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神の国の宴

⇒(MP3, 32kbps)「神の国の宴」廣石 望イザヤ書25,6-10;I 食事の席に「共に横たわっていた」人々のある者が、イエスの発言を聞いて、「神の王国でパンを食する者は誰しも幸いなるかな」と言ったのを受けて(ルカ14,15)、イエスは晩餐の譬えを語ったとあります。 古代の食事には空腹を満たすためのものと、社交のためのもののがありました。譬えが「大きな晩餐」(16節)というとき、後者が考えられています。 古代の晩餐は、公的な社会関係の表現でした。誰がどのような機会に誰を招き、どのような席順に座わるかが重要でした。通常は食堂に、三人一組で半身になって横たわる食事用の臥台を合計三つ、馬蹄型に並べました。ひとつの臥台は招待者たちのため、もうひとつはメインの招待客たちのため、そしてもうひとつが

地の塩、世の光となるために

⇒(MP3, 32kbps)「地の塩、世の光となるために」(山上の垂訓講解説教第2回)陶山義雄列王紀下2,19-22; 私が前回担当させて頂いた6月2日の礼拝より、マタイ福音書に収められている「山上の説教」を礼拝のテキストに取り上げることを申し上げました。前回はその第一弾である「説教」の序文・「全ての人を招き入れる祝福の言葉」に注目致しました。そして本日はその続きである、マタイ記者が主の御言葉に聞き従う者の特質を、イエスの言葉集から選び出して、「あなた方は地の塩、世の光である」という言葉で纏め上げた所に注目致したく思います。他福音書では「地の塩」と「世の光」への言及はそれぞれ分かれており、しかもそれぞれ異なった場所に置かれています。「塩」への言及はマルコ福音書で云えば9章49、50節で語られ

Who is my neighbor? (私の隣人とは誰ですか?)

⇒(MP3, 32kbps)「Who is my neighbor? (私の隣人とは誰ですか?)」(外国人の人権のために祈り、民族主義と平和を考える礼拝)Devorah Umipig-Julian日本語訳: 廣石 望⇒英語版(原文)レビ記19,11-18;I お早うございます。私が先月、廣石牧師から今日の説教を担当してくれないかというメール連絡を受けたとき、私の返答は「はい、喜んで。機会を与えてくださり、ありがとうございます。こうしたことで神に仕えることができるのは特権です」というものでした。祈ります。私の口の言葉と私の心の瞑想が、我が主・我が贖い主よ、あなたの意に適ったものでありますように、アーメン。II 現在、世界中で6,500万人が居住地を追われています(UNHCRの2019年統計)。

良い奴隷

⇒(MP3, 32kbps)「良い奴隷」田中健三イザヤ書 43,10-11; ルカによる福音書19章11節以下の箇所は本来二つであった物語を一つにしていると思われます。その二つの繋がりが不自然だからです。一つは、ある身分の高い人が王に即位するために遠い国に旅立つが、民はその者を憎み、即位に反対する、という物語。もう一つは一人一ムナ(現在の価値で100万円弱くらい)を預かった奴隷が、10倍、5倍に財産を増やす者と預かった財産を死守し増やすことはしなかった者とに分かれた、という物語です。前者の物語は、前4年にヘロデ大王の後継者の一人であったアルケラオスが即位のためにローマの承認を得ようと旅立ったが民衆は彼を支持していなかったという史実を題材にしている、ともされています。 11節に記されているよう

マイカル神父の祈り

⇒(MP3, 32kbps)「マイカル神父の祈り」中村吉基コヘレトの言葉 3,1-8;7わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。8わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。9キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです。 アメリカの長老教会が子どもたちのために信仰について分かりやすく書いたカテキズム(信仰問答)が20年前に出されました。そのタイトルは『わたしたちは神様のもの』というものでした。そしてその本を開くと第一番目の問いに「あなたはだれですか?」と書いてあります。 「あなたはだれですか?」と聞かれ

