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- あなたは真のイエスを信じているか?
あなたは真のイエスを信じているか? あなたは真のイエスを信じているかどうかを確認する方法をご存知ですか? 真のイエスとは、悪魔の兄弟であるモルモン教のイエスでも、大天使ミカエルであるエホバの証人のイエスでもなく、また勿論それはニューエイジムーブメントの教える単に神の意識と調和した人間でもありません。真のイエス、本物のイエスとは、聖書の中にあるイエスのことです。 ・聖書のイエスは私たちの祈りの対象(使徒7:55-60、詩篇116:4、ゼカリヤ13:9、1コリント1:1-2)・聖書のイエスは礼拝される方(マタイ2:2、2:11、14:33、28:9、ヨハネ9:35-38、ヘブル1:6)・聖書のイエスは神と呼ばれる(ヨハネ20:28、ヘブル1:8) カルト神学では、イエスは何らかの形の被造物です
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- 生きるためのチャレンジ」
今日は、“生きるためのチャレンジ”ということを考えてみました。皆さんの中に、今、辛く悲しい試練に遭遇し、失望と落胆のうちにおられる方がいらっしゃいますか。そんな方に少しでも励ましと慰めを与えることができればと思います。 カリフォルニアのある大学で、アメーバを使って次のような実験をしたそうです。アメーバを全くストレスのない完璧な環境の中に置きます。理想的な温度、湿度、そして豊かな栄養を与え続けました。つまり、アメーバは全く環境に順応するための努力をする必要がないのです。さあ、このアメーバはどうなったでしょう? “幸せなアメーバ”と思われますか? 実はそうではありませんでした。このアメーバは死んでしまいました。すべての生物に共通することは、生きるためにはチャレンジが必要であるということだそう
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- 習慣は人を作り人生を作る
6習慣は人を作り、人生を作る 英国の作家であり医師であったサミュエル・スマイルズがこんな詩を書いています。 思いの種をまき、行動を刈り取り 行動の種をまいて習慣を刈り取る 習慣の種をまき、人格を刈り取る 人格の種をまいて人生を刈り取る 「はじめは人が習慣を作り、それから習慣が人を作る」と言われるように、習慣は作ることができます。最初は意識して心がけますが、それを続ければ、だんだん慣れてきて、やがてそれが習慣になり、習慣になれば潜在意識に刻み込まれ、意識をしなくても自然にするようになります。したがって、良い習慣は人を成長させ、人を作ってくれるのです。 そう考えると、幸せのヒントは「幸せになる種を蒔いて、幸せになる習慣を作る」ことだと言えるかも知れません。たとえば、自分が幸せを感じるような習慣
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- チャンス」
今日は、‘チャンス’ということについて考えてみました。先日、瞑想の中で、「チャンスって何だろう?」ということを暫く考えていたら聖書のこの言葉が頭に浮かんできました。「わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。」(2コリント4:18)」この言葉が思い浮かんだのは、ある人の事を思い浮かべながら、チャンスだと思えた事が必ずしも好転に結びつかず、逆に問題だと思っていた事が大きなチャンスに変わるということが人生にはあるものだ、というようなことを考えていたからだと思います。私たち人間は、どうしても目に見えるものに大きく左右されがちです。しかし経験的にも分かることは、見えるものは一時的な場合がしばしばで、結局のところ、多くの事
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- 敗北が勝利に」
今日は、“敗北が勝利に”ということを考えてみました。 サムエル記上の7章を見ると、イスラエルを苦しめたペリシテ人に対するイスラエルの勝利が記されています。この時代、イスラエルの民は、神の臨在の象徴とも言える「契約の箱」を失い、20年間もぺリシテの圧制に苦しめられていました。そのとき、民は心を一つにして、自分たちの罪を悔い改め、全焼のいけにえを捧げて、主に助けを求めて熱心に祈ったのです。 イスラエルの民の悔い改めと祈りを聞かれた神は、イスラエルに大勝利をもたらされました。この勝利は、決定的な勝利でした。そして、その勝利は全焼のいけにえの子羊を捧げた直後にもたらされた勝利でした。そこで彼らは、「主が私たちを助けてくださった」と言って、エベン・エゼルと名付けた地に記念の石を置き、主に感謝を捧げた
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- 天使が奏でるピアノ
