戦争と神学者(5)

聖書に出てくる用語、クリスチャンが使う用語を説明しています。 ヘブル的視点で解説されていますので、すでにクリスチャン歴が長い方にも新しい発見があるかもしれません。

(このシリーズの先頭はこちら)

前回までの投稿では、戦前日本の軍国主義イデオロギーを体現したかのような「日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰」(以下「書翰」。全文はこちら)とカール・バルトの神学の関係を見てきました。そこでは、当時日本で絶大な影響のあったバルト神学が天皇制イデオロギーと強引に結びつけられている姿を見ることができます。ここで生じるのは、明治以来ドイツ神学の影響を大いに受けてきた日本のキリスト教会において、なぜドイツの教会闘争に当たるような運動が出て来なかったのか、という疑問です。これにはいくつかの理由が考えられます。

一つは日独のキリスト教会がそれぞれの社会の中で置かれていた立場の違いです。古屋安雄氏(『日本の神学』)は、ドイツ教会闘争は国家と余りにも癒着した教会をどうただしていくか、という教会内の問題であったのに対し、日本の場合はマイノリティのキリスト教会、しかも敵国であるアメリカ系の教会がいかに弾圧から身を守るか、ということが問題であったと述べています。

次に、日本教会がそもそもナショナリズム的傾向を持っていたことが挙げられます。金田隆一氏(『昭和日本基督教会史』)によると、それは日本キリスト者自身が有していた「内なる天皇制」ともよべる精神構造です。古屋氏は、書翰はもちろん、当時の国家情勢の中でやむにやまれず書かれた文章ではあるが、それでも日本教会が以前から持っていたナショナリズム、また英米のキリスト教に対する批判がこの戦争を契機に顔を出したものではないかと述べています。

たとえば教団統理富田満は1943年2月1日に高知教会において行った講演の中で、米国が日本にキリスト教を植え付けたのは帝国主義の手先としてであったと述べ遺憾の意を表すると共に、教団創立と共に日本のキリスト教は「現在は何処の国の世話になることもなく純粋な日本キリスト教として信仰上日本のものとなつたのである。・・・我々は何処々々迄も日本人たる自覚を前提としてキリスト教を信仰し倫理道徳を通じ天皇陛下に帰一し奉るべきである」と述べました。

さらに、日本人の思想的特質ということも考えなければなりません。大塩清之助氏は丸山真男の『日本の思想』に依拠しながら、日本教会の体質的な弱さの原因を、異質なものを平然と結合する日本人の「精神的雑居性」に求めています:

日本のキリスト教は、「精神的雑居性の原理的否認」(イエスのみが主である!!)を要請する真理を奉じつつも、日本に対して「それを執拗に迫る」ことをせず、むしろ「この風土と妥協させる」ことによってかろうじて自己を保存して来たのだと言わざるをえない(少なくとも敗戦までは)。(大塩清之助「教会の罪の告白―日本キリスト教団の戦争責任をめぐって」『福音と世界』1967年1月号、22頁。強調は原文。)

そして大塩氏は続けて、このような精神的雑居性を偶像礼拝性と言い換え、「戦争責任の罪は、このような日本的体質を持ったわれわれが、その偶像礼拝の罪を真に心から悔い改めることをせず、イエスのみが主であるとの福音の絶対性に服従できなかった罪である」というのです。

このような「精神的雑居性」はキリスト教とナショナリズムの融合を容易にします。佐藤敏夫氏も丸山の同書に言及しつつ、過去と正面から対決することなく、新しいものを取り入れるため、キリスト教の受容が上滑りなものになってしまったと論じています。危機が訪れると、沈潜していたナショナリズムが顔を出してくるのです(古屋安雄他『日本神学史』)。

以上のポイントは互いに関連しあっています。日本においてキリスト教は常に米英という「敵国の宗教」と見なされがちであったため、教会はそのような疑惑を常に打ち消す必要に迫られていきました。それは裏を返せば、国家への歩み寄りという誘惑に常にさらされていたということです。このことと、明治以来の教会が持っていたナショナリズムの流れが合わさったとき、「日本的キリスト教」運動につながっていきました。そして日本人の「精神的雑居性」は、そのような、論理的には困難と思えるキリスト教とナショナリズムの融合をよりいっそう容易にしたと想像できるのです。