狼の群れに子羊を

⇒「狼の群れに子羊を」廣石 望イザヤ書11,1-10;I 「まつりごと」という日本語が示唆するように、政治には、しばしば宗教的オーラが伴います。古代オリエントの王たちは、自らを「神の息子」たちとして演出しました。古代ローマ皇帝たちは、属州ではすでに生前に、今の流行りの言葉でいう「神っている」存在として、独自の祭儀の対象になりました。 イスラエルの王たちも「神の息子たち」と呼ばれました。そして王制が廃止された後の時代は、神がやがて就任させるであろう未来の王(メシア)への期待が生まれました。この期待は、外国人による支配下にあって何度も燃え上がりました。 平和聖日であるこの礼拝では、イエスが弟子たちを派遣するさいに「狼の群れに子羊を送る」と言ったことの意味を、ごいっしょに考えてみましょう。II イ

ドグマからの解放

⇒(MP3, 32kbps)「ドグマからの解放」田中健三出エジプト20,4-6; 本日は、先週の広島と長崎への原爆投下の記念日と今週の敗戦記念日の間に当たります。一度壊滅した日本がここまで復興したことに驚きと感謝を覚えるとともに、戦争体験者やその切実な体験を継承している子孫がまだ生存する中で、今一度戦争の原因とその責任から目をそむけないことを銘記しなくてはならないと思います。何もなかったことにすることはできず、私たちは正の遺産だけ継承し、負の遺産は置き去りにしておくことはできないはずです。現在日本と韓国の政治状況が悪化しているのはご存じのとおりであり、その背景には両国それぞれの権力者の思惑があり、権力闘争があるのでしょうが、そのこととは別に、日本政府として戦争中に行った強制連行や従軍慰安婦と

キリストの共同相続人

⇒「キリストの共同相続人」 廣石望ホセア書 2,1-3;I 私たちは神の前で何者なのでしょうか? キリスト教に特徴的な神の経験、または神を経験することから生まれる自己自身の経験とは何でしょう? 教会教派の違いによって、また人の歩んできた道によって、この問いに対する答えは様々でしょう。例えば、神の恵みから生きる者、義認された罪人、神に愛される子ども、我がうちに住まう聖霊に導かれる者、悪しきこの世から救い出され聖化の道を歩む者、神との新しい契約に生きる群れの一人、キリストの兵士など。II 使徒パウロはローマの信徒への手紙6-8章で、古代世界の家族にまつわるイメージを使って、キリスト者の新しい身分について語ります。「奴隷」と「兵士」が主人を換える、妻が夫の死を介して再婚する、あるいは奴隷が養子化さ

どの声に聴き従うのか

⇒(MP3, 32kbps)「どの声に聴き従うのか」 中村吉基イザヤ書43,1-2;ヤコブの手紙1章12~18節12試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです。13誘惑に遭うとき、だれも、「神に誘惑されている」と言ってはなりません。神は、悪の誘惑を受けるような方ではなく、また、御自分でも人を誘惑したりなさらないからです。14むしろ、人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆されて、誘惑に陥るのです。15そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。16わたしの愛する兄弟たち、思い違いをしてはいけません。17良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父から来るのです。御父には、移り変わりも、天体の動きにつれて生ずる

戦争の現実

⇒(MP3, 32kbps)「戦争の現実」田中健三;マタイ5,9-101 本日の聖書箇所イザヤ22,1-5は、戦争が終わった後の民衆のあり方への批判です。歴史的にどの戦争をこの箇所の背後に持つのかということについては諸説あります。前8世紀のアッシリアとバビロニアの戦い、アッシリアの南ユダ王国への侵攻、その後200年近く経ったバビロン捕囚の終結などでありますが、どの説が正しいかは確定されておりません。5節に出て来る「幻の谷」を引いたであろう1節の「幻の谷」もヒンノムではないかと言われておりますが、これも定かではありません。4節の「わたし」はイザヤという設定になっており、イザヤが終戦に喜び浮かれる民衆に対して、「わが民は滅びたのだ」という現実を直視するようにと批判しております。5節には将来起こる

