マタイ24章・その日と時刻についてはだれも知りません

正しいか間違っているかは別として、私は最善を尽くしましたが、これらは私の意見を表明しているだけです。

「その日と時刻についてはだれも知りません。天のみ使いたちも子も[知らず],ただ父だけが[知っておられます]。・・・それゆえ、ずっと見張っていなさい。あなた方は、自分たちの主がどの日に来るかを知らないからです。」(マタイ24:36,42)

イエスは、その日と時刻について誰も知りませんと言われました。イエスは、何の時について言及しておられたのでしょうか。その時を誰も知らないことから、私たちはどんな教訓を学べるでしょうか。

イエスはその文脈の中で、ご自分が「天の雲に乗って来る」ことを語っておられます。(マタイ24:30)また、続く節の中では、ノアの日「洪水が来て彼らすべてを流し去る」時に言及されました。(マタイ24:39)ですから、その時は、ノアの時代にその当時の世が終わった時に対応しているでしょう。ですから、その時は、イエスがこの事物の体制を終わらせるために到来する時、世の終わりの時です。その時は、「定められた時」と言われているので、エホバ神は、その時をいつもたらすかを定めておられるようです。(マルコ13:33)その時が来ることは定まっていますが、その日時については、誰も知りません。

エホバ神は、その時が正確にいつになるかを誰にも明らかにされません。例え、み子イエス・キリストであってもその時を知らされていません。ですから、イエス・キリストによって啓発を受ける立場にあるキリストの地上の追随者が分からないのは当然です。

このことは、聖書の年代を算定して、それに基づいて聖書の預言を研究することによって、この世が終わる時を人間は決して算定できないことを示しています。この世がいつ終わるかということを予告する預言はことごとくはずれるでしょう。イエスは、「あなた方は、その日もその時刻も知らない」と言われました。(マタイ25:13。マルコ13:33)聖書の預言の中には、その定められた時がいつになるかを示すヒントは与えられていません。エホバ神は、それをご自分だけの秘密にされているからです。聖書の預言をどんなに探求しても、その時は決して分からないでしょう。

私たちは、この世が終わる時を知りたいと思います。しかしながら、聖書の預言の探求によって分かるのは、世の終わりの時刻ではなく、世の終わりまでに起こる出来事のおおまかな荒筋だけでしょう。なぜならイエスは、予告された出来事が起こるのを見て、私たちはイエスが「近づいて戸口にいる」ことが分かると言われたからです。(マタイ24:32,33)ですから、私たちは、世の終わりが近いことを示すおおまかな出来事は、聖書の預言の探求によって知ることができるでしょう。

しかし、私たちは世の終わりの日時は決して分からないでしょう。ですから、私たちは決して世の終わりの時がいつになるか特定の時を予告すべきではありませんし、特定の日時の予告は、ことごとくはずれてしまうでしょう。

過去に起きた聖書の出来事の年代がいつであったかは、私たちの興味を引きます。しかし、過去の聖書中の歴史の出来事の起きた年代の算定が不正確であったとしても、私たちの信仰にさほど大きな悪影響はないことが分かります。私たちの信仰は物事が起きる日時に依存しているわけではありません。聖書の出来事の年代の算定は興味深いですが、それに過度にとらわれても、それによって得られる益は限られていることが分かります。ですから、聖書の出来事の起きた年代にさほどこだわる必要はないことが分かります。

エホバの証人は、西暦1914年と1975年に終わりが来ると考えました。そして、一時的に、そのことを他の人々に言いました。しかし、その予告がはずれたのは当然でした。

ラッセル兄弟は1914年に世の終わりが来ると一時的に考えた

世の終わりの日時は誰にも決して分からないでしょう

エホバの証人が、1975年に世の終わりが来ると考えたのは、その年がアダムが創造されてから六千年目に当たると考えたからです。しかし、その予告ははずれました。

それで、今度はエホバの証人は、エバが創造されてから、六千年後には、世の終わりが来ると考えています。それで、その時が近いと考えています。しかし、その推測は間違っている可能性があります。なぜなら、イエスは、人間の創造の業にあずかったので、人間の創造から六千年経った時をご存知の筈だからです。しかし、イエスは、西暦一世紀の時点でご自分もその時を知らないと言われました。もし、世の終わりがエバの創造から六千年後であったら、イエスもその時を知っていると言われたはずです。しかし、イエスも知らないと言われたので、世の終わりの時は、エバの創造から六千年後ではないでしょう。

私たちは、世の終わりの時の日時を決して知ることはできないでしょう。しかし、私たちは、聖書の預言を探求して、世の終わりが近いことを示す出来事を知ることができるように努力できます。そうすると、特定の日時は分からなくても、私たちは周囲で起こっている出来事を見て、世の終わりが近いことを識別できるでしょう。イエスは、「ずっと見張っていなさい」と言われました。(マタイ25:13)

私たちは、これからも聖書の預言に注意を払ってその探求を続けていきましょう。(ペテロ第二1:19)そして、私たちの周りで起きる出来事に注意深くありましょう。そのようにしているならば、世の終わりが近いことを悟って用意することができるでしょう。(ルカ12:40)

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