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穏やかな心は、からだのいのち。激しい思いは骨をむしばむ。

AP通信社リポーター、クリストファー・バーンズは、1994年の記事で、不発弾の脅威について次のように書いています。「第二次世界大戦中の爆弾が、今でもヨーロッパで人を殺している。50年もたっているのに不発弾が、建設現場で、漁網の中で、あるいは海岸で、突如爆発するのである。昨年フランスでは、数百個に及ぶ不発弾が発見され処理されたが、13個の爆弾が爆発し、12人の死亡者と11人の負傷者を出している。 ユボン・ボウヴェット(シャンパーニュ・アルデンヌ地域の責任者)は、こう証言している。『不発弾処理班の同僚ふたりを失った。時間がたてばたつほど、不発弾は危険な状態になる。起爆装置が露出し、内部も不安定な状態になるからだ』」地中に埋まった不発弾は、実に危険なものである。それと同じように、私たちの内側に埋め

あなたがたは今、「私たちは目が見える」と言っています。あなたがたの罪は残るのです。

これは、スコットランドのグラスゴーグリンという町で、キリスト教の伝道者が路傍伝道を行っていた時に起きた出来事です。 集まってきた人々の中のひとりがこう叫んだ。「みなさん、私は審判も天国も地獄も、また神も見たことがありません。だから、私は信じません」すると他のひとりが立って応じた。「みなさんは、この町のそばをクライド川が流れ、岸辺には草や木が生えていると私に言われます。また、太陽は輝き、ここに人々が立っておられると言われますが、私は生れつき盲目なので、そのようなものは何一つ見えません。私にとってはそれらのものは無に等しく信じられないものです。しかし、それらのものが存在することは、事実でしょう。ところで、見たことがないから信じないと言われるみなさんに申し上げます。あなたがたは、話せば話すほど自分

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。

新約聖書はギリシャ語で書かれました。 ここで愛と訳されていることばの原語はアガペーです。 パウロはこのアガペーの愛について書いています。 他にも愛と訳されるギリシャ語はエロス(性的愛)、ストルゲー(家族的愛)、フィリア(友の愛)がありますが、聖書はアガペーの愛を私たちに伝えようとしています。パウロがアガペーについて語りはじめたとき、「優れた道を示しましょう」という前置きをしています。それで、アガペーとは道であることがわかります。さらにパウロはアガペーがなければ、賜物(能力)も、奇跡も、犠牲も価値がないと、その異常なほどの重要性を伝えています。当時の道は門から始まり、それぞれ特徴を持ち、到着地点に至ります。 例えば、小さな門、狭い道、少ない通行人がいのちに至る道です。 アガペーの門はキリストの

義人は信仰によって生きる

使徒パウロは、「聖書の福音は、信じるすべての人にとって救いを得させる神の力である」と述べた後に、「なぜなら」という接続詞でこの聖句を続け、説明を展開しています。福音のうちには「神の義」が啓示されていると語っていますが、「神の義」という言葉には、神の正しさ(正義)という意味と、神が罪ある人間に対して、キリストの十字架の御業のゆえに無罪と宣言してくださることの両方が含まれていると思います。神は、私たち人間が、後者の意味での「義」を受け取るための手段として、「信仰」のみを要求されます。すなわち、聖書の福音がもたらしてくれる救いを得るためには、信仰が唯一の方法であるということです。「信仰に始まり、信仰に進ませる」というのは、聖書の福音が与えてくれる救いが、罪を赦されて義と認められるという出発点だけで

あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。

うつ病になる人が増えていると言われます。その原因としては、現代がストレス社会であるということに加えて、精神科・心療内科の敷居が低くなって受診しやすくなったこと、自殺予防のためにうつ病の啓蒙活動が盛んに行われていること、うつ病の診断基準が広くとらえられてきていることなど、様々な要因が考えられます。私の精神科クリニックに受診される人々にも、「やる気が出ない」と訴える方が結構いらっしゃいます。通常、そのような訴えは、うつ病の症状の可能性があるので、診断確定のために、さらに問診を進めていくことになります。真面目で熱心で几帳面な方が、頑張って、頑張って、エネルギーを消耗し切って、もうこれ以上は頑張りが利かないという状態になって、「やる気が出ない」と訴えられるのが従来のうつ病の症状です。ところが、最近の

その人は、何をしても栄える。

私たちにとって、幸せとは何でしょうか。愛する家族の中にあって、夕食のテーブルを囲むこと。今日一日の汗をお風呂でさっぱりと流して、冷たいビールをぐっと飲むこと。もちろん、そういう日常生活のひとつひとつに人の幸せがあります。でも、人生には悲しくつらい時があります。家族との別れ、失業、ビールも買えないほどの困窮、買えても飲めないほどの病気、・・・自分からは幸せが遠くに行ってしまったかのように思える時です。幸せが、恵まれた家族や仕事や健康を持つことだとしたら、それらは必ず失われるものであり、私たちは誰もが必ず不幸になってしまいます。聖書の中の巻「詩篇」は、「幸いなことよ」で始まります。何が幸せだというのでしょうか。「悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人」で

