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物事を先延ばしする癖

物事を先延ばしする癖あなたは、物事を先延ばしにする癖がありませんか? どんな事も余裕をもって早目にする人もいれば、いつもギリギリにならないと動こうとしない人もいます。そのために、最後に慌ててしまい、うっかりミスをしてしまったりするものです。「延引は時間の浪費」という諺があるように、何事でも先延ばしにすることは色んな問題を生み出す原因になります。 「人が、なすべき善を知りながら行わなければ、それは彼にとって罪である。」(ヤコブ書4:17)聖書は延引について多くのことを語っています。たとえば、このヤコブ書の言葉をじっくり考えてみますと、確かに私たちは、なすべき事を知りながらせず、してはいけない事を知りながらしているということを気付かされます。しかし、なぜ私たちはしなければならないと思っていること

心のフィルター

心のフィルター綺麗なコップが目の前にあり、その中に水が半分入っているとします。この水の入ったコップを見て、あなたはどう思うでしょうか?この水は、多いですか?少ないですか? あるいは、水の多い少ないよりも、コップの色やデザインが気になるかも知れませんね。その感じ方は人によって随分違うことでしょう。のどが渇いている人は、コップ半分の水は少ないと感じるでしょうし、水など飲みたくもないのに薬を飲むためにその水を全部飲まなければならないとしたら、その水を多く感じるでしょう。あるいは、人によっては水よりも綺麗なコップに目がいき、色の美しさやデザインの良さに心を引かれるかも知れません。つまり、目の前にある現象や出来事、あるいは目の前にいる人に対してどう思うかは人によって捉え方が違うということです。 たとえ

心のインフルエンザ」

今日は、“心のインフルエンザ”ということを考えてみました。人生において、人は誰でも“赦し”という課題と取り組まなければならない経験をします。問題の大きさ、それに対する怒り・憎しみの大きさは千差万別ですが、誰もがこの課題を抱えており、この課題にどう対応するかで人生は大きく変わるものです。赦せない思いは、私たちの中に、いわば“心のインフルエンザ”を患わせ、憎悪の思いを持続させながら私たちの心から幸福と平和を奪い去ってしまいます。したがって、人を赦すということは、まず自分の幸福ために絶対に必要なことなのです。ところが、それが分かっていても、そう簡単にできないのが“赦し”です。私たちの生まれながら性質には、本来それを実行する力がありません。そこでまず私たちは、“赦し”が感情の行為ではなく、意思的な行

神に対する信頼」

今日は、「神に対する信頼」ということを考えてみました。「心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」(箴言3:5-)イスラエルの民が400年のエジプトでの奴隷生活から解放されたとき、彼らは自由を求めて歩き始め、最初の行き詰まりが紅海でした。両側には越えられない山があり、前方には海があり、そして、後ろには、エジプトの王パロが心を変えたために、彼らを捕らえようとするエジプトの軍隊の追跡がありました。イスラエルの民はまさに八方塞の状態に見えました。しかし、神はご自分が何をしたいのかをよくご存知でした。神は決して間違いをされません。神は彼らに見えないものを見ることができます。神は紅海を開き、彼らはそこを通り抜けるこ

詩篇119:1-2の黙想

詩篇119:1-2の黙想「幸いなことよ 全き道を行く人々 主のみおしえに歩む人々。幸いなことよ 主のさとしを守り 心を尽くして主を求める人々。」(詩篇119:1-2)  詩篇119:1-2の言葉は、主の道を歩み、主の教えを守ることが幸福の鍵であると言われています。主の道を歩むことは、単に宗教的な規則に従うことではなく、心を尽くして主の御心を追求し、その命令を実生活で実践することを意味します。 このメッセージは、新約聖書のマタイの福音書に記されたイエス様の言葉とも共鳴します。イエス様はマタイ7:24において、:「だから、わたしのこれらの言葉を聞いて実行する者は、岩の上に家を建てた賢い人に似ている」 と言われました。 ここでイエス様は、神の教えに耳を傾け、それを行なう者は堅固な基盤の上に人生を築

神の御心か?自分の思いか?”

