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【潜入ルポ】ウワサの「預言カフェ」に行ってみた!

巷で噂となっている「預言カフェ」に実際に行ってみました! その実態とは――?  ▼予言は人を魅了する ▼預言カフェに行ってみた!  ▼さっそく入店してみる ▼さっそく「預言」を受けてみる ▼「預言」の中身はどんなもの?! ▼「預言」について聞いてみた ▼ぶっちゃけ、「預言カフェ」はどうなの? ▼預言カフェは大丈夫なのか? 小林の個人的見解 ▼予言は人を魅了する 恐怖の大王がやってくる――。そんなノストラダムスの大予言の日、私は小学校1年生だった。友人の家に泊まっていた私は、「もしかすると明日、世界が滅びるかもしれない」とビクビクしていた。目が覚めると、いつもの朝だった。朝日があれだけ嬉しかったことはない。 ハッピーな予言も、恐ろしい予言も、「未

【提起】おすすめの聖書の読み方4選!

聖書を読んでみようと思っているけど、どこから始めていいか分からないアナタ! 私なりのオススメの聖書の読み方を4つご紹介します。  ▼聖書を読もう! ▼読み方1:通読型 ▼読み方2:バランス型 ▼読み方3:3色ボールペンで聖書汚し型 ▼読み方4:じっくり研究型1<SOAP> ▼読み方4:じっくり研究型2<IBS> ▼おまけ1:聖書を読む習慣をつけるコツ ▼おまけ2:さらに研究するために ▼聖書を読もう! 聖書は、最高の本である。読んでも読んでも飽きない。聖書は、底の知れない真理で溢れている。私は、仕事中も暇さえあれば聖書を読んでいる。社会人としては失格だが・・・(笑) よく、「聖書を全部読んだんですか」と聞かれるが、もちろん答えはイエス。「聖書っ

【疑問】クリスチャンになったら全てがハッピーなのか? ~ヘブル12章「成長のらせん階段」セオリー~

クリスチャンになったら人生全て上手くいってハッピー? そんなわけ!  ▼全てがハッピー・ハッピー? ▼ポイント1:試練を乗り越える秘訣 ▼イエスという希望を抱く  ▼ポイント2:試練は何のためにあるのか ▼ポイント3:ひとつの疑問 聖くなければ主を見られない? ▼「聖化」のらせん階段 ▼全てがハッピー・ハッピー? 私がイエスを信じたばかりの16歳の頃、こんな賛美の歌を知った。 "Jesus(イエス)あなたと出会えた日から、 全てがハッピー・ハッピー!"  その軽快なリズムや曲調が好みで、よく歌っていたのだが、その歌詞に少しばかり違和感があった。それは、「イエスを信じたら、その後の人生は全てうまくいくのか?」という疑問である。 そんなわけない、という答えは最

【提起】聖書を読むのが大切な4つの理由

クリスチャンでも、クリスチャンでなくとも、聖書を読むのはめちゃんこオススメです! なぜオススメなのか、4つの理由で紹介します。  ▼聖書を読むのは大事か? ▼理由1:聖書から「義」について学べる ▼理由2:聖書から「イエス」について学べる ▼理由3:聖書から「自分の心の思い」を吟味できる ▼理由4:聖書から「他人の発言」を吟味できる ▼まとめ ▼聖書を読むのは大事か? 聖書は、あなたの人生を変える。私は、強烈な確信をもって断言する。聖書を読むのは、めちゃめちゃ、めちゃのめちゃんこオススメである。クリスチャンの人にとっては、聖書を読むのは毎日の食事のよう。クリスチャンでない人にとっては、聖書はいのちを得させる人生のカギだ。 私は、小学校6年生の頃から聖書を読

【比較】「新改訳聖書2017」と「聖書協会共同訳」を比べてみた!