天使が奏でるピアノ人間の可能性に関して、世の中を見まわして感じることのひとつは、人間の可能性はその人の能力次第ではなく、その人の心次第であるということです。つまり、心が何を信じているかで、その人の生き方は決まってしまうと言っても過言ではないと思います。 もし、その人の心が医者になると決めていれば、その人は将来、医者になるでしょう。もしその人の心がプロ野球の選手になると決めていれば、その人はきっとそうなるでしょう。もちろん、そこには様々な困難の壁が立ちはだかるでしょう。しかし、単にそうなりたいという願望ではなく、そうなると心が決まっていれば、その人はどんな困難の壁があろうと、心が決めた道を突き進み、やがて目標を達成していくのです。 二本指のピアニスト、イ・ヒアさんのお話をします。彼女は1985
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- 苦難は神の摂理の中に」
『苦難は神の摂理の中に』人間の歴史は、まさに苦難の歴史です。人は生きているかぎり誰でも苦難に遭います。経済的な苦難、精神的な苦難、人間関係の苦難、また病気の苦難など、様々な苦難があります。今回は旧約聖書のヨブ記を開きたいと思いますが、ヨブという人は、かつてイエス様が「ヨブの試練」と表現されたように、試練の代表とも言える、大きな、しかも理由の分からない苦難を経験した人です。ヨブは、東の国で一番裕福な人で、また神が悪魔に自慢する程の信仰深い人でした。ところが、そのヨブが試練に遭い、全財産と多くのしもべたち、またそれに加えて10人の子供たち全員を失います。その上、彼は健康を損ない、足の裏から頭の上まで悪性の腫れ物で覆われてしまうのです。ヨブ記の1章、2章を見ると、この試練は悪魔からのもので、神の許
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- 小さな聖書
小さな聖書「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)ヨハネ3:16は、聖書の中で最もよく知られている聖句です。ルターは、この聖句を「小さな聖書」と呼びました。また彼は、聖書というのは、イエス・キリストがそこに寝かされている飼い葉おけのようなものだとも言いました。私たちは、聖書を通して、生きておられる主イエス・キリストとお会いすることができます。聖書は、私たちが主イエス・キリストと出会う場所だと言ってもよいでしょう。しかも、その聖書が証しする福音の全体が、このヨハネ3:16に集約されているのです。この聖句が示す神の愛は通り一遍のものではありません。神は「そのひとり子をお与えに
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- 聖書の終末預言」
今日は、’聖書の終末預言’について考えてみました。終末に関する聖書預言は、ヨハネの黙示録、ダニエル書、また福音書やパウロの書簡などにも記されていますが、特にヨハネの黙示録には、患難時代における様々な出来事、キリストの再臨、千年王国、新天新地などの詳しい記述があります。患難時代は、「産みの苦しみ」の時と描写されています(マタイ24:8)が、それは「陣痛」が喜びを産み出すために必要な時であるように、患難時代の多くの苦難は、来たるべき至福の時代を産み出すために世界が通過しなければならない時なのです。また終末の時代の主な出来事としては、「キリストの空中再臨」「教会の携挙」「七年間の患難時代」「キリストの地上再臨」「キリストの支配による千年王国」「最後の審判」などがあり、それから「永遠の新天新地」へと
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- 人生に対する新しい視点
人生に対する新しい視点 今年も12月を迎えイエス・キリストの誕生を祝うクリスマスの季節になりました。いつもなら世界中で最も忙しく賑やかな時であるはずが、コロナ過の中で今年はいつもとは違う雰囲気を感じます。しかし、たとえ世界の情勢がどうであれ、そういうものに左右されない不変の意味をクリスマスの中に見出すことができます。 ところで、イエス・キリストの誕生は、一言で言えば、この世を大きく二つに分けた出来事であったと言えます。それは、この世の歴史を紀元前と紀元後に分けただけではなく、暗黒の世界に光を、絶望の世界に希望をもたらした出来事でした。 また同時に、それは私たち個人の人生をも二つに分ける出来事でした。つまり罪のために永遠の裁きを余儀なくされていたすべての人類に、キリストを信じる信仰によ
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- 銃乱射事件」
