詩篇119:1-2の黙想
ラスベガス日本人教会 砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を
詩篇119:1-2の黙想
「幸いなことよ 全き道を行く人々 主のみおしえに歩む人々。幸いなことよ 主のさとしを守り 心を尽くして主を求める人々。」(詩篇119:1-2) 詩篇119:1-2の言葉は、主の道を歩み、主の教えを守ることが幸福の鍵であると言われています。主の道を歩むことは、単に宗教的な規則に従うことではなく、心を尽くして主の御心を追求し、その命令を実生活で実践することを意味します。 このメッセージは、新約聖書のマタイの福音書に記されたイエス様の言葉とも共鳴します。イエス様はマタイ7:24において、:「だから、わたしのこれらの言葉を聞いて実行する者は、岩の上に家を建てた賢い人に似ている」 と言われました。 ここでイエス様は、神の教えに耳を傾け、それを行なう者は堅固な基盤の上に人生を築くと教えておられます。詩篇119の初めの節からも同様の教訓が得られ、神の言葉を守り、それに従う者は真の幸福と安定を見出すことができることが示されています。 また、ヨハネ第一の手紙5:3では、「神の命令を守ること、それが、神を愛することです。神の命令は重荷とはなりません」と言われていますが、この教えは詩篇119:1-2とも共鳴し、神の律法を守ることが私たちにとって苦であるべきではなく、愛の行為であることが示されています。神の命令は私たちの自由を奪うものではなく、真の自由を与えるものなのです。 さらに2節の「心を尽くして主を求める」という言葉は、ヘブル書11:6の「神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです」とも繋がりがあります。この節は、神を心から求めることの重要性と、そのような求めに対する神の約束が述べられています。 これらの聖句を通じて明らかなことは、私たちの信仰生活において神の言葉を深く掘り下げ、日々の生活の中で実践することの大切さです。神の律法をただ頭で理解するのではなく、心を尽くしてそれを行なうことで、私たちは神とのより深い関係を築き、神からの導きと平安を得ることができるのです。 今日の一言:主のみおしえに歩むことは幸いなこと
鶴田健次
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