一人の羊飼いに導かれ

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「一人の羊飼いに導かれ」

秋葉 正二
民数記27,12-17;

 元来遊牧民であったイスラエルの人々にとって、羊飼いの話は旧約時代からよく耳にしてきたことです。イエス時代も羊飼いとして生きる人たちが町の周辺におり、既に遠距離を移動する羊飼いは少なく、比較的町からあまり遠くない場所で羊を飼い、時には農業もやるといった半農半牧の人が多かったと見られています。当然町の人々とも交流が生まれますから、羊飼いの生活の様子は町の人々にも日常的に身近に見られるものでした。ですからイエス様が羊飼いの譬え話をすれば、みな実感をもってその話を聞けたのです。残念ながら私たちにはそうした実感はありませんから、できるだけ当時の日常生活の知識を仕入れて、イエス様の話を伺うしかありません。

 そもそもダビデは少年時代羊飼いでしたし、それが「詩編」にあるように、神によって「イスラエルの牧者」と位置付けられるようになるわけですから、「羊飼い」はどちらかと言えば良いイメージです。もっともエレミヤ書にあるように、悪い牧者に代わって良い牧者が立てられる、という話はありますが、圧倒的に良いイメージです。それに旧約聖書の世界では、神様ご自身がイスラエルの牧者として民を守られるというモチーフがあります。詩編23編の 『主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない』 という御言葉はあまりにも有名です。イザヤ書やエレミヤ書を読むと、神ご自身が牧者としてイスラエルの群れを守り導くという表現がたくさん出てきますから、そういう意味では私たちにも羊飼いは身近です。

 さて、きょうのテキストではまず11節にイエス様の言葉として『わたしはよい羊飼いである』という言葉が出て来て、それが再度14節で繰り返されます。そしてそれに続いて『わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている』とあります。「羊を知り、わたしを知っている」とありますが、ここで使われている「知る」という言葉・動詞が、ヨハネ福音書では大変特徴的であり重要です。辞書を引きますと「知る」とか「理解する」という意味がもちろん載っていますが、用例の中に、ただ単純に「知る」のではなく、「霊的に,人格的交わりにおいて知る」という説明がありました。ヨハネの用法はちょっとこれに近いもので、ヨハネはこの「知る」という表現を使って、父なる神様と子なるイエス様と弟子たちの独特な一体性を表わすのです。弟子たちというのは、別な言い方をすれば教会です。ヨハネが所属していた教会があったでしょうし、そうでない別の教会の存在も考えられます。

 とにかく神とイエスと教会が相互呼応的に深い関係にあるのだ、とヨハネは主張します。ですからこの「知る」という言葉は、外面的に知るのではなく、内的にと言いますか、全人的に「知る」ことを意味しています。これをヨハネは、イエス様が使われた羊飼いという恰好のモデルを引用しながら言わんとすることを展開するのです。ですから私たちはこのイエス様のお言葉を聞く時に、イエス様と父なる神様との深い交わりを受けとめながら、私たちとイエス様の間にも同様に深く結びついた絆があることを理解すべきです。ヨハネに言わせれば、それが愛なのです。そうした深く知り合い、交わる関係を羊飼いと羊の関係で表現したのが、イエス様が語られている話なのです。イエス様は11節で「よい羊飼いは羊のために命を捨てる」とも言われています。

 実際当時の羊飼いにはそうしたことを裏付ける行動があったようです。一人の羊飼いが目を届かせることができる範囲はせいぜい100匹くらいかも知れませんが、羊飼いは本当に自分の飼っている羊の鳴き声などを聞き分け、その姿を見分けたそうです。その理由の一つは、羊飼いは基本的に家族で羊の面倒を見ていたので、飼っている羊が家族を養ってくれるいわば宝だったからです。父親でも息子でも真剣に羊を飼ったわけです。当時は狼などの野生動物も多かったので、羊が襲われれば羊飼いは武器を取って必死に撃退しなければなりませんでした。運が悪ければ自分が死ぬことだってあるわけです。

