。強調は
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- 明けの明星を見上げて(『百万人の福音』特集記事)
『百万人の福音』誌より依頼を受けて、4月号の終末に関する特集用に原稿を書きましたので、同誌の許可を得てここに掲載します。クリスチャンだけでなく、キリスト教に関心のある一般の読者も対象にした雑誌ということで、なるべく分かりやすい記述にするよう心がけたつもりです。ちなみに同特集では、「終末期を知る書籍」の一つとして、私翻訳したヴォーン・ロバーツ著『神の大いなる物語』も紹介されています。明けの明星を見上げて~聖書に学ぶ、終わりの時代の歩み方「世の終わり」と聞いて、みなさんは何を思い浮かべるでしょうか? 世界を襲う天変地異、戦争や飢餓、疫病、そして人類滅亡・・・SF映画に出て来るような、おどろおどろしいイメージを思い描く人が多いのではないかと思います。同時に、そのような話はふだんの暮らしとはかけ離れ
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- 「主の祈り」を祈る(3)
(シリーズ過去記事 1 2)天にまします我らの父よ。ねがわくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ。我らをこころみにあわせず、悪より救いいだしたまえ。国とちからと栄えとは、限りなくなんじのものなればなり。アーメン。今回から「主の祈り」の内容を細かく見ていきたいと思います。「天にまします・・・」まず、この祈りは神に対する呼びかけから始まります。日本ではクリスチャンでなくても、「旅の無事を祈ります」「成功を祈ります」など、「祈る」という表現はよく使われます。けれどもそれらの人々が誰に対して祈っているのかは明らかでない場合が多いです。おそらく
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- Global Returnees Conference 2018(その1)
5月2日から今日(5日)にかけて、以前の記事でもお知らせした帰国者クリスチャンのためのカンファレンス、GRC18に参加してきました。GRCは海外で信仰を持って帰国した日本人クリスチャン、また帰国者クリスチャンを積極的に受け入れようとする日本の教会のクリスチャン、日本に遣わされている海外からの宣教師など、さまざまな立場の人々が集って信仰を強めあい、互いの交流を深める貴重な場となっています。私自身も、集会や多くの方々との再会と新しい出会いを通して、たくさんの恵みをいただきました。今回のGRCの全体テーマは「Dwell: 主は私達と共に住む」でしたが、その中で2回の聖書講解と分科会を担当させて頂きました。今回は3日朝の第1回聖書講解の内容に多少手を加えたものを掲載します。この日のテーマは「ただ中に
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- 確かさという名の偶像(24)
(シリーズ過去記事 第1部 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 第2部 11 12 13 14 15 第3部 16 17 18 19 20 21 22 23)グレッグ・ボイド著Benefit of the Doubt(『疑うことの益』)の紹介シリーズ、今回も前回に続いて第12章「十字架の約束」を見ていきます。私たちのアイデンティティボイドによると、十字架において神が与えてくださる第二の約束は、私たちについてのことばです。これは前回紹介した、神ご自身についてのことばにすでに暗示されているものです。それは、私たちの存在そのものが、神によって愛されているということです。ボイドによると、アダムとエバの堕落以来、人間は神と親密な関係をもって、そこからいのちを得ていくためには、あるがままの存在でい

- The Cross Pendant
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