最近刊行した、新しい聖書翻訳、「新改訳聖書2017」と「聖書協会共同訳」はどう違うのか、比べてみました。  ▼「新改訳」と「共同訳」 ▼自然な日本語 <1:「私はある・いる」> <2:主語と述語をそろえる> <3:代名詞の省略>  <4:一文の長さ> ▼聖書協会共同訳の優れた原語解説 <1:言葉遊び・ライム(韻)> <2:用語補足> ▼アガパオー・フィレオー問題 ▼「主」(しゅ)の書き方について ▼持ち運びやすさなどについて ▼新しい翻訳の名前について ▼いろいろな翻訳で読んでみよう! ▼「新改訳」と「共同訳」 日本語の聖書の翻訳は、主に3種類ある。ひとつは、「明治元訳・大正改訳」を源流とする、「文語訳聖書」

【まとめ】「週刊イエス」で筆者が伝えたかった5つのこと

週刊イエスも、これが公式には100記事目。何を伝えたかったのか、まとめました。  ▼何を伝えたかったのか ▼1:クリスチャンの信仰は、あなたの人生を縛るものではない ▼2:信仰だと思っているものは、ただの文化かもしれない ▼3:何に希望をおいているのか ▼4:自分で聖書を読んで実践することの大切さ ▼5:イエスに信頼する人生はめっちゃ楽しい! ▼何を伝えたかったのか 基本的に毎週水曜日に記事を更新してきた「週刊イエス」も、これが100記事目である。ひょんな思いつきで始めたブログも、2年以上続いた。今では、毎週50ほどの国と地域から、4500PVほどのアクセスをいただくようになった。記事を読んでいただいている方々には、感謝したいと思う。 読んでくださっている

【聖書】イエスが受けた3つの誘惑とは?

イエスが荒野で悪魔から受けた3つの誘惑があります。そこから得られる教訓とは?  ▼荒野の3つの誘惑とは ▼1:奇跡を乱用する誘惑 ▼2:聖書の言葉を乱用する誘惑 ▼3:十字架を通らせない誘惑 ▼なぜイエスは誘惑を受けたのか ▼荒野の3つの誘惑とは イエスは、ヨハネからバプテスマを受けた。その後、メシアとしての公の活動を始める前に、荒野で悪魔の試みを受けたというエピソードがある。マタイの福音書、マルコの福音書、ルカの福音書にそれぞれ記述がある。それからイエスは、悪魔の試みを受けるために、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。(マタイの福音書 4:1)それからすぐに、御霊はイエスを荒野に追いやられた。イエスは40日間荒野にいて、サタンの試みを受けられた。イエスは野の獣

【疑問】「Cornerstone」は「隅石」or「礎石」or「要石」?

新改訳3版は「礎の石」、口語訳は「隅のかしら石」、新共同訳は「隅の親石」、新改訳2017年版では「要の石」。適切なのは?! ▼2017版を読んでいると・・・? 最近、読む聖書を、新改訳聖書の2017年版に変えた。面白い。私は新改訳3版で育ったので、読むたびに違和感を覚える。いい違和感だ。細かい翻訳の違いが、脳細胞を喜ばせる。読み覚えのない単語は、特に目につく。  先日、2017版でマタイを読んでいると、明らかに読み覚えのない単語が出てきた。「要の石」(かなめのいし)という単語だ。新改訳3版では、「礎の石」(いしずえのいし)となっている(マタイ21章)。英語では、調べた限り全ての翻訳で、教会の名前にもよく用いられる、「Cornerstone」(=コーナーストーン)という単語だ。 『家を建てる者

聖なるものの受肉(広瀬由佳師ゲスト投稿4)

シリーズ過去記事 0 1 2 3④いのちの矢印このシリーズの最終回が見えてきました。今回は「いのちの矢印」というタイトルで、キリスト教倫理がどうあるべきかについてまとめていきたいと思います。以前の記事「①キリスト教倫理と自己物語」の中で、聖書は矢印だと書きました。聖書は、神さまが世界をどのように導こうとしておられるかの大きな矢印です。そして、私たちはその大きな矢印に自分の人生という矢印を重ねていくのです。 前回の記事で見たヨハネの福音書の物語は、私たちにどのような矢印を見せてくれるのでしょうか。「神さまの物語」という大きな矢印と「私たちの人生」という小さな矢印を、「聖なるものの受肉」の物語から見ていきましょう。(1)大きないのちの矢印私たちが生きる世界は、神さまに「あれ」と望まれた良い世界で

聖なるものの受肉(広瀬由佳師ゲスト投稿5)

シリーズ過去記事 0 1 2 3 4⑤イエス・キリストの真剣さ(注:今回の記事には性についての様々な専門用語が出てきます。この記事の最後に用語の解説を載せますので、性についての専門用語になじみのない方は記事の最後から読んでいただければと思います)前回までの内容をまとめてみましょう。前回まではキリスト教倫理の枠組みとも言える内容を扱っていました。キリスト教倫理とは単に〇×を判定するものではなく、神さまの目指すいのちの回復に向かっていくものです。そして、いのちの回復の手がかりとなるキーワードは痛みです。今回の記事では、こういった倫理を現代の問題に適用していきたいと思います。前回の最後に予告した通り、扱うのはセクシュアリティのゆえに疎外されている人たちの痛みです。2017年に刊行された『聖書信仰の