私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。

何をしたらいいかわからない。何もする気力がでない。自分がどうしたいのかもわからないから人に相談する意欲も沸かない。結婚して3年目に、私たち夫婦は自分たちだけでは乗り越えられない壁にぶつかり、次第に不安定になり、生きているのに生きていないようなふわふわとした時期を何ヶ月か経験しました。明日の予定さえたてられず、来月は自分がどこで何をしているのか全く見えない状況で、ただ周りの助けに甘えながら目の前に置かれたものを一つ一つ拾って進んだような毎日でした。このみことばは、そんな長くて暗い時期からやっと抜け出せた頃、友人に紹介された教会に2人で初めて訪れた時に聞きました。「いのちを選びなさい」と神様は私たちに言われました。神様が「私があなたと共にいるから」と言ってくださっているようで涙が止まりませんでし

だれでもわたしのことばを守るならば、その人は決して死を見ることがありません。

 2007年に亡くなったD・ジェームズ・ケネディという米国人牧師は、クリスチャンの死生観について次のような言葉を残しています。「いつか、私にも人生の終わりというものが来ます。私は箱に入れられ、教会の前のちょうどそのあたりに安置されるでしょう。周りには人が集まって、泣いている人もいるかもしれません。ただ、これまで言ってきたように、そうしないでいただきたい。皆さんに泣いてほしくないのです。告別式は、頌栄(三位一体の神をたたえ、神に栄光を帰する歌)で始めて、ハレルヤコーラスで締めくくってください。私はそこにはいないし、死んでなんていないのですから。私は、今まで生きてきたどの時よりも生き生きとしていて、かわいそうな皆さんを上から眺めています。死にゆく世界にとどまっている皆さんは、生ける世界にいる私の

からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。

これは、イエスが弟子たちの中から12人を選抜して使徒に任命し、彼らを町々に派遣したときの訓示です。彼らが将来、迫害に会うことを予告したうえで、迫害者ができることは「せいぜいからだを殺すだけだと」言うのです。随分と乱暴な言い方のように思えますが、この言葉の次には「雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。」(マタイ10:29〜31)と語られました。父なる神への信頼が迫害に耐える力となるのです。では、父なる神が、「たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方」であるというのはどういう意味でしょうか。ポイントは、3つあります。図

あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。

この箇所は、当時のイスラエルの民がパリサイ派の指導者たちに惑わされて「モーセの律法」を間違って教えられていたのを、イエス様ご自身が「山上の垂訓」とそれに続くメッセージで正された時のいくつかの項目のひとつです。それらに共通しているのは、外に出る行為ではなく、内側の動機と心が最も大切である、という真理です。その良い例のひとつがこの箇所で、富に対する人間の態度です。

【主】は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。詩篇23編

聖書で、人はよく羊にたとえられます。羊は、すぐに道に迷ったり、倒れると自分で立ち上がれなかったり、襲われたりする弱い生き物です。そんな羊のような私たちにも、たましいを生き返らせてくださる羊飼いがいます。

私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。

何かに価値があるかどうかは、それを手に入れるために代価をいくら支払うかでわかりますね。あなたの代価として支払われたのは「キリストの死」です。これより高価なものはこの世にはありません。神の目からみれば、あなたにはそれほど価値があるのです。

そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」

普通の人間は、十字架の拷問を受けている最中で、こんなことが心から言えるでしょうか。イエス・キリストは100%、痛みを感じる人間であり、神の子です。この方に「私の心にお入り下さい」と祈ってみましょう。人を赦せないあなたを、赦してもらうことができます。 

【提起】「スモールグループ」が大切だと分かる5つのポイント

クリスチャン界では「スモールグループ」なるものが存在します。一体どんな意味があるのでしょうか?  ▼「スモールグループ」とは? ▼1:「スモールグループ」は人間関係をつくる ▼2:「スモールグループ」は聖書を中心に互いに教え合う場となる ▼3:「スモールグループ」は自分をオープンにできる場となる ▼4:「スモールグループ」はお互いのために祈る機会となる ▼5:「スモールグループ」は互いの間違いを指摘できる関係となる ▼「スモールグループ」とは? 教会に行くと「スモールグループ」なるものを紹介される場合がある。文字通り「小さな集まり」を意味し、教会に通っているメンバーのうち、数人~10人ほどのグループで集まる関係を指す。スモールグループでは、一緒に聖書を呼ん

【提起】「人の目」が気になる人に送る、聖書の言葉

ついつい他人にどう見られているか気になるのが人間ですが、聖書は何と言っているのでしょうか?  ▼「人の目」が気になる? ▼イエスは何と言ったのか ▼イエスは何と言ったのか、その2 ▼パウロは何と言ったのか ▼神はエリヤに何と言ったのか ▼まとめ:人の目より、心に注目しよう ▼「人の目」が気になる? 人間は、弱い生き物だ。基本的に、自信がない。外側は自信に満ちあふれているような人も、実は自信のなさの裏返しだったりもする。認めてほしい。愛してほしい。褒めてほしい・・・。どうしようもない自己承認欲求が、人間にはある。それが人間のサガというものだ。 だからこそ、人は常に「他の人にどう見られているか」を気にする。自分が他人にどう評価されているか。他人にとって自分は有

