聖書に心動かされた人々”
ラスベガス日本人教会 砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を
今日は、
”聖書に心動かされた人々”のことを考えてみました。チャールズ・ディケンズが 「聖書は、この世界でいまだかつてなかった、また今後あろうとも思われない最善、最良の書である」と言ったように、聖書は、知れば知るほど世にも驚くべき本であることに目が開かれていきます。「聖書」という言葉は、新約聖書が書かれたギリシャ語では「ビブル」と言いますが、これは「本」を意味する「ビブリオン」から生まれた言葉で、「本の中の本」ということです。またこの聖書は、世界中の人々に圧倒的な影響を与え、これ程までに人々の心に変革をもたらしたものはどこにもありません。聖書は古い本ですが、今も生き続けています。そして、2000以上の言語に翻訳され、毎年5億冊以上が印刷され、世界中の人々に愛読されています。1455年頃に、活版印刷術が発明されたとき、始めて印刷されたのは聖書でした。1971年に、人類が月に到達したとき、始めて地球の外に持ち出されたのも聖書でした。学者も無学者も、偉い人も偉くない人も、古今東西の人々が、聖書の偉大性を証言していますが、ここにその一部をご紹介します。
ゲーテ(ドイツを代表する作家)聖書は、読めば読むほどすばらしくなる。聖書は、理解が進んで、この自分と関わりがあるとわかるにつれ、美しくなる。私が獄につながれ、ただ一冊の本を持ち込むことを許されるとしたら 私は聖書を選ぶ。
マルチン・ルター (ドイツの神学者、牧師、ルーテル教会の創始者。宗教改革者)聖書は、生きている。聖書は私に語りかけてくる。聖書には足があり、私を追いかけてくる。聖書には、手があり、私を掴まえる。
矢内原 忠雄 (経済学者、東京大学総長)聖書は学者の書であり、無学者の書であり、万人によって万人に学ばれるべく、万人によって解されるところの人類の書なのである。われわれが謙虚になって聖書をひもといて見れば、それ(知識)は最も基本的な形において聖書に示されておる。これを今日の社会情勢と、人間の知識の進歩と、世界の複雑性に照らし合わせて応用すればよいだけです。根本は聖書に示されている通りです。
アルフレッド・テニスン(ヴィクトリア王朝の時代の詩人)聖書を読むこと。そのことが教育である。
イマヌエル・カント (ドイツの哲学者、思想家)聖書の存在は、人類がかつて経験したうちで最も大きい恵みである。その価値を減らそうとのいかなる企ても、人類への罪悪となる。
淵田 美津雄 (真珠湾攻撃の総指揮官、戦後にクリスチャンとなる)私は熱心に聖書を読みました。私の人生観はキリストによって完全に変えられました。
マハトマ・ガンジー(インド独立の父、宗教家、政治指導者)私の生涯に最も深い影響を与えた書物は聖書である。
ジョージ・ワシントン(アメリカ初代大統領)神と聖書なしに、この世を正しく統治することは不可能である。
アブラハム・リンカーン(第16代米国大統領)
強調文聖書は、神が人間に賜った最もすばらしい賜物である。人間にとって望ましいものはすべて聖書にある。聖書はそれ自身の権威を裏づける無数の証拠を持っている。
セオドア・ルーズベルト (米国大統領)聖書を教えない単なる教育は、無責任な人に鉄砲を渡すようなものである。
W.E.グラッドストン(英国首相)私はこの時代に、偉人と呼ばれる95人の人を知っている。うち87人は、聖書を奉ずる人であった。聖書の特色はその特異性にあり、他のあらゆる書物を無限に引き離している。
ヘレン・ケラー(二十世紀の奇跡の人と呼ばれるアメリカの教育家、社会福祉事業家)私が毎日、もっとも愛読する書物、それは聖書です。私の辞書に”悲惨”という文字はありません。聖書はダイナミックなカであり、変わることのない理想を示すものです。
サルトル(フランスの哲学者、小説家)私は自分が偶然の産物、宇宙のほこりだとは思わない。むしろだれかに期待され備えら予示された存在、つまり創造者である神だけがここに置くことができた存在だと思う。
ジョン・ラッセル(アメリカの小説家)私が著作したことに何か功績があるとすれば、それはひとえに、私が幼かった時に、母が日ごとに聖書のある箇所を読み聞かせ、暗唱させてくれたお陰である。
チャールズ・ディケンズ(イギリスのヴィクトリア王朝を代表する小説家)聖書は、この世界でいまだかつてなかった、また今後あろうとも思われない最善、最良の書である。
アーサー・ホリー・コンプトン(ノーベル賞受賞者)秩序正しく広がっている宇宙は、『初めに神が天と地とを創造した』(聖書の冒頭のことば)という、もっとも荘厳なことばの真実さを証明する。
アイザック・ニュートン (英国物理、数学、天文学者)いかなる世俗の歴史におけるよりも、聖書の中には確かな真理がある。その他に、コペルニクス、ケプラー、ガリレオ、ベーコン、ボイル、デカルト、パスカルといった近代科学の開拓者達も神を信じていました。科学者として、研究をしながらケプラーは「神よ、私はあなたにならって、あなたの思いを思い巡らします」と祈ったのです。ガリレオは「聖書と自然の現象は共に神の言葉から出てきている。神は知られる。その性質はその御業によって、その教理は啓示された御言葉によって」と述べています。ニュートンは聖書をよく学びました。彼のノートには聖書のさまざまな主題について、130万語も記されていたそうです。
今日の一言: 聖書は本の中の本平安鶴田健次