今日は、”神の御心か?自分の思いか?”ということを考えてみました。私たちクリスチャンは、ある決断をする場合、神の御心か?それとも自分の思いか?ということで迷うことがよくあります。そして、御心だと思っていたことが単なる自分の願いであったり、自分が願わなかったことが御心であったりする場合もよくあることです。そんな時、神は聖書の御言葉を通して私たちに御心を示して下さるのです。シモン・ペテロが答えた、「主よ、わたしたちは、だれのところに行きましょう。永遠の命の言をもっているのはあなたです。わたしたちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています」(ヨハネ:8、9)たとえ私たちが神の計画を理解できないとしても、私たちは神の導きに応えるべきです。実際、私たちが神の計画を理解できないときこそ、私た

決算の日

「決算の日」 今日は、聖書が教える決算の日について考えてみました。 皆さんも一緒に考えてみてください。 巨大なトウモロコシ畑に一匹のクモがいました。それは大きなクモで、トウモロコシの茎の間に綺麗なクモの巣を作りました。そのクモはクモの巣に引っかかるすべての虫を食べて大きく太っていました。彼(クモ)はその家(クモの巣)が大好きで、そこで残りの生涯を送ろうと思っていました。 ある日、クモはそこで小さな虫を捕まえました。彼がその小さな虫を食べようとしたとき、虫が言いました。「もし逃がしてくれたら、君の命を救う大事なことを教えてあげるよ。」 クモは気になり、しばらく考えて、続きを聞きました。小さな虫は言いました。「君はこのトウモロコシ畑からすぐに出るべきだよ。もうじき収穫期が来るから。」 クモは笑っ

劣等感からの解放

劣等感からの解放 多くの人が劣等感のゆえに苦しんでいます。その理由は様々です。劣等感があると、人と正面から向き合うことが恐くなります。また劣等感があると、人を正しく見ることができなくなり、人間関係に様々な問題を引き起こし易くなります。 また一方で、世の中には劣等感をバネにして、人にバカにされないようにと頑張ることで大きな事を為し遂げる人もいます。それによって優越感を持ち安心するのですが、そもそも優越感というものは劣等感の裏返しなので、そういう優越感もまたちょっとしたことでガタガタと崩れてしまうことがあります。 しかし、ここにそのような劣等感から本当に解放される道があります。 イエス・キリストはヨハネ8:31-32で、「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、・・・・・・・、あなたが

いつくしみ深き

いつくしみ深き いつくしみ深き 友なるイエスは罪とが憂いを とり去りたもうこころの嘆きを 包まず述べてなどかは下ろさぬ 負える重荷を いつくしみ深き 友なるイエスはわれらの弱きを 知りて憐れむ悩みかなしみに 沈めるときも祈りにこたえて 慰めたもう いつくしみ深き 友なるイエスはかわらぬ愛もて 導きたもう世の友われらを 棄て去るときも祈りにこたえて 労りたまわんこの「いつくしみ深き」という賛美歌は、おそらく世界中で最も多くの人々に知られ、親しまれ、また愛唱されてきた賛美歌の一つだろうと思います。英語のタイトルは、What A Friend We HaveIn Jesusです。この賛美歌の作詞者は、ジョセフ・スクライヴェン (1819 – 1886)というアイルランド人で、彼の生涯は、ある意味

慰めのクッション」

今日は、‘慰めのクッション’について考えてみました。死が近づいて来るとき、私たちにはクッションが必要です。他人が死んだときは、「ああ、そうですか…」で終わりますが、それが身近な人であれば、深刻に受け止めます。さらに、この死が自分という主観的な体験になるとき、人は極端な恐怖を覚えるようになります。死が近づいて来たら、その時には、それまでの栄華も功名も、何の意味もありません。自分が死に直面し、死後の世界を知らず、一握りの灰に戻るのだと思うとき、その人の挫折と絶望は形容し難いものです。 ホスピスで多くの死んで行く人たちの臨終を助けてこられた方々の話によれば、また私自身の経験からも、神を知らず、天国を知らない人たちは、最後の死の瞬間までこの世にすがり付き、恐れと不安と絶望を口にしながら死んで行かれま