【聖書】「マナ」に隠された助け合いのヒント

聖書には「マナ」という不思議な食べ物が出てきます。実は「マナ」には助け合いの精神のヒントが隠されていた?!  ▼「マナ」という不思議な食物  ▼マナの不思議な法則1:不足を補い合う ▼マナの不思議な法則2:神への信頼 ▼いのちのパンであるイエス ▼おまけ:「5つのパンと2匹の魚」の奇跡 ▼「マナ」という不思議な食物  聖書に「マナ」という不思議な食べ物が登場する。私の友人に「マナ」という人がいるので以前、「あなたの名前がついている食べ物が、聖書に出てくるんだよ」と手紙を書いたことがあった。聞く話によると、日本語の古語に「真菜」<まな>という言葉があり、「美味しいごちそう」を意味するそうだ。これは、聖書の「マナ」という単語の発音が、がシルクロードから伝わって、「美

【まとめ】クリスチャンの離婚・再婚についての考え方

離婚、再婚。社会においては、もはや「普通」のことになりましたが、クリスチャンはこのテーマについてどのような考え方をすれば良いのでしょうか。  ▼デリケートなテーマにつき ▼聖書の基準をどのように適応するか ▼聖書の「結婚観」について ▼旧約聖書の「離婚」の基準 ▼イエスが示した「離婚」の新基準 ▼パウロが示した「離婚・再婚」の基準 ▼再婚できるもうひとつのケース ▼聖書で「再婚」した例 ▼当然ありうる反論 ▼結局は、神に従って生きるのが基本 ▼デリケートなテーマにつき 「クリスチャンは、離婚や再婚についてどう考えているの?」ある友人からそう聞かれた。私は答えにつまった。自分の中で、ある程度の考えはあった。しかし、正直いって真剣に考え

【個人デボ】 聖霊に逆らうことを言ったら赦されないのか? <マタイ12章>

【聖霊に逆らうことを言う者は赦されないとは?】 「聖霊に逆らうことを言う者は、この世でも次に来る世でも赦されません」 マタイ12章に、そう記述がある。ここを読むと、誰もが心にひっかかりを覚えるだろう。「赦されない」という言葉が、モヤモヤするのである。当該の箇所は以下だ。 ですから、わたしはあなたがたに言います。人はどんな罪も冒涜も赦していただけますが、御霊に対する冒涜は赦されません。また、人の子に逆らうことばを口にする者でも赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、この世でも次に来る世でも赦されません。(マタイ12:31~32) 確かに、「赦されない」と書いてある。私たちの福音の理解では、「悔い改め、イエスを受け入れれば赦される」はずなのに、「赦されない」とはどういうことなのか。また、

【聖書】『新改訳2017』で、何がどう変わったのか?

「新改訳聖書」は2017年に新しい翻訳が出ました。何が、どう変わったのでしょうか?  ▼47年ぶりの「大改訂」をした「新改訳」 ▼1:いけにえの名称 ▼2:「偽りの証言」について ▼3:ヘブライ語独特の文法 ▼おまけ:「新改訳」の権利問題と「聴くドラマ聖書」の登場 ▼47年ぶりの「大改訂」をした「新改訳」 日本語の聖書には、いくつかの種類がある。最も古い本格的な翻訳は「明治元訳」と呼ばれ、のちに「大正訳」となり、現代の「文語訳聖書」となった。文語訳聖書を現代風に改定したものが「口語訳」である。日本で最もメジャーな翻訳は「共同訳」であろう。「新共同訳聖書」にさらに手を加えた「聖書協会共同訳」が2018年に出版されている。 もうひとつ有名な聖書の翻訳がある。「新改訳

【体験】「あの人を変えてください」という祈りで自分が変えられた話

今回はネタ切れのため、私個人の体験談をつづります。  ▼バイト先の嫌な先輩 バイト先に嫌な先輩がいた。飲食店のバイトだった。表では山田さん(仮名)と言っていたが、裏ではコッソリ山田くんと呼んでいた。 山田くんは偉そうな奴だった。僕のような新人から、パートのおばちゃんまでお構いなしにタメ口で指示を出して、失敗するとお客の前でも怒鳴るような輩だった。ご飯の盛り方が汚いと、お腹を殴られた。小麦粉と水の分量がなってないと、何度も足を蹴られた。初日から「嫌なバイト先を選んでしまった」と思ったが、僕はこのバイト先が見つかるまで8回も面接に落ちていたので、もう他のところを探す余裕もなかった。ファストフードのチェーン店で、私は厨房で慣れない手付きで料理を続けるしかなかった。 山田くんは、僕よりも1つか2つだ

The Cross Pendant

He is a cross pendant.
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He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel

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