啓示15・16章-七人のみ使いが七つの災厄を注ぎ出す(29)イエスの到来にどう備えるか

正しいか間違っているかは別として、私は最善を尽くしましたが、これらは私の意見を表明しているだけです。

 イエスは、啓示16章15節の中で、ご自分が盗人のように来るので、目ざめていなければならないと言われました。それは何を意味するでしょうか。イエスの弟子たちが何をしていなければならないことを意味するのでしょうか。 

(1)イエスが盗人のように来ることがどのように関係しているのか? 

 テサロニケ人への第一の手紙によると、イエス・キリストご自身が盗人のように来るだけでなく、「エホバの日」も夜の盗人のように来ます。(テサロニケ第一5:2,3)ですから、イエスが盗人のように来る時、エホバの日が突然到来します。 

イエスは盗人のように突然に来られる 

 一方、聖書の預言を知り、それに注意を向けて目ざめているクリスチャンにとって、「その日が不意に」「襲うことはありません。」(テサロニケ第一5:4) 「人々が,『平和だ,安全だ』と言っているその時,突然の滅びが,ちょうど妊娠している女に苦しみの劇痛が臨むように,彼らに突如として臨みます。」(テサロニケ第一5:3) 

 「エホバの日」に不意打ちをくらうと突然の滅びを経験してしまいます。ですから、イエスの到来にも、「エホバの日」の到来にも準備をする必要があります。 

 実際、イエスが盗人のように来るという句は、サタンが、ハルマゲドンに全地の王たちを「全能者なる神の大いなる日の戦争」に集めることを述べる聖句の間に挿入されています。(啓示16:14-16)ですから、イエスの到来と、大患難とは結びついています。イエスは、全地の諸政府が国際紛争にかかわっている時に、到来します。 

イエスが王になられる時に・・・ 

大患難が到来する 

 ですから、大患難、つまり、北が南を三度目に攻撃する国際紛争の時が「全能者なる神の大いなる日の戦争」の時であり、また、「エホバの日」です。「エホバの日」が到来するその時期に、イエスは盗人のように到来します。イエスが到来する時とは、天でエホバ神から、イエスが神の王国の王に即位させられ、全権を委ねられる時です。(ダニエル7:13,14) 

 ルカ12章によると、イエスは弟子たちが思わぬ時刻に盗人のように来ます。そして、時に応じて自分の従者団に定めの食糧を与えている「忠実な家令」には、主人であるご自分が到着した時、彼を「任命して自分のすべての持ち物をつかさどらせ」ます。(ルカ12:42-44)イエスは、エホバ神から神の王国の王として権威を与えられるので、イエスは、その権威をご自分の忠実な弟子たちにゆだねます。 

 イエスがエホバ神から全権を委ねられて到来する時、目ざめており、イエスの到来に備えて準備をしているイエスの弟子たちは、おそらく全地のキリスト教に対する影響力を手に入れることになるでしょう。彼らは、聖書の預言を研究し、それに基づいて、霊的な食物を分配し、突然のエホバの日に備えて準備していました。山に逃げて食糧を備え、大患難に対して用意をしていました。 

大患難に備えて食糧の備蓄という実際的な準備をする 

 彼らのしていた用意は、間違っていませんでした。彼らは北の王たちの軍勢の攻撃を首尾よく逃れ、命を生き永らえました。それで、大患難が終わった時、彼らの評判は一挙に高まることでしょう。また、その時、北の王の軍勢の軍事攻撃を見て、逃げて来た数えきれない大群衆は命を長らえ、感謝することになるでしょう。 

 そして、彼らは、全地で、彼らの聖書の預言の解釈は、正しいと、彼らのキリスト教は、信頼性を増すことになるでしょう。彼らのキリスト教は、全地で勢力を増すことになるでしょう。大患難の後も、イエスの弟子となる人々は多い事でしょう。 

 一方、自分の主人は来るのが遅いと言って、下男や下女たちなどの仲間のクリスチャンたちをたたいて、迫害しているならば、イエスは彼らの予期していない日に来て、最も厳しくこれを罰します。(ルカ12:42-46)仲間のクリスチャンを迫害していて、エホバの日に備えて山に逃げるということをしなければ、北の王の軍勢によって攻撃を受け、命を失うことになるでしょう。 

(2)目ざめているクリスチャンは何をしていなければならないか? 

 ですから、聖霊で油そそがれたクリスチャンは、イエスの意向に沿って、いつも、神のみ言葉の霊的な食物を仲間の弟子たちに供給している必要があります。そして、聖書の預言を研究して、いつも目ざめていなければなりません。そして、イエスの「意向」にそって「用意」をしていなければなりません。(ルカ12:47) 

神に是認されるため霊的な食物を定期的に分配していなければならない 

 イエスは、「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」が設立されるのを見たなら、山に逃げ始めるようにと助言されました。(マタイ24:15,16)「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」は、緋色の野獣で、大いなるバビロンを滅ぼし尽くしてしまいます。(啓示17:16)ですから、その国際組織が設立されるのを見たなら、北の王が南の王に総攻撃する時、すなわち、「エホバの日」の大患難が近いことを意味します。 

 南の王の王国に住んでいる神の民は早急に南の王国大いなるバビロンから出なければなりません。(啓示18:4)また、北の王の総攻撃に備えて、山に逃げ、食糧不足に備えて、食糧を蓄えていなければなりません。(マタイ24:15,19,21) 

農業をして食糧不足に備えておく必要がある 

 イエスが盗人のように来る時、イエスはご自分に忠実で勤勉な弟子に、さらに一層責任を任せることによって、報います。イエスがその忠実な弟子に任せる責任は、世界的な規模になるでしょう。それは、何と幸いな事でしょう。 

 一方、神のみ言葉に対する信仰に欠け、不忠実で怠惰な弟子は、イエスが到着した時、イエスから罰せらせることになります。結局、大患難で自ら戦って滅びるか、山に逃げていないので、北の王の攻撃によって命を失うでしょう。 

怠惰で霊的に眠っているクリスチャンは大患難で命を失うことになる 

 さらに、北の王と共に戦うことによっても、命を失う可能性が高いでしょう。イエスは、「剣をとる者は、剣によって滅びる」と言われたからです。(マタイ26:52) 

 結局、エホバの日の大患難に備えて、準備をしているならば、命を永らえることができますが、何も準備をしていなければ不意打ちをくらって、命を失うことになります。つまり、裸で歩いて、イエスと共に歩んでいないならば、イエスが王権を委ねられ、大患難が突然来る時に、命を失うことになります。 

 ですから、イエスが盗人のように来る時は、イエスの弟子たちのいわば成績表が出される時です。ですから、裸で歩いて自分の恥を見られないように白い外衣を着てイエスと共に歩くとは、イエスを通してエホバに献身した生活をして、霊的な食物を準備したり、霊的な食物にあずかって、いつも、霊的に目ざめており、大患難のために用意をしていなければならないことを意味します。 

将来はクリスチャンは山に逃げてイエスの到来に備えなければならない  

 そのようにして用意をしたことが報いられて命を守り、イエスからさらに信任を受けるというのは何と幸いな事でしょう。 

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