「天で戦いが起こった」

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します

「さて、天で戦いが起こった」(7)とある。私は、この聖句を今日の説教の題に選んだのだが、その後でいささか躊躇を覚えた。イラクでは今にも戦争が起こるかもしれないというこの時に、「戦いが起こった」と言うのは不謹慎ではないか? 本来、私は出来るだけ「戦争」に関する言葉は避けて、「平和」をもたらす言葉を語りたいのだ。

だが、私はしばらくとまどった後で、やはりこの題に決めた。それには理由がある。「ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだ」(7)とあるが、この「戦い」は普通の戦争とは違って、「なくてはならない戦い」だからだ。このことを、一つの例を取り上げて説明しよう。--- 戦後のドイツは、ナチスの時代に犯した「ユダヤ人迫害」や「大量虐殺」、「戦争」といった非道な犯罪を二度と繰り返してはならないという反省から出発した。この反省において、ドイツは日本より遥かに徹底的だった。基本的人権と人間の尊厳を踏みにじったナチズムは否定しなければならない。そのためには、一見矛盾するようだが、ナチズムを肯定するような言論の「自由」を認めてはならない。この精神が、「西独基本法」(憲法) に明確に盛り込まれた。「戦う民主主義」と言われる。これは、過去の克服のためには不可欠な「戦い」だったのである。

「天で戦いが起こった」ということもこれと似ている。天使と竜の天上の戦いは、地上で理不尽な迫害を惹き起こす悪の霊(竜)を否定するための戦いなのだ。

さて、この「竜」について、もう少し述べたい。「巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者」(9)と言われている通り、「竜」は神に敵対し・人間を惑わす悪の霊の象徴である。このことは既に述べた。

しかし今回、私は特に「巨大な」という形容詞に注目させられた。悪魔は巨大である。だが、「逆モマタ真ナリ」で、巨大なものはしばしば悪魔的になる。巨大化した企業・巨大化した国家・巨大化した軍隊は、いつしか人間の心を失って行く。

シモーヌ・ヴェイユは、「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる」(マタイ18,20)というイエスの言葉に注目した。イエスは「二人または三人」と言ったのであって、「百人も二百人も」とは言わなかった、というのである。これは本当ではないか。イエスは常に「いと小さき者」の一人一人に暖かい目を注いだが、巨大化したものにそれは不可能だ。システムそのものの非情な論理によって動くほかはないからだ。そこでは人間らしい心が失われ、悪魔化する。

その結果、巨大化したものはそれ自体の巨大さによって、いつしか滅びへの道を走り始める。恐竜がその巨大さによって絶滅したように。Small is beautiful (シューマッハー) ということは真理ではないか。

しかし、今日の話は、巨大な竜が自分の「巨大さ」によって滅びたというのではない。「天使が竜と戦って勝つ」という話である。この種の神話は古代中近東には珍しくないが、旧約聖書の至る所に「悪魔的な存在」は顔を出している。先程の9節がそうだし、ダニエル書の「獣」(7,7)もそうだ。「ものすごく、恐ろしく、非常に強く、巨大な鉄の歯を持ち、食らい、かみ砕き、残りを足で踏みにじった」!

天使ミカエルも旧約聖書に時々登場する。「その時、大天使長ミカエルが立つ。彼はお前の子らを守護する」(ダニエル書12,1)。ミカエルはイスラエルの守護天使で、救済者の役割を担う超越的な存在と信じられていた。この守護天使ミカエルが竜に、つまり、神に敵対する悪魔的存在・人類を誘惑して破滅させるサタンに戦いを挑む、というのである。

ところで、先週我々は、男の子(=キリスト)が天の「玉座へ引き上げられた」(5)というところを読んだ。このキリストが、今日の箇所ではミカエルと重なっている。竜(悪魔)と戦って地上に投げ落とすのは、実際はキリストである。サタンがどれほど強くても、結局はキリストに勝てない。「竜とその使いたちは応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった」(8)。こうして竜は「投げ落とされた」(9)。9節では「投げ落とされた」という言葉は三回繰り返されて、この悪魔的存在が天では既に克服されているということを印象的に示している。

以前にも述べたように、黙示録では、地上で起こるであろうことは先ず天で起こる、と信じられている。ヨハネが天に目を向けるのは、このためである。地上でどれほど迫害され苦しめられている時にも、信徒たちは天を仰ぐ。自分たちは決して見捨てられてはいないということが、天に現われている。だから「身を起こして頭を上げなさい」(ルカ21,28) キリスト者は、地上でどんな迫害に遭っても、どんなに絶望的な状況に直面しても、勝利の歌(10)に声を合わせて生きて行くのである。この勝利は、「小羊の血」(11)、つまり、主イエス・キリストの十字架によってもたらされたものに他ならない。

黙示録が訴えようとしているのは、このことなのである。

ところで、12節後半には「地と海とは不幸である。悪魔は怒りに燃えて、お前たちのところへ降って行った。残された時が少ないのを知ったからである」という甚だ不吉な言葉が続いている。天から投げ落とされた竜は、残された時の間、地上で苦悩と災いを撒き散らすというのである。これもこの世の現実であろう。

だが、それも長いことではない。イエスは「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」(マルコ13,13)と言われた。このことを想起したい。

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