キリストの再臨については、これまでも何度か暗示されていたが、最後の22章に入ると極めてはっきりと、しかも繰り返し強調される。「見よ、わたしはすぐに来る」(7節、12節)。そして、この約束への応答もまた、力強く繰り返される。「来てください(17節)。ヨハネ黙示録のクライマックスである。
先週も述べたように、多くの宗教においては祈りや修行によって、また、戒律を守ることによってより高い境地に「達することを目指す。しかし、聖書の信仰においては救いの条件は人間の側にはない。もちろん、人間の努力を否定はしてはいないし、それにも深い意味があることを認めてはいるが、最終的には、救いは「我々が上昇して行くことによって達成されるのではなく、「主イエスが我々の所へ来ることによって与えられる。彼が来る!我々の所へ、あなたがた一人一人の所へ来る。この信仰が、ヨハネ黙示録全体を、そして聖書66巻を締めくくるのである。「『然り、わたしはすぐに来る。』アーメン、主イエスよ、来てください」(20節)。
さて、この信仰は、現代の我々にとっても重要な意味を持っている。そのことを明らかにするために、ここで「歴史をどう見るかという問題を取り上げたい。
18~19世紀の西洋では、科学・技術が飛躍的に発達したこともあって、「世界の歴史は進歩するという楽観的な歴史観が支配していた。しかし20世紀に入って第一次世界大戦が起こると、正にその科学・技術の「進歩がヨーロッパに破滅的な結果を招いたという認識から、「西洋の没落(シュペングラー)に代表されるような悲観的な歴史観が優勢になった。これは西洋に限らない。
では、21世紀に入った今はどうか?現代を性格づけるのに、よく「アウシュヴィッツ以後」とか「ヒロシマ以後という表現が使われる。人類はあのように非人間的な罪を平気で犯した。また、その後も同じようなこと(ベトナム戦争、ポルポトによる大虐殺等々)を今に至るまで繰り返している。そうである以上、もはや将来に楽観的な希望を持つことはできないという意味である。ある人は、「アウシュヴィッツ以後、もはや詩は書けないと言ったし、ゲオルギュウという作家は『25時』という作品を書いた。―― 時計の針が24時まで来ると1時に戻るように、今までの世界にはどん底まで落ちてもそれを引っくり返す復元力があったが、今や世界の時計は、元には戻れない時点を越えてしまった。針は25時を指している――。
泥沼のようなパレスチナの戦い・アメリカの強引な一極支配・それが誘発するテロ・それを根絶するためと称する戦争、等々。世界の希望を奪うような暗い出来事は跡を絶たない。現代は、底流に暗い悲観論が流れている時代である。
だが他方、「暗い面ばかりではないという見方もある。――「冷戦は終わった。ベルリンの壁は落ちた。ヨーロッパには「共生を現実のものとする「ヨーロッパ連合(EU)ができ、その影響は徐々にアジアにも及びつつある。今は「冷戦後」の時代だ。余り悲観的になることもない、という見方である。
このように、現代は悲観論と楽観論が交錯している時代である。しかし、ただ「交錯している」と言うだけでは不十分だ。その二つが「どのような関係にあるか?を明らかにすることが大切だ。黙示録はそのことを示唆していると思われる。
イエス・キリストは、「わたしはアルファであり、オメガである…初めであり、終わりである」(13節) と言われた。歴史の初めにも終わりにもイエス・キリストが立っている。初めから終わりまで、彼が我々の歴史を支えている、というのである。
「イエスが歴史の初めにいたというのは、この世界が偶然に・無意味に始まったのではない、ということであろう。神が世界をお造りになったとき「光あれ」(創世記1章3節)と言われた。「こうして、光があった。天地万物は偶然に、あるいは無意味に存在するのではない。神の意志によって造られたのであり、世界の歴史も神の意志によって始まったのだ。
では、神の意志とは何か?「愛である。歴史は、イエス・キリストに現れたような神の大いなる愛によって始まったのである。ヨハネ福音書の冒頭に、「初めに言があった。…万物は言によって成った」(1章1~3節)とあるのもその意味であり、イエスが「アルファである」というのもそのことを意味している。
我々の世界は、無意味に、あるいは偶然に存在しているのではない。今は、確かにひどい状態だが、たとえそうでも、世界は神の愛によって造られたのである。
私の親戚に、9人の子供に恵まれた人がいた。最後に女の子が生まれて「良子」と名づけられた。その子が大きくなったとき、「良子」という名の由来を問うたところ、父親は「もうどうでもよい」という意味だ、と答えた。その子は傷ついた。自分は両親が心から望んでこの世に生まれてきた子であるということ。そして、自分が生まれたとき両親がどんなに喜んだか。これを知ることは、人の一生の基礎になる。
我々の世界は、神の愛によって始まった。そして、歴史は神の愛が完成されるという目標に向かって導かれる。その中間においてひどい堕落が起こっているとしても、アルファであり、オメガである主イエスがおられる以上、世界は滅びていい筈があろうか?神は、「失われたものを尋ね求める」(エゼキエル書34章16節)神である。
ヨハネ黙示録は、我々の世界の歴史をこのように見ることを教えている。我々は単純な楽観論にも、一方的な悲観論にもくみしない。「主イエスよ、来てくださいと祈りつつ歩みを進めるのである。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
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