ニューヨークで起こった「同時多発テロ事件」に、私は打ちのめされた。私は今、皆さんと同じように暗く、重苦しい心を抱いてここに立っている。先ず、この恐ろしい事件に巻き込まれて絶望的な苦しみを味わいながら死んでいった多くの人々のために、またその家族のために、神の憐れみを祈らずにはおられない。
しかし、あの日以来、青年会の人たちがメール上で活発な意見の交換をしていることで、私は深く慰められた。誰もがこの事件の犠牲者を思って心を痛めながら、我々の世界の将来をどうすべきかについて真摯な考えを、しかも冷静に展開しており、私はこの人たちのことを誇りに思う。
そのような時に、創世記のヤコブの話をする巡り合わせになったのだが、一見無関係のように見えるこの話には、現代に生きる我々にとっても何か深い意味があるかもしれない。
さて、ヤコブというのはユダヤ民族の先祖の一人であり、アブラハムの孫、イサクの息子である。この人物の実に人間臭い生涯については、旧約聖書・創世記25章以下に詳しい記述がある。中々抜け目のない男であって、兄エサウがお腹を空かしていたのに乗じて、一杯のお粥と引き換えにちゃっかり長男の特権をものにしてしまっただけでなく、実際に父の死に際しては、兄エサウに変装して本来長男が受けるべき祝福を騙し取ってしまう。その結果、彼は家にいられなくなって出奔する。冷たい言い方のようだが、「自業自得」である。その孤独な放浪の旅の途中で、今日の箇所に記されている出来事が起こるのである。
日が暮れて泊まる所もなく、彼はある場所で「石を枕にして」(11)野宿した。この意味は、「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」(ルカ 9,58)という主イエスの言葉によって明らかにすることが出来るだろう。「枕する所」というのは、狐にとっては穴が、鳥にとっては巣がそうであるように、安心して眠ることができる場所のことである。
旅先で「枕が替わると眠れない」という人がいる。自分が住みなれた家・長年なじんだ枕。我々はそこでこそあらゆる緊張から解放され、安心して眠ることができる。だが、ヤコブには安心して眠る場所がない。仕方なく、多分、木陰のような所だろうが、石を枕にして身を横たえた。
「すると、彼は夢を見た」(12)。それは不思議な夢だった。天から梯子が伸びていて、それが大地に届いている。そこを天使たちが上ったり降りたりしている。その傍に主が立っていて、「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない」(15)と言うのだ。眠りから覚めたヤコブは、「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった」(16)と告白する。
「この場所」とはいかなる場所か?
もとはと言えば自分が悪いのだが、ヤコブは兄と仲違いして故郷を捨てた。孤独でさすらいの旅を続けるヤコブ。安心して眠ることのできる家庭をもう持てなくなってしまったヤコブ。石を枕に身を横たえるほかはないヤコブ。もしかしたら、自分にとって「安住の地」はこの地上にはなくなってしまったのではないかという、荒涼とした心象風景を抱くヤコブ。それが「この場所」である。
だが、そこにも神はいる。いや、そこにこそ神はおられる。聖書の神は、主イエスの十字架が示しているように、苦難の中にこそおられる。このことにヤコブは気づかされたのだ。「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった」!
あの梯子の夢は、そのことを彼に気づかせた。ヤコブが石を枕にして孤独な身を横たえている正にその場所に、天使たちが上り下りする梯子が天から伸びている。ここは決して見捨てられた大地ではない!
「黒人霊歌」は、アフリカから無理やりアメリカに連れてこられて、奴隷として強制労働をさせられた人々が創り出した歌だが、その中にこの場面を歌ったものがある。"We are climbing Jacob's ladder"というのである(残念ながら「讃美歌21」にはない)。彼らは、このヤコブの夢の話を聞いた時、直ちに了解したであろう。「ああ、これは自分たちのことだ! 」
自分たちは決して見捨てられてはいない。我々の所には、天使たちが自由に来れるように、天から梯子がかかっているのだ。そこを上っていくのだ、十字架の戦士たちよ。We are climbing Jacob's ladder. Soldiers of the cross.
これは現代の我々にも通用する。
我々の大地・我々の世界。それは神から見放された世界のように見えないだろうか。今度のテロ事件が示すように、憎しみと報復の悪循環をどうしても止めることができない。こんなことをやっている内に、やがて本当に滅びるのではないか。時として無力感が我々を襲う。我々は時に、石を枕にして横になったヤコブのようである。
だが、この我々の大地は見捨てられてはいない! そのことを信じよう。我々はヤコブの梯子を上っていくのだ、十字架の戦士たちよ。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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