「福音」とは何か(関野祐二師ゲスト投稿 その5)

(シリーズ過去記事 0 1 2 3 4)関野祐二先生による、福音についてのゲスト連載も、いよいよ最終回です。お忙しい中、ご協力くださった先生に心から感謝します。*   *   *留守ばかりのゲストで申し訳ありません。「『福音』とは何か」の五回目(最終回)は、筆者を取り巻く状況を踏まえた、まとめのエッセーといたしましょう。最初に、「『福音』とは何か」を追求する過程で生まれた、筆者の「物語」を一部引用します。これは今年の一月下旬、筆者が牧師を務める地域教会の週報に掲載した拙文です。「先日、珍しくTV番組を録画鑑賞しました。自動車エンジン開発の責任者が、いかに世界一の低燃費エンジンを実現したかの話です。ほぼ完成の域に達しているエンジンを改良し、三大自動車会社に対抗し得る製品を送り出すとなれば、普通

グラント・オズボーン先生の思い出

休日の朝、購読しているブログをチェックしていると、スコット・マクナイトを通してGrant R. Osborne博士の訃報に接し、驚きと悲しみに包まれました。グラント・オズボーン先生はシカゴ郊外のトリニティ神学校(TEDS)で長年新約学の教授を務められました。私が先生の名前を初めて耳にしたのは、ベテル神学校在学時に、聖書解釈学の授業で先生が書かれたThe Hermeneutical Spiralを薦められたことでした。その後TEDSに進学した私が初めて受講した博士課程のゼミが、オズボーン先生のヨハネ黙示録のゼミでした。数人しか受講者のいないゼミの内容は非常に濃密で、ついて行くのが大変でしたが、このゼミで黙示録とユダヤ黙示文学に対する興味をかき立てられ、以来黙示録は新約聖書の中でルカ文書と並んで

「福音」とは何か(関野祐二師ゲスト投稿 その1)

前回の投稿で、次回の投稿では「本ブログ初となる、ある試みを行おうと考えています。」と書きましたが、今回はこのブログで初めてゲストブロガーをお迎えしたいと思います。先日の公開講演会で講師を務めてくださった関野祐二先生ご本人が寄稿してくださることになりました。お忙しい中、寄稿依頼に快く応じてくださった先生に心から感謝いたします。この投稿は、基本的に講演会で先生がお話しくださった内容に基いて書いていただきましたが、この中で取り上げられている主題は、海外の福音派キリスト者の間で近年盛んに議論されていながら、日本の福音主義キリスト教会ではまだ紹介され始めたばかりのものもあります。したがって、福音主義のフォーマットの中でこのような話題を取り上げること自体に違和感や拒否反応を覚える方々もおられるかもしれま

黙示録における「暴力」

5月29日の福音主義神学会東部部会での研究会は100名を超える方々が参加してくださり、とても有意義な時を持つことができました。会では南野浩則先生が「旧約聖書の平和論」と題してたいへん有意義な講演を行ってくださいました。個人的に強く共感を覚えたのは、旧約聖書には平和に関して多様な声があり、それに対して現代に生きる私たちがどのような解釈を行うかの責任を与えられている、ということでした。聖書解釈における読者の重要性は先生のご著書『聖書を解釈するということ』においても論じられていますが、これまで福音派の聖書解釈ではあまり強調されてこなかった重要な論点であると思います。私は「新約聖書の平和論―黙示録を中心に」と題して、特に黙示録における暴力表現をどう解釈するか、という主題でお話させていただきました。以

クリスマスは「年末行事」ではない

今日はアドベント第一主日でした。たまたま所属教会の礼拝で説教を担当することになりましたので、開口一番「新年あけましておめでとうございます」とあいさつした後、あっけにとられた会衆の方々に、教会暦ではアドベント(待降節)が一年のはじめであることを説明しました。アドベントと教会暦の始まりについては過去記事に何度か書いています:アドベント―夜明けを待ち望むもう一つの座標系新しい世界のはじまりキリスト者にとって、アドベントとそれに続くクリスマスが一年の始まりであることを意識することの重要性についてはこれらの記事に書きましたが、この記事では、このことを逆の面から見てみたいと思います。日本人はふつう、1月から始まる一年のサイクルを意識しながら生きています。したがって、12月に入ると人々は、「今年ももう終わ

