イエス・キリストは山上の説教の中で、このように言われました。
今日の箇所12節はこのイエスさまの言葉を彷彿とさせるような言葉から始まります。
また、この前の2節において「いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい」という言葉があり、この12節でふたたび試練の問題を取り扱っています。誰もができることならば試練を避けたいと願っていることでしょう。「神を愛する人々」これは私たちキリスト者のことを指します。その神を愛する人々にとって試練というのは信仰を確かなものにