(前回の記事)
前回の記事では、この度翻訳出版したN・T・ライト著『聖書と神の権威』の簡単な内容紹介を行いました。
そこでも述べた通り、私はライトが本書で展開する聖書論には基本的に同意しています。
しかし、どんな学者であっても、その人物の言う事すべてに同意するということはありえません。それは当たり前のことですので、通常はある本の紹介をする時に、同意しない箇所についてそのすべてを詳細に言及したりすることはしません。翻訳書の巻頭にもその旨断り書きが入れてあります。
しかし、今回は、きわめて重要な主題について著者と意見が異なる事態になりました。訳者の責務としては、著者の主張はそのまま正確に翻訳した上で、それとは別の場で自らの意見を述べる必要があります。その一部は本書の「訳者あとがき」で述べましたが、あとがきとしての性質上、あまり詳しくは書けませんでしたので、この場でさらに詳述したいと思います。
本書では巻末に、「安息日」と「単婚制」という2つのケーススタディが収められています。このうち、後者におけるライトの主張について、私には深刻な異議があります。
「単婚制」と訳した章の原題はmonogamyです。英語の原義は、一対一の結婚関係を表し、必ずしも「一夫一婦制」だけを指すものではなく、同性単婚をも含意しえます。しかし実際には、ライト本人は男性と女性の一対一の結婚関係だけが「聖書的な結婚」であると考えていることは、この章を読むならば明白です。たとえば彼はこのように述べています:
最初の創造は、男女の人間のペアがその冠であり、彼らの結合は最終的に天と地そのものを含む物語における他の結合のしるしや象徴であり、したがって良いものであり、再確認されることになる……(259頁)
たしかにこの章において、ライトは同性婚について直接的に論じているわけではありません。しかし彼によると、聖書的な結婚のオプションは一夫一婦制のみであり、それは創造のはじめから神によって与えられたデザインであり、終末論的なゴールでもある、ということですので、彼が「聖書的な結婚制度」として同性婚(や複婚制)を認めていないことは明らかです。
この章の前半では旧約聖書において複婚制(実際には一夫多妻制)が多く見られることについてかなりのスペースを割いて論じられています。旧約聖書には、旧約聖書の主要な登場人物であるアブラハム、ヤコブ、ダビデ、ソロモンをはじめ、一夫多妻の例がしばしば登場するだけでなく、それぞれの文脈では、複婚自体は特に否定的に描かれてはいません。しかし、新約聖書では結婚の選択肢は一夫一婦制か独身に限られています。なぜでしょうか?
ライトはこの理由を、前回紹介した5幕劇(1.創造、2.堕落、3.イスラエル、4.イエス、5.教会~終末)のアナロジーを用いて、次のように説明します。
(第4幕にいる)イエスは自分の登場によって、(第3幕の一部である)モーセ律法の一時的な制度は、神から与えられた働きを終え、これからは、それがつねに補助してきた主要目的、すなわち、第1幕で始まったが第2幕のために中断され、歪められたプロジェクトを救い、再開されるという働きに道を譲るのだ、と主張しているのです。(256頁)
つまり、旧約聖書の大部分を占める「第3幕」すなわちイスラエルの歴史においては、人々の「心がかたくななので」複婚制が許容されていた。しかし、新約聖書においては、イエスの到来によってオリジナルの創造のデザイン(つまり一夫一婦制)が再確認され、終末におけるゴールを目指して進み始めた、だから今日においては一夫一婦制か独身だけが許されるのだ、というのです。
このようなライトの主張、彼の聖書論の「適用例」に対して、私は大きな違和感を覚えました。(ちなみに、本書の原書改訂版が出版された2013年から10年以上が経って、ライト自身の見解に変化が生じたかも知れないと思い、念のために本人に問い合わせてみましたが、現在も考えは変わっていないとの回答を頂きました。)
私はジェンダーやセクシュアリティについては門外漢であり、同性婚についての専門的な議論は他の方々に譲りたいと思います。同様の理由で、ライトのケーススタディでわずかに言及される、現代における複婚制やポリアモリーについても論じることはしません。その代わり、次の投稿では、聖書論の観点からこの問題について私見を述べていきたいと思います。
(聖書とLGBTQという主題については、藤本満先生が近く刊行予定のご著書で詳しく論じられていますので、出版されたらそちらを参照してください。私は先生のご厚意により草稿を拝見する特権が与えられましたが、福音主義の立場からこの主題について書かれた本としては画期的な内容を持っています。そこでは愛と誠実に基づく婚姻制度は異性愛者にとっても同性愛者にとっても神からの祝福であると述べられています。また、同性愛を否定する根拠とされる聖書箇所の釈義的分析を行い、それらの箇所から現代のLGBTQを否定することはできないと論じられます。私は同書の釈義にも概ね同意しますが、これから述べていく議論は必ずしもそれらには依存しません。)
(続く)
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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