怒りは感情の蓋

“怒りは感情の蓋” あなたはどんな時に怒りを覚えますか? 当たり前のことですが、気分の良い時に怒る人はいません。人が怒るのは気分の悪い時です。では、どんな時にあなたは気分を悪くしますか?人が気分を悪くする理由は様々ですが、例えば、よくあるケースが、「あの人、私のこと全く解ってくれない」「彼女ったら、私がこんなに苦しんでるのに助けてもくれない」「彼ったら、私のこと少しも考えてくれない」というものです。この場合、その心理的メッセージをみると、「解ってくれない」「助けてくれない」「愛してくれない」というメッセージが読み取れます。解ってくれない、助けてくれない、愛してくれないと感じた時、人は不満を覚え、攻撃的になり、怒ってしまいます。あるいは、解って欲しい、助けて欲しい、愛して欲しいと素直に言えない

挑戦

挑戦 「1000回の憧れより、たった1度の挑戦のほうがずっと価値がある」とは、サミュエル・スマイルズの言葉ですが、確かに、憧れだけで何の行動にも移らなければ何も生まれませんが、ただの一度でも何かに挑戦すれば、そこには成功につながる可能性が生まれます。結局のところ、「成功の反対は失敗ではなく、何もしないことである」と言われる所以はそこにあるのだと思います。 ところで、”挑戦”という言葉を聞いて、あなたはどういう印象を持たれますか? 私は、”挑戦”という言葉を聞くと、胸が膨らみ、内側から沸々と力が湧いてきます。そして、ある時などは、この言葉のおかげで、自分が目指してきた目標とは別のものに意識が向けられている自分に気付かされ、再び初心に戻って頑張ろうという思いにさせられることがあるものです。 そ

障害者は邪魔者ではない」

今日は、'障害者は邪魔者ではない'ということについて考えてみました。一年前に神奈川県の知的障害者福祉施設で19人もの人が殺害されるという、おぞましい事件がありました。第二次世界大戦後の日本で発生した殺人事件としては犠牲者の数が最も多いだけでなく、重度の知的障害者はいない方が良いと言う男性による大量殺人であったことが日本社会に大きな衝撃を与えました。この事件は、海外でも大きく報道されました。治安の良い日本で起きた残虐な大量殺人であること、そして障害者がターゲットとされたことがその理由でした。私たちの社会は弱肉強食ではないのです。ルールがあり、マナーがあるのです。順序を守って並ぶ。高齢者には席を譲る。自分のことだけでなく、もっと他の人のことを考える。それが動物とは違う人間社会のあり方です。子ども

クリスマスの窓から見える神の愛“

今日は、”クリスマスの窓から見える神の愛”ということを考えてみました。クリスマスの出来事に思いをめぐらすとき、そこに見えてくるものは神の愛です。クリスマスは、神があなたを愛して下さって、あなたのために御子イエス・キリストを与えて下さった日です。愛とは単なる教えではありません。本物の愛は、愛するという行動で表わされるものです。つまり、愛する人のために犠牲を払うこと、それが愛です。18世紀の啓蒙思想の代表的哲学者で、ドイツの音楽家フェリックス・メンデルスゾーンのおじいさんでもあったモーゼス・メンデルスゾーンの話です。モーゼスはあまり見栄えのしない人で、背が低く、背中にこぶが付いていました。ある日、彼は、ハンブルグの商人の家を訪問し、そこでフルミテという名前の美しい娘に出会います。そして彼は彼女に

七転び八起き」

今日は、‘七転び八起き’ということを考えてみました。人生には、色んな行き詰まりや挫折があります。失業や倒産、病気や離婚、また様々な人間関係のつまずきがあります。ある場合には、決定的な打撃を受けて、そこから立ち上がることができず、その苦しみから解放されるために死を選ぶ人もおられます。最近の象徴的な社会現象の一つと言われている自殺者の数は、日本では交通事故による死亡者の3倍以上もあるそうです。また平成10年以後、自殺者の数は毎年3万人を突破しています。この数字は、世界的に見ると、先進国の中で人口に占める割合としては世界一だそうです。もしこの人たちが神を知っていたら、きっと違う道を歩まれていたに違いありません。日本に昔からある諺に「七転び八起き」というのがあります。これは、多くの失敗にもめげず、そ