さて、書翰に表れているような日本の神学の問題には、以上の理由のほかに、神学的な理由もあるように思われます。それは偶像礼拝のとらえ方に関する日独教会の違いです。バルメン宣言やドイツ教会闘争において見られるような信仰の戦いはアジアの各国でも見られました。しかし、同様の戦いは戦前の日本教会では、美濃ミッションのようなごく一部の例外を除いて見られませんでした。その大きな理由の一つは、明治以来の日本キリスト教会が持っていた、偶像礼拝に対する批判的態度の弱さであったと考えられます。

「唯一の真の神以外の存在を神としない」という十戒の第一戒(出エジプト20:3)こそ、ドイツ教会闘争で告白教会を支えた神学的バックボーンだったのであり、バルトや、同じくナチズムに抵抗したボンヘッファーといった神学者は繰り返し第一戒の重要性を強調していました 。バルメン宣言でもそれをキリスト論的に言い換えた形で、イエス・キリストこそが唯一の、すべての主であることが宣言されています。キリストのみがすべての主であり、国家であれ人間であれ、キリスト以外の存在がその座に座ることは許されないというのです。しかし書翰においてはまさにこのキリストの主権性がないがしろにされています。ボンヘッファーはヒトラー暗殺の陰謀に加わったかどで逮捕され、終戦の直前に処刑されましたが、1944年に獄中で書いた「十戒の第一の板」と題する文章の中で、「日本のキリスト者の大部分は、最近、国家の皇帝礼拝に参加することが許されていると宣言した」ことに触れ、これを批判しています 。

松村重雄氏は教団では伝統的に贖罪信仰の強調が見られる反面、キリストの贖罪が個人の罪の赦しという内面の領域に限定され、キリストは教会の主、世界の主、全被造物の主であるという面が強調されてこなかった点に、戦前の教会が天皇制国家に追従してしまった原因の一端を見ています(「バルメン宣言と日本基督教団信仰告白」『福音と世界』2005年5月号、22頁) 。

このように、日本の教会が犯した最大の罪というのは、戦争協力というよりはむしろ、天皇を現人神としてキリストと同列いやその上に置いてしまった、偶像礼拝の罪であると言わなければなりません。と言うよりも、キリストの絶対的主権性という点において妥協し、国家に屈従した教会が、侵略戦争への積極的加担という道に突き進んでいったのは必然であったと言えるのです。律法の中で一番大切な戒めは何かと訊ねられたイエスは、神を愛することと、隣人を愛することの二つをもって答えられました(マルコ12:28-31)。この二つは表裏一体であり、切り離すことができないのです。真の意味で隣人を愛するには、まことの神を神として愛し礼拝することが必要不可欠です。この点で妥協をした教会によって作成された書翰がまさにこの隣人愛の教えを逆用して、その対極に位置する戦争への協力を呼びかけた事実は重大であるといえます。

もうひとつ注目しなければならない問題点は、日本教会がアジアの諸教会に対して持った傲慢の罪です。書翰はくりかえし、国体に基づく日本精神の土壌の上に成立した「日本国自生のキリスト教」の卓越性を宣伝しています。そして、この日本的キリスト教こそが世界を救うのだといいます。書翰で言われているアジア諸国の一致は決して日本と他の国々の対等の関係によるものではなく、あくまで盟主としての日本に他国が追従するというものであって、そのような関係はキリスト教においても前提とされています。

つまり、ここで起こっていたことは、ただ単に日本基督教団が当時の国家権力に妥協し屈従させられているというだけではありません。それと同時に教団は、日本政府と同じ側に立って、アジア諸国のキリスト教会に対して自らの優越性を誇示しているのです。つまりそこには、偶像礼拝の罪と並んで高慢の罪があったと言わなければならないのです。これは今日の日本キリスト教会全体の課題でもあると思われます 。

次回最終回では、これまでの内容を総括し、戦争と神学、そして神学者の関係について考察したいと思います。

(続く)

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