第20代アメリカ大統領 ジェームズ・ガーフィールド

ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

「神よ、この幼いジム(ジェームズ)をお守りください。」やもめのガーフィールドは祈った。年上の子供たち3人は、小声でアーメンと言ったが、3歳に近いジムだけは歯を見せてニコリとうなずいただけであった。幼いのでよく理解できないにしても、毎晩その祈りは暖かな安心感を与えてくれたのである。

ガーフィールドの父は1年前に亡くなっていた。そこで母は、家族を養うべく、オハイオ州オレンジの近くにある辺境の農地を耕さなければならなかった。しかし、神の助けと子供たちの協力のおかげて、なんとか母はそれをまかなっていた。ジェームズは12歳にならないうちに、もう、薪を切ったり、作物を植え付けたり、とうもろこし畑を耕したり、小麦を刈ったり、そんな大人の仕事をしていたのである。

1歳になると、ジェームズは職を求めてクリーブランドに行った。そのおり、彼の耳に絶えず聞こえていたのは、「神よ、ジムをお守りください」という母親の祈りであった。エリー運河船の船長をしてたジムのいとこが、船荷係りの水夫の職を与えてくれた。ジムが初めて船でピッツバーグへ行くまで、実に14回も運河の中に落ちたのである。2度目の航海のときに、一人の大柄な船荷水夫を謝ってさおで突いてしまった。ジムの年齢の倍もあるその水夫は叫びながら、ジムのほうに突進してきた。ジムはサッと身をかわして、その男の耳のうしろをなぐりつけ、床に打ち倒した。大男はおとなしくなったが、ジムの苦難は終わったわけではなかった。

それから2,3週間後、彼の乗っていたイブニング・スター号が憩潮の水域から外へ脱出しようとしていた。そのとき、はらみ網がデッキの端の割れ目にからまってしまった。ジムが引っ張り出そうと努めると、突然、網が緩んで、そのはずみで水中に投げ出されてしまった。重い油布の服を着ていたので、ぐんぐん底のほうへ引き込まれていった。船が頭上をすべるように通り過ぎるのがわかった。乗組員はみんな眠っていた。しかも、ジムは泳ぐことができなかったのだ。その時、もがいていた手がぶらさがっている網に触れた。必死でそれをつかみ、やっとの思いで甲板にはい上がる事ができたのである。ずぶぬれで立っていたジムは、網が再び割れ目に引っかかっているのを発見した。なんと彼を水中に落とした網が命の綱となったのである。身震いして、彼は網をその割れ目に00回も投げてみたが、引っかからなかった。しまいに彼はこう言った。「神様だけが網をそこに引っ掛けることがおできになったのだ。神は運河の仕事よりも何かもっとよいことをさせようとして、ぼくを救い出してくださったに違いがない。」

ところが、家に帰るとジムはマラリヤの発作に襲われた。ヶ月間闘病生活を続けたが、その間もやもめの母は、「神様、ジムをお助けください」と祈っていた。ジムはマラリヤから回復するすると、教師になるつもりで、ジオガ・アカデミーに入学した。しかも、大工の助手として働いて学費を払い、家にいる母にも必要なだけ仕送りをした。

3学期学んでから、ジムは自分の丸太小屋の近くで、一時的な教職を得た。この若い教師は、悪い生徒達を手なずける腕にたけていたばかりでなく、規則正しく教会に出席することでも知られていた。その地域のディサイプル教会がリバイバル集会を開いたとき、ジムも出席していた。1850年3月4日、彼は説教者の招きに応じてキリストを救い主として受け入れたのである。日後、彼はこんな事を書いた。「神のみわざは栄えている。この場所で17人が信仰を告白し、永遠の命の希望に燃えている。神のいつくしみは感謝すべきかな。神の助けによって、私は生きているかぎり、私の造り主を褒め称えよう。」

2,3ヵ月後、未来の大統領である彼は「私がこれまでの人生を考えるとき、神の摂理がはっきりと働いていることを認めることができる。2年前、私は破滅の寸前にあった。運河船で働いていたときに、あらゆるたぐいの悪徳にふけろうとしていた。。。。私は病気になり、働けなかった。その後、2学期間学校へ行った。。。。冬季には学校で教えた。そして、これは最もすばらしいことだが、福音に従った。こうして、神の摂理により、私は現在の私となったのである。。。私は神に感謝する。」と書いた。

回心してから、ジムは急速な成長を遂げた。マサチューセッツのウィリアム・カレッジに入り、有名なマーク・ホプキンズのもとで学んで、卒業後は、ヒラム・カレッジの教授のポストを与えられ、1年後、2歳の若さでこの学校の学長になったのである。週末には、信徒説教者として、近くの教会で奉仕をした。

28歳のとき、彼はオハイオ州議会の最年少の上院議員となった。南北戦争で輝かしい働きをしたので、リンカーン大統領は彼を陸軍少尉にした。次いで1879年、合衆国の上院議員になった。しかも、その任期前に、合衆国最高の地位である大統領候補に指名されたのである。

その少し前に、ガーフィールドは教会に出席するために、政治上の大会に欠席した事があった。彼はある友人に語ったものである。「そうです。今は、不安な時代です。しかし、また、祈りの時代でもあります。ですから、私はこの大会でさかんに行われているあらゆる駆け引きよりも、クリスチャンの心から立ち上る祈りのほうに信頼を置いているのです」。

ところが、彼の属する党の指導者たちは、彼に背を向けるようになった。それはガーフィールドが、資格なしと考えた政治家は官僚に就かせるのを拒否したからであった。ガーフィールドは功績に応じた官吏の昇進制度に積極的な関心を持った。これが後に文官任用試験制度となったのである。

大統領になってわずかヶ月後、彼は猟官運動に失敗した精神錯乱者に撃たれた。死期がせまったとき、彼は医師にこうささやいた。「みこころがなりますように。私は時が来れば、行く備えができています」。

(LVJCCブログ制作チーム: 薫)

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