銃乱射事件2月14日の午後2時半ごろ、フロリダ州パークランドの高校で銃乱射事件があり、少なくとも17人が死亡、14人が病院に搬送されたとのことです。メディアによると、同高校の元生徒による犯行だったようで、同高校を退学処分となっていた容疑者は校内の火災報知機を鳴らし、混乱を引き起こした後に銃を乱射したとみられています。容疑者が多数の生徒を標的にするために、周到に計画していた様子が想像できます。アメリカでは過去にも学校で銃乱射事件が繰り返し起きており、多くの犠牲者が出ています。1999年4月、コロラド州のコロンバイン高校で男子生徒2人が図書館などで銃を乱射し、教員と生徒13人を射殺しました。 2007年4月にはバージニア州のバージニア工科大学で男子学生が銃を乱射し、学生や教員32人を殺害しました
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- 神の御心を確かめる方法“
今日は、”神の御心を確かめる方法”について考えてみました。 ところで皆さんの中に、自分の願いどおりの人生を生きてきたという方がおられるでしょうか。それとも、いろんな事をやってみたが、なかなか自分の思いどおりにはならなかった、という経験をして来られたでしょうか。あるいは、皆さんの中には、最初は自分の意に反する道だと思えたものが、思いもよらない最良の結果をもたらすものであった、という経験をされた方もおられるかも知れません。旧約聖書の箴言19章21節に、このような御言葉があります。 『人の心には多くの計画がある、しかしただ主の御旨だけが堅く立つ。』(箴言19:21) クリスチャンの誰もが問うことのひとつは、どうすれば神の御心を知ることができるかということです。なぜなら、明日のことも分からない自分の
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- Good Friday」
Good Friday 今日はGood Fridayです。Good Fridayとはイエス・キリストが十字架で処刑された日です。Good Fridayは春分の日のあとの最初の満月の次の金曜日で、年によって日付が変わる移動祝祭日です。今年は3月30日になります。 さて、イエス・キリストは約2000年前の今日、人類の罪を贖うために身代わりとなって十字架に架かられました。それによって、イエス・キリストを信じるすべての者に、罪の赦しと永遠の命が与えられることとなったのです。これがキリストの十字架が意味するところです。 以下の聖句は、ヨハネの福音書10:17、18にあるイエス・キリストの言葉です。「父は、わたしが自分の命を捨てるから、わたしを愛して下さるのである。命を捨てるのは、それを再び得るためであ
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- 聖書の終末預言(その1)
患難時代の前兆(その1)聖書を知る多くの人々が世界の終末が近いことを頻繁に口にするようになりました。その日その時がいつであるかは誰にも分からないと聖書にあるので、その日を特定することは誰にもできません。しかし、イエス・キリストは「時のしるし」を見分けるようにと警告しておられます。「あなたがたは、・・・・そんなによく、空模様の見分け方を知っていながら、なぜ時のしるしを見分けることができないのですか。」(マタイ1:2、3)私たちは今の時代に観察できる「時のしるし」を自分で調べる必要があります。神が私たち人類に神の計画を知らせようとしておられるからです。それによって神は一人でも多くの人々を救いに導こうとしておられるのです。終末が近いことを判断するための手がかりとなる聖書の言葉は数多くありますが、た
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- パンデミック
パンデミック 世界保健機関(WHO)は3月11日、「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)はパンデミックである」と表明しました。パンデミックとは、ある感染症の世界的な大流行を表す言葉です。インフルエンザ・パンデミックと考えられる流行の記録は1800年代ころからありますが、パンデミックの発生が科学的に証明されているのは1900年ころからです。20世紀には、3回のパンデミックが起きたことがわかっています。1918-19年のスペインインフルエンザ、1957-58年のアジアインフルエンザ、198-9年の香港インフルエンザです。20世紀以前にもパンデミックは、数十年に一度の割合で起きていたと考えられています。 1918年のスペインインフルエンザのパンデミックは、被害の大きさできわだっています。W
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- 今度、文句を言いたくなったら・・・」
先日、こんなふうな詩を目にしました。ちょっと立ち止まって考えさせられました。今度、文句を言いたくなったら・・・今度、自分の人生はなんと酷いものかと思ったら、今ちょうど息を引き取った人がいることを思い出しなさい。今度、食べ物のことで文句を言いたくなったら、次の食事をどうやって手に入れたらいいか分からない人がいることを思い出しなさい。今度、あなたの伴侶や友達のことで文句を言いたくなったら、一人ぼっちで話し相手もいない人もいることを思い出しなさい。今度、みすぼらしい家で文句を言いたくなったら、道ばたで生活している人もいることを思い出しなさい。今度、長い通勤時間で文句を言いたくなったら、歩いて通勤しなければならない人もいることを思い出しなさい。今度、仕事のことで文句を言いたくなったら、仕事のない人も
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- 箴言9:10の黙想
箴言9:10の黙想6「主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟ることである。」(箴言9:10)箴言9:10は、知恵についての中心的な教えを示しています。「主を恐れること」とは、神を畏敬し、神の力と愛、正義を深く認識することです。この御言葉は、私たちの霊的な成長において重要な土台を提供しており、現代社会における知恵の欠如が引き起こす混乱にも深い答えを与えます。1.主を恐れることの意味「主を恐れることは知恵の初め」とは、単なる恐怖心を意味しているのではありません。それは、神の偉大さ、清さ、正義を認識し、神の前に謙虚にひれ伏す心を指しています。この「恐れ」は、愛と敬意に満ちた態度であり、私たちが神を自分の人生の中心に置くことを促します。詩篇111:10に「知恵の初め、それは主を恐れること
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- 本当の確信
6本当の確信 私たちは日常生活において、”確信”という言葉をよく使います。「勝利を確信する」、「確信をもって言う」、「確信に満ちた態度」、「私には確信がある」、という具合に、何かを固く信じて疑わないときに、私たちは”確信”という言葉を使います。 では、”確信”と言うときに、どこまでの根拠をもって言うかと言えば、そこにはかなりの個人差があるかも知れません。大した裏付けもなく、感情的な勢いで「確信する」と言う人もいれば、確かな根拠をもってそう言う人もいます。 しかし、いずれにしても人間の確信というものは、たとえそれがどれだけの根拠に基づくものであれ、やはり間違いである可能性はあり得るのです。なぜなら、人間の知識も経験も能力も限界があるからです。 旧約聖書の「伝道者の書」に、こんな御言葉が
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- 平和を作り出す人たちは幸いである"
今日は、八福の教えの中の”平和を作り出す人たちは幸いである”ということを考えてみました。八福の教えの第七番目は、「平和を作り出す人たちは幸いである、彼らは神の子と呼ばれるであろう」というものです。「平和」というのは、「戦争や紛争がなく、おだやかな状態にあること」と辞書では定義されていますが、これはあまり積極的な意味での定義とは言えない気がします。もちろん争いがないことは良いことですが、争いがなくても、とても平和とは言えない家庭、社会、国家はいくらでもあります。たとえば、家庭の中でそれぞれが自分のことしか考えず、お互い相手のことに無関心だとしたらどうでしょうか。そんな家庭は、たとえ争いがなくても平和とは言えません。無関心とは愛の反意語ですから、無関心な関係に平和など存在しません。ここで言われて
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- 箴言4:23 の黙想
箴言4:23の黙想 「何を見張るよりも、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれから湧く。」(箴言4:23)この箴言の御言葉は、私たちの内面、特に心の状態が人生全体に深く影響を与えることを教えています。「心を見守る」とは、感情や思考、意志、霊的な中心である心を神の御心に合わせて管理し、整えることを意味していると言えるでしょう。私たちの行動や言葉、決断のすべては心から生まれるので、心が健全で清く保たれることが重要なのです。イエス様もまた、心の大切さを強調しておられます。マタイの福音書12章34節では、「心に満ちていることを口が話すのです」とあります。つまり、私たちの言葉や行いは、心の中にあるものが外に現れるのです。したがって私たちの心が神に従順であるなら、私たちの言葉や行動も神に喜ばれるものとなる

- The Cross Pendant
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