苦難の中の祝福」

『苦難の中の祝福』人間の歴史は、まさに苦難の歴史です。人は生きている限り誰でも苦難に遭います。経済的な苦難、社会的な苦難、人間関係の苦難、また病気の苦難など、様々な苦難があります。今回は旧約聖書のヨブ記からお話をしたいと思いますが、ヨブという人は、かつてイエス様が「ヨブの試練」と言われたように、試練の代表とも言える、大きな、しかも理由の分からない苦難を経験した人です。ヨブは、東の国で一番裕福な人で、神がサタンに自慢する程の信仰深い人でした。ところがヨブは試練に遭い、全財産と、多くのしもべたちと、10人の子供たち全員の命を失います。その上、彼は健康を損ない、足の裏から頭の先まで悪性の腫れ物で覆われてしまうのです。ヨブ記の1章、2章を見ると、この苦難はサタンからのもので、同時に神の許しのもとで起

感謝は失望を喜びに変える」

今日は、"感謝は失望を喜びに変える"ということを考えました。 主にある喜びを持ち続けるための良い方法は、事ごとに感謝をもって祈ることです。祈りには驚くべき力があります。もちろん、祈りを通して、私たちは直接的に心の平安と喜びを与えられます。しかし、さらに素晴らしい事は、祈りが神の御手を動かし、驚くような神の御業をもたらしてくれることです。そして、この神の御業の経験は、私たちの理性を超えた平安と喜びを私たちに味わわせてくれるのです。この祈りの偉大な力を考える時、見逃してはならない大切な事が一つあります。それは、祈りというものがキリストの名によって祈る祈りであるということです。私たちは祈りの時、「イエス・キリストの御名によって祈ります」と言いますが、この言葉には、「イエス・キリストを信じます。イエ

3本当の自由

本当の自由 むかし、むかし、幸せな小さな汽車がいました。彼はレールの上を自由に走りながら楽しい時を過ごしていました。途中で友達に会うと、警笛を鳴らして挨拶をしました。すると友達の馬は、牧草地の端まで全速力で汽車と競走しました。また友達のカモは、ポッポと煙をあげる煙突の上を飛び回りました。 しかし、ある日のこと、幸せな汽車は急に幸せでなくなってしまいました。彼は友達のことが羨ましくなったのです。馬は、牧草地の中を行きたいところに行けるし、カモは、空を自由に飛ぶことができます。「しかし、僕に出来ることはレールの上にとどまることだけ・・・」と、幸せでなくなった汽車はぶつぶつ言いました。 「どうしたらレールから外れることができるかな・・・」と小さな汽車は考えました。「おそらくカーブをスピードを出して

真の幸福を得る道

真の幸福を得る道 ところで、真理とは一体どういうものでしょうか?国語辞典を見ると、真理とは、①いつどんなときにも変わることのない、正しい物事の道筋。②思惟と存在、あるいは認識と対象の一致。③だれも否定することのできない、普遍的で妥当性のある法則や事実。というふうに定義しています。 では、真理の書である聖書は真理をどう定義しているでしょうか?聖書は真理についてさまざまなことを教えていますが、一言で言えば、真理とはイエス・キリストである(ヨハネ14:6)と教えています。つまり、真理とは、理論でも教義でもなく、イエス・キリストご自身であるということです。少し説明が必要でしょうか? つまりそれは、人生の究極の目的が、死後の世界における天国に行く道を見出すことであり、その道はイエス・キリストだけである

心の貧しい人は幸いである”

今日は、”心の貧しい人は幸いである”ということを考えてみました。マタイの福音書の5-7章の部分は、「山上の説教」と呼ばれているところですが、イエス様の一回の教えとしては一番長いところで、イエス様もきっと心を注いで、神を信じる者の生き方についてお語りになったのだと思います。 1節を見ると、「この群衆を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、・・・・」と書かれています。「山に登り」とは、静かな所で大切な教えを語ろうとされたことを、また、「おすわりになられた」のは、じっくりと教えるためであったことを暗示しているようです。そして、開口一番に言われた言葉が、この「山上の説教」で最も有名な言葉である「心の貧しい人は幸いである」という言葉でした。内村鑑三は、この最初の一言に、山上の説教のすべてが凝縮され

The Cross Pendant

He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel

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bible verses about welcoming immigrants

Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......

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