人を穢すことができるもの

⇒(MP3, 32kbps)「人を穢すことができるもの」廣石望レビ記11,1-8;I 私たちがなすべきことは何でしょうか? イエスの時代にあってなすべきこととは神の要求、神の掟、すなわち律法でした。 「律法」はヘブライ語で「トーラー」と言います。もともと父が子に、祭司が俗人に、知者が弟子に「教え、諭し、指示」として与えるものです。預言者たちは、神が与える教え・諭しを「神のトーラー」と呼びました。後にシナイ山上で神から与えられた啓示を文書化したものが「モーセのトーラー」つまりモーセ律法と呼ばれました。ペルシア時代にはモーセ五書が「トーラー」と呼ばれるようになります。さらに時代は下り、イエスの時代には、トーラーを守る垣根としてのファリサイ派の口伝形式の律法解釈の蓄積が「口伝律法」として、トーラー

口をきけなくする霊と信仰

⇒(MP3, 32kbps)「口をきけなくする霊と信仰」廣石望サムエル記上16,14-23;I 現代では、「悪霊祓い」はオカルト現象に分類されます。良識的な宗教は、こうした現象から距離を置くのではないでしょうか。でも、意外にそうでもないかもしれません。 例えば日本の神道には、お祓いや禊(みそぎ)の習慣があります。罪や穢れ、災厄などの不浄を心や体から取り除くための「神事」として、これらの儀礼は神道の中核をなすとも言えそうです。 かつてカトリック教会には、エクソシスト・祓魔師(ふつまし)という下位叙階がありました。トリエント公会議(1545-63年)で定められた三つの下位叙階のひとつです。祓魔師は、洗礼にさいして悪霊追放の儀式を行ったそうです。後に、第二バチカン公会議(1962-65年)で廃止さ

新しい生き方の掟(山上の垂訓 講解説教 第3回)

⇒(MP3, 32kbps)「新しい生き方の掟」(山上の垂訓 講解説教 第3回)陶山義雄申命記8,11-18; 先ほど交わした交読詩編第19編は、太陽、月、星など、天体の運行の中に、それを創造された神の威光を讃え、仰ぐ姿勢から、その運行を司る神の掟に目を転じ、主の律法と掟、主の定めと命令を讃えた後、こう結んでおりました:(19:8~10)「主の律法は完全で、魂を生き返らせ、主の定めは真実で、無知な人に知恵を与える。主の命令はまっすぐで、心に喜びを与え、主の戒めは清く、いつまでも続き、主の裁きはまことで、ことごとく正しい。・・・」 小野千恵子さんの伴奏で、平井桃子さんに歌って頂いた旧讃美歌74番は、詩編第19編を元にして作られた素晴らしい讃美歌でした。何よりもこの讃美歌はハイドンの作曲した「天

神が清めたもの

⇒(MP3, 32kbps)「神が清めたもの」廣石望レビ記7,19-27;I 本日の聖書箇所には「清い/汚れた」という表現が、何度も現れます。 こうした区別は、人間に備わった分類能力に関係するでしょう。生き物は「食べられるもの/食べられないもの」、あるいは「私に危害を及ぼすもの/安全なもの」を区別します。人間は、さらに抽象概念である「清い」という言語を用いて、「清いもの/清くないもの」も区別できます。 こうした分類は、もちろん人にも向けられます。年齢、カースト、肌の色、犯罪歴、身長、しょうがいの有無、出身民族、家族の家柄、ジェンダー、世代、遺伝的特徴、既婚者か否か、国籍、人種、宗教、性的指向、社会階級その他もろもろ。こうした分類は、社会や文化の伝統的要素になります。 このような分類には、しば

