神が清めたもの

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します

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「神が清めたもの」

廣石望
レビ記7,19-27;

I

 本日の聖書箇所には「清い/汚れた」という表現が、何度も現れます。

 こうした区別は、人間に備わった分類能力に関係するでしょう。生き物は「食べられるもの/食べられないもの」、あるいは「私に危害を及ぼすもの/安全なもの」を区別します。人間は、さらに抽象概念である「清い」という言語を用いて、「清いもの/清くないもの」も区別できます。

 こうした分類は、もちろん人にも向けられます。年齢、カースト、肌の色、犯罪歴、身長、しょうがいの有無、出身民族、家族の家柄、ジェンダー、世代、遺伝的特徴、既婚者か否か、国籍、人種、宗教、性的指向、社会階級その他もろもろ。こうした分類は、社会や文化の伝統的要素になります。

 このような分類には、しばしば社会的に優劣の差を伴います。それが特定の人々に不利益をもたらす不当なものであると告発する人々によって、「差別」が主題化されます。しかし大多数の人々は、それを「普通の区別」と見ることが多いのではないでしょうか。伝統的に差別されてきた集団に、特定のパーセンテージの範囲で優遇措置を与えるクォータ制に対して、「逆差別」であるという反発が容易に予想されます。

 こうして、何を「差別」と見なすかは、社会的コミュニケーションに関係しているようです。つまり差別を納得させるには、不当に不利益を蒙る人々のアピール力が必要であり、同時に、他方の側にはその訴えを聞きとるだけの感受性が求められます。「平等/不平等」をめぐる価値判断を科学的な測定によって定めることは容易でなく、差別を当たり前と考える人々に、それが不当であると納得させることは容易でありません。

 本日の聖書箇所は、異邦人コルネリウスの回心物語の出だしであり、その主題はユダヤ人と異邦人の間の分断を超える交流です。その分断についてユダヤ人ペトロは、異邦人コルネリウスの自宅に参集した人々に向かって、「ユダヤ人男性にとって、他種族と交際したり訪問したりすることは許されていない」(10,28)と説明します。「交際」や「訪問」は、具体的には交わりの食卓となって実現します。古代社会では、食卓を通して社交が行われたからです。こうして何が清い食べ物であり何が汚れているかが、誰と交際して良いか、あるいは悪いかに直結しました。

 本日のテクストの前半はコルネリウスの幻から、そして後半はペトロの幻から成ります。どちらの場合にも、民族の区別ないし差別の問題が、食べ物の問題と結合しています。

II

 コルネリウスがいるカイサリアは「海のカイサリアCaesarea maritima」とも呼ばれた地中海に面した湾口都市で、ローマ軍とユダヤ総督の駐屯地でした。大王と呼ばれたヘロデが整備した異教都市です。現在まで、水道橋と劇場がよく保存されています。ここに駐屯する「イタリア隊」に属する百人隊の隊長であるコルネリウスという名の人物は、共和制ローマ期の軍人かつ政治家であったルキウス・コルネリウス・スッラ(BC 138-78年)と関係があるでしょうか。もしそうであるなら、この人物はスッラの解放奴隷の子孫であるかもしれません。

 この異邦人の軍人について、「敬虔で、一家揃って神を畏れ、(イスラエルの)民に多くの施しをし、万事につけて神に祈っていた」(2節)と言われます。

 一連の形容表現のうち、「神を畏れる者」とは、割礼を受けてユダヤ教に改宗するまでには至っていないけれど、ユダヤ教に親しみを感じ、ユダヤ人を支援する異邦人をさす表現です。比較的に教養層に属する人たちであることが多く、ユダヤ教の一神崇拝、高い倫理性、そして共同体の強い絆に魅力を感じてユダヤ教に近づき、抜粋された律法に従って生き、会堂の礼拝に参加し、エルサレムに巡礼することもあり、日頃から旧約聖書のギリシア語訳である『七十人約聖書』に親しんでいました。パレスティナ本国以外にあっては、ディアスポラ(散在)のユダヤ人と異教世界の中間に位置し、ユダヤ民族を保護する役割を果たした人々です。

