神は親が犯した罪の罰を子孫たちに負わせて裁きますか

正しいか間違っているかは別として、私は最善を尽くしましたが、これらは私の意見を表明しているだけです。

 私のブログにこのようなコメントをされた方がいました。「わたしたちの父祖たちが罪をおかした者なのです。彼らはもういません。一方わたしたちは,彼らのとがを負わなければならなくなりました。」 (哀歌5:7)

 それでその方は、この聖句を引用して父母が犯した違反によってその息子娘たちにまで神からの処罰が与えられ苦しむと言われます。また、そのようにする神を愛するのは難しいと言われます。

 その方はこう言われます。「しばしば聖書の神は他国の軍事力を道具として用いて不道徳に染まったイスラエル国に処罰を与えます。ネブカドネザルは悪王ゼデキヤを襲撃してこれを捕らえます。」「バビロンの王はリブラでゼデキヤの子らをその目の前で打ち殺した。」と聖書は述べています。(エレミヤ39:6、7)

 また、その方は、「ゼデキヤの子供たち幼い少年少女たちは神に従わない不道徳な父親ゼデキヤに敬意を払い従った結果 エホバ神を敵に回す結果となり剣で打ち殺されています。・・・親の愚行ゆえに子供たちにも神罰が降り掛かる悲惨な例です。」と述べられています。

 

 では、親が犯した罪の罰を子供が被ることに関連した状況を調べてみましょう。確かに、親が子供にどんなことを教え、どんな模範を残したかは、子供に大きな影響を与えます。

 多くの場合、子供は親が奉じていた宗教を行ないます。そのため、親が行ってきたことに対する神罰を子供が経験するということはあります。それは、多くの場合、子供たちも神の目に悪いことを行なっているからです。

 しかし、父祖たちのとがを負わなければならなくなったと哀歌を歌ったエレミヤ自体は、神罰であったバビロンによるエルサレムの攻撃を生き残ることができました。(エレミヤ39:11,12)

 また、その当時、エレミヤの側に立った人が幾らかの人々もバビロンによる攻囲を生き残ることができました。(エレミヤ39:16,17;45:5)。エレミヤの書記官バルクやエレミヤを窮地から助けたエベド・メレクなどです。

BaruchWriting Jeremiah's Prophecies (baruch1)バラクの親は悪い人であったかもしれませんがバルクは神に喜ばれる生き方をしてエルサレムの滅びを生き残りました

 バルクにしても、エベド・メレクにしても、親が良い模範を示したかどうかは聖書は記録していません。親は悪い模範を示していたかもしれません。けれども、彼らは良い選択をし、神に喜ばれる行動をしたのです。

 また、その当時、生き残る機会がすべての人に閉ざされていたわけではありません。エレミヤはエルサレムがバビロンから攻囲されてしまった時に、人々にバビロンの王に投降するよう勧めました。そうしたら生き残ることができると言いました。(エレミヤ38:17)

 エレミヤは何度も公に語りました。ですから、ゼデキヤの子供たちはとりわけ、エレミヤの述べた勧めを何度も聴く機会があったでしょう。子供であっても、エレミヤの助言に従って生き残る機会はあったと考えられます。少しでも、物事を判断できる年齢に達していて、神を恐れ従いたいと考えていたらそうできたでしょう。

 そして、聖書は親の悪い模範に従わなかった子供の例を幾つか述べています。ヒゼキヤの親アハズもとても悪い王で、子供を偽りの神に火で焼いて捧げることさえしました。(歴代第二28:1-4)しかし、その子ヒゼキヤは神に喜ばれることを追い求めました。(列王第二16:20;18:3)

  ヨシヤは15歳の時に神を求め始めました。(歴代第二34:3)ヨシヤの親アモンは悪い王でした。(歴代第二33:22)しかし、ヨシヤは親の悪い模範に見習いませんでした。ヨシヤは十代で神に喜ばれる道を追い求め、彼は神からの神罰を経験することを免れることができました。(列王第二22:19,20)

Josiahis Made King  (josiah1) ヨシヤの親は悪かったのですが彼は若くして王になり十代で神に喜ばれることを追い求めました

 当然、今日、親がイスラム教の過激派であっても、ヒンズー教の多神教徒であっても、無神論の仏教徒であっても、エホバ神を自分の神として選び、その方に喜ばれる生き方を追い求めることができます。

 エホバ神は今日聖書が幾十億冊も頒布されるように取り計らわれていますし、ネットで聖書を読んだり聖書関係の記事を読むことができます。青少年であっても、誰でも、聖書の真理に触れることができるようにされています。

 親が行ってきたことをそのまま行い続けるならば、確かに、神罰が臨む時、悪いことを行なった親の子供が巻き込まれるということも起こり得ます。(申命記5:9)しかし、そうしたことが起きる場合、大抵の場合子供もエホバの目に悪いことを行なっているのです。

 しかし、親と子どもは異なる決定をすることができます。「あなたは命を選び,あなたもあなたの子孫も共に生きつづけるようにしなければならない。」と申命記30章19節にあります。私たちはいつでも悔い改めて真の神を喜ばせる生き方を選ぶことができます。

 そうすれば、真の神を崇拝する選択をして、生き続けるという良い結果を経験することができます。エホバ神は、各自のした決定の結果をそれぞれ経験するように取り計らって下さっています。ですから、神は不公正ではありません。

 神はわたしたちひとりひとりに神を崇拝するかどうかという選択の機会を差し伸べて下さいます。私たちは公正の神を愛し崇拝するという選択をすることができます。

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