自分が好きになれないとき

自己肯定感が低くて悩んでいる人は多いと思います。信仰者であっても同様です。自分はありのままで神に愛され受け入れられている、存在しているだけで価値がある、と頭では分かっていても、それを本心から肯定できないことがあります。自分が嫌でしかたがなくて、たとえ神は自分を愛していても、自分は自分を愛することはできない、たとえ神に赦されていても、自分は自分を赦せない――そのように思ってしまいます。そのような時、自己受容の必要性を感じていればいるほど、それができない自分がまた嫌になり、悪循環に陥ることもしばしばあります。 私自身、この問題で悩むことがありました。どうしても自分が好きになれないとき、どうしたらよいのでしょうか? 私が暫定的にたどりついた答えは、「自分が好きになれなくてもいい」というものです。こ

天と地の礼拝

所属教会で礼拝説教のご奉仕をさせていただきましたので、若干修正を施したテキストをここにアップしたいと思います。通常、ここまで長いテキストは何回かに分けて投稿しますが、礼拝説教という性格を考慮して、1回の投稿にまとめました。「天と地の礼拝」さらに見ていると、御座と生き物と長老たちとのまわりに、多くの御使たちの声が上がるのを聞いた。その数は万の幾万倍、千の幾千倍もあって、大声で叫んでいた、「ほふられた小羊こそは、力と、富と、知恵と、勢いと、ほまれと、栄光と、さんびとを受けるにふさわしい」。またわたしは、天と地、地の下と海の中にあるすべての造られたもの、そして、それらの中にあるすべてのものの言う声を聞いた、「御座にいますかたと小羊とに、さんびと、ほまれと、栄光と、権力とが、世々限りなくあるように」

ピーター・エンズ著『確実性の罪』 を読む(4)

(その1 その2 その3)今回は、『確実性の罪(The Sin of Certainty)』の第2章”How We Got Into This Mess”(私たちがどのようにしてこの混乱状態に陥ったか)を取り上げます。前回見たように、エンズは現代キリスト教の抱える大きな問題点の一つは、「神への正しい信仰」と「神についての正しい思想」を同一視する考え方にあると主張します。繰り返しますが、エンズは神についての正しい理解を知的に追求していく営みを否定しているわけではありません。問題はそれをキリスト教信仰の中心に据えようとする態度です。けれども、どうしてこのような信仰的態度が生じてきたのでしょうか?エンズはアメリカの歴史において、聖書はキリスト教信仰の知的基盤(たとえば正確な

科学と聖書(2)

(その1)第1回の投稿からずいぶん時間が経ってしまいましたが、気長に少しずつ書いていきたいと思います。今回は、クリスチャン新聞に寄稿したバイオロゴス・カンファレンスについてのレポートの補足です。レポートの中で私は、聖書と科学をめぐるアメリカの現状について、次のように書きました:創造論においては、世界は今から6千年から1万年ほど前に文字通り6日間で創造されたと主張する「若い地球説」が、福音派クリスチャンの間では強い支持を得ています。ギャラップ社が2014年に行なった調査によると、成年アメリカ人の42%が、「神は人間を現在とほぼ同じ形で過去1万年以内に創造した」と信じています。またこの立場の代表的団体である「アンサーズ・イン・ジェネシス」(ケン・ハム代表)が、ノアの方舟を聖書の記述どおりの寸法で

エペソ書とキリストの戦い(2)

前回に引き続いて、エペソ書における霊的戦いについて概観します。エペソ書3章でパウロはふたたび神の「奥義」について語りますが、その表現は1章10節とは少し異なっています:5  この奥義は、いまは、御霊によって彼の聖なる使徒たちと預言者たちとに啓示されているが、前の時代には、人の子らに対して、そのように知らされてはいなかったのである。 6  それは、異邦人が、福音によりキリスト・イエスにあって、わたしたちと共に神の国をつぐ者となり、共に一つのからだとなり、共に約束にあずかる者となることである。(エペソ3章5-6節)これは1章10節にあった「神は天にあるもの地にあるものを、ことごとく、キリストにあって一つに帰せしめようとされた」という内容のうち、地上における神の働きの中身をより詳しく説明したものと

The Cross Pendant

He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel

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Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......

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