 そのコルネリウスに午後3時、つまり祈りの時間に、天使が顕現して、「君の祈りと君の施しは、神のみ前に立ち上り、記憶されている」(4節)と告げます。これは、それに対するご褒美があるという意味でしょう。そしてコルネリウスは天使の指示に従って、ヤッファに滞在中のペトロのもとに使者たちを遣わします。ヤッファはカイサリアから南に約50kmの海岸線にあります。大急ぎで約1日の距離であり、ペトロを迎えるための動物を引いていった可能性があると思います。

III

 さて、そのヤッファに滞在中のペトロは、再びユダヤ教の祈りの時間である昼12時に、滞在先の建物の屋上にあがります。彼が「空腹」であったとは、断食を連想させます。そのとき「天が開け」、ペトロは「我を忘れ」ました。つまり異邦人とユダヤ人の間の分断を克服するために必要なものは神から与えられ、ペトロは脱自状態に陥って従来の固定観念を離れることで、これを受けとることが可能になります。

 ペトロは、天上世界から風呂敷のようなものに「あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥」が入っているものが降ってくるという幻を見ます。創世記を思わせる筆致です。そして天からの声がこれらを食べるよう言いますが、ペトロはユダヤ教の食物規定に従って「とんでもない」と拒否すると、天からの声は「神が清めたものを、君が汚しては(=汚れていると見なしては)ならない」と言います(15節)。この声の持ち主は、天上界のキリストであろうと思います。

 その後でペトロは、「霊」の促しに従って、コルネリウスの使者たちを受け入れて宿泊させます(20節)。おそらくいっしょに食事をしたのでしょう。文化的なバリアを超えるには、「幻」やキリストの声、そして「霊」の促しが必要なのです。そしてコルネリウスを自宅に訪問し、ユダヤ人には異邦人との交流が禁じられているという、先に紹介した習慣について説明したのち、ペトロは「神は私にも、もはや人間を汚れているないし清くないと言うことがないことを示した」(28節)と発言します。これに対して、コルネリウスは天使が祈りの時間に現れ、自分に指示を与えたことを報告し(30-33節)、ペトロはこれを受けて、「神が人を偏り見ないこと、むしろあらゆる民族において、神を恐れて義を行う者が神に受け入れられることを、私はまことに理解する」という発言で始まる説教を行います(34-43節)。続いて聖霊降臨と異言が、つまりペンテコステに際してエルサレム原始教会に起こったのと同じことが生じ、コルネリウスに洗礼が授けられます(44-48節)。

 じつは次の章では、このできごとについて報告を受けたエルサレム原始教会の「割礼からの人々」、つまりユダヤ人キリスト教徒たちは、「君は包皮をもつ男たちのところに入り、彼らと共に食べた」(11,3)とペトロを非難したことが報告されます。これに対してペトロは、先に紹介した経緯についてもう一度、つまり使徒言行録の読者にとっては合計三度目に、ことの次第を順に沿って説明しています(11,4以下)。民族差別を乗り越えることが、いかに大変であるかが、じつによく分かるストーリー展開です。

IV

 以前に、週報に記載される「牧師室から」というコラム欄に、以下のような報道について紹介しました(5月5日)。

ネットの新聞記事によると、ドイツのカトリック協議会の代表が、司祭の一部が結婚していたり世俗の職業についていること、また女性の執事を認めてはどうかと提案しているそうだ。とくに教会指導層の中の女性の割合を2023年までに3割にしたいとのこと。――人々の反響は「やっと理性的な意見が!」「教会を近代化すると信徒は去る」「LGBTも認めるべき」など多様だ。……

 教会内の改革に対するこのような多様な意見を見ても、新しい差別や分断を乗り越えて新しいあり方を実現することが、いかにたいへんであるかが分かります。使徒言行録には「霊」「幻」「天使」「聖霊降臨」などについて言及がありました。現代社会で「霊が私にそう教えた」と発言すると、おそらく疑いの眼差しで見られるかもしれません。それと並んで、聖書には同時に「天が開けた」ともありました。社会に存在する差別と分断を克服すべきとき、教会の中でもそれがなされる必要があり、そのとき私たちにとっても「天が開ける」ことで新しい認識がもたらされるのだと思います。


 
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