 ところが雇われ羊飼いという存在があります。彼らは羊飼いを職業としていろいろな羊のオーナーたちに雇われるわけですが、家族経営の場合に比べれば責任感がどうしても違ってきます。オーナーの息子が外敵と必死に闘うように彼らは自分の命など賭けません。家族の絆で結ばれているわけではありませんから、仕方ないと言えば仕方ないのですが、羊に対する向き合い方が家族の場合とは決定的に違ってきます。雇われ羊飼いにもいろんな人たちがいたと思いますが、エレミヤ流に言えば、概して雇われ羊飼いは悪い牧者と言えるかも知れません。

 とにかくイエス様も、その話を聞く人たちも、話の筋を裏付ける状況がお互いによく分かっているのです。これこれこういう羊飼いが……と言えば、聞く人たちはすぐピンと来るのです。一匹一匹の羊にどれくらい親密さが出て来るのかは、実際に飼ってみて世話をしないと分からないと思いますが、一匹の存在にどれだけよい羊飼いが入れ込んでしまうかは、一頭の犬という動物に入れ込んだ経験のある私には少し分かる気がします。羊と犬は違うよ、と言われればそれまでですが、人と動物の間にも愛情は確かに生まれます。とにかくイエス様はそういう当時の羊飼いに関わる状況を理解された上で、この『よい羊飼いは羊のために命を捨てる』という話をなさったわけです。この話には、いざという時には羊など捨てて逃げ去るという人間の醜い姿が白日の下にさらされています。

 狼が来れば、羊に対して最後まで責任を負わず、自分の命が惜しいので私たちは逃げるのです。そうした人間の姿に照らし合わせるようにご自分の十字架の予兆として、『よい羊飼いは羊のために命を捨てる』と語られるのです。これに対して、返す言葉が私たちにあるでしょうか? 私たちにはいざとなれば逃げだす自分の姿がよく分かるのです。ですから、この話をされながらイエス様の心の中は人間に対する悲しみで溢れていたのではないかと思います。誰よりもよく人間の内側を理解されておられたお方ですから、人間に向かってこういう話をされるのは悲しかったでしょう。

 しかし、イエス様は「羊飼いの話」を憐れみや悲しみだけで終わらせませんでした。そのカギは16節だと思います。こうあります。『わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる』。私は、これは当時の教会のことに触れている言葉だと思います。聖書学的にはヨハネがイエス様の言葉に付け加えたということになるのかも知れません。何にせよ、教会のことに触れていると思います。紀元1世紀の教会は少しずつ組織を整え始めていましたが、そこに立てられたリーダーたちがすべて信仰を貫き通したわけではありません。殉教の死を遂げた人も多くいたはずですが、教会のリーダーの中にはその責任を放り出して逃げてしまう人もいたようです。命がかかっていれば当然でしょう。

 しかし教会は信仰の試金石としてその存在価値を世間に証しする必要がありました。迫害を乗り越えることなしにその後の教会の発展はないのですから、当時の教会リーダーの責任たるや想像を絶するものがあります。もしヨハネが16節の言葉を付加したのであれば、彼はイエス様から力を頂いてこの16節を加えたのです。「囲いに入っていない羊」というのはヨハネの所属した教会以外の教会を指しているのかも知れません。

 翻っていま私たちはイエス様の声を聞き分けているのでしょうか。イエス・キリストという一人の羊飼いに導かれていることは確かですが、一つの群れになっているかどうかはあやしいものです。自分たちのこの教会ということだけでなく、プロテスタントだけをとっても、多くの教派に分かれてしまっている現実、これをどう受け止めるべきでしょうか。カトリックやオーソドックスの人たちとは一緒に信仰の道を歩めないのでしょうか。そうではないと私は思います。イエス様という「一人の羊飼い」にちゃんと導かれれば、信仰の群れは一つになれると思います。これは私のもっとも大きな希望の一つです。エキュメニカル運動に従事してきたのもその思いがあるからです。信仰者の群れにも信仰者個人にも、もっと広く言えば、人間には建前というものがありますから、これをまず整理して取り除く作業が私たちには必要でしょう。気が遠くなるような作業に思えますが、私たちはイエス様から『わたしは良い羊飼いである』とお言葉を頂いているのですから、この一人の羊飼いに導かれて行く限り、一つの群れの姿は信仰者が仰ぐことのできる確かなまぼろしです。復活節、新たな命を頂いて元気に進んでまいりましょう。

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