ソロモンより大いなること

⇒(MP3, 32kbps)「ソロモンより大いなること」廣石望列王記上10,1-10; ただいま入力・校正作業中です。 

あきらめない

⇒(MP3, 32kbps)「あきらめない」中村吉基創世記32,23-32;1 イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。2 「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。3 ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、『相手を裁いて、わたしを守ってください』と言っていた。4 裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。5 しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』」6 それから、主は言われた。「この不正な裁判官の言いぐさ

生きること/死ぬこと

⇒(MP3, 32kbps)「生きること/死ぬこと」廣石望創世記15,2-6;I 先だって私たちの教会は、相次いで二人の信仰の同胞を天に送りました。この方々が私たちのもとにいて下さったことを、私は深く感謝しています。その直後、留学時代にたいへんお世話になったスイス人の新約学者が、81歳で亡くなったという知らせが飛び込んできました。この方は日本と縁が深く、私の学問上の教師たちの友人であり、彼の下に留学して博士論文を書いた直弟子たち、また私のように身近に接した者たちも多くいます。関係者の方々に悲報をお伝えする中で、悲しみが深まりました。 本日のテクストであるフィリピの信徒への手紙の箇所でパウロは、自分の「生を通してであれ、死を通してであれ、キリストが私の身体にあって栄光化されるであろう」と言いま

自由の知らせ

⇒「自由の知らせ」田中健三出エジプト記3,7-10;1 本日の聖書箇所ガラテヤ書5,13の原文の直訳は、「兄弟たち、あなたがたは自由へと召された。ただ肉についての機会のための自由ではなく、愛によって互いに仕えよ」であり、日本聖書協会新共同訳は「得るために」や「罪を犯させる」など補って意訳しています。また「ただ」は「仕えよ」を修飾しているわけではないことも原文からわかります。ここで「肉についての機会」と訳す「機会」はギリシア語では軍事的拠点や出発地点を元来意味するようです。 2 5,13以降がガラテヤ書のそれまで記されてきたことの頂点だという学者もおり(David A. DeSilva, The Letter to the Galatians, Grand Rapids, 2018, 443)

忍耐して待ち望む

⇒「忍耐して待ち望む」廣石望詩編39,5-10;I 昨日はベルリンの壁の崩壊30周年の記念日でした。ベルリンの壁は1961年8月から1989年11月9日まで存在しました。壁は資本主義と共産主義という政治体制の対立を象徴する存在であり、やがてそれが崩壊するときが来るとは、当時あまり想像できませんでした。最初にハンガリーがオーストリア国境を開きましたが、そのハンガリーが30年後の現在は、難民に対してたいへん排他的な政策をとっています。ドイツを含むその他のヨーロッパ諸国でも右派勢力が台頭しています。その人々はしばしば「キリスト教」をもちだしますが、その多くは教会に通う人たちではありません。彼らがキリスト教というとき、それは反イスラームという態度の表明であり、今度は政治制度の対立に代えて、文化対立と

主人は何をするだろうか

⇒(MP3, 32kbps)「主人は何をするだろうか」廣石望イザヤ書5,1-7;I 人が作るもので、この世に永続的なものはありません。私たち一人ひとりもやがては死にます。人が作る制度も同じで、例えば国家にも存亡の歴史があります。この世界そのものにも終わりがあるという教えが聖書にあり、終末論と呼ばれます。 教会暦では、待降節(アドヴェント)前の今の季節を「終末」という語で呼びます。キリストの到来が、この世界の終わりをもたらすという意味です。積極的に言えば、キリストは世界の目標かつ完成です。 キリストの到来は、どのような意味で世界の終わりなのでしょうか? また、歴史を歩む神の民の行方はいったいどうなるのでしょうか? ごいっしょに考えましょう。II 「葡萄園の悪しき農夫たち」の譬えは、ユダヤ民族と

The Cross Pendant

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He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel

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