神の御心か?自分の思いか?”
ラスベガス日本人教会 砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を
今日は、”
神の御心か?自分の思いか?”ということを考えてみました。私たちクリスチャンは、ある決断をする場合、神の御心か?それとも自分の思いか?ということで迷うことがよくあります。そして、御心だと思っていたことが単なる自分の願いであったり、自分が願わなかったことが御心であったりする場合もよくあることです。そんな時、神は聖書の御言葉を通して私たちに御心を示して下さるのです。
シモン・ペテロが答えた、「主よ、わたしたちは、だれのところに行きましょう。永遠の命の言をもっているのはあなたです。わたしたちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています」(ヨハネ:8、9)たとえ私たちが神の計画を理解できないとしても、私たちは神の導きに応えるべきです。実際、私たちが神の計画を理解できないときこそ、私たちは神の導きどおりに従うことがさらに重要です。しばしば、神は私たちが神の計画の特定の詳細を知る前に、私たちが神の御心に従う選択をすることを願われます。それは、私たちが神のご性質と憐れみに対する信頼を発展させることが神の計画の一部だからです。しかし、これは私たちの多くが神と意志の戦いに入るところです。最初に神にその計画を示していただき、その上で神の御心に従うかどうかを決めたいと思うのです。しかし、そういう訳にはいきません。神はあなたに先に決めて欲しいのです。神を信頼し、神の御心があなたの人生の最良の計画であることを信じ、また神の御心をなす力を神があなたに与えられることを信じて、神の計画が明らかにされる前に、神はあなたが神に従う決断をすることを望まれるのです。神があなたの人生における神の計画の全容を見せられない一つの理由は、あなたが見るものに圧倒されるかも知れないからです。たとえば、神の計画をすべて見せられたときに、あなたはそのすべてをなすことなど不可能だと思うかも知れないのです。しかし、これがポイントです。つまり神の力づけなしに、あなたの任務を成し遂げることなどできないのです。ペテロは、何をすべきかについて、絶えずイエス様との戦いの中にありました。しかし、彼はまた神の聖なる方、神の言葉が人となられたイエス・キリスト以外に信頼できる方はいなことを知っていました。あなたは、まだ、進むべき道を尋ね求められる別の誰かがいると思いますか。おそらく、あなたはまだ、あなた自身が一番よく分かっていると信じているかも知れません。そこで神様にこう祈ってみましょう。 『私は、最初に何が起こるかを知らず、ただ信仰によって進みたいという気持ちがあるかどうか分かりません。しかし私は自発的にそうできる者になりたいです。』
今日の一言: どこまでも神を信頼し、神の御心に従う決心をしよう。平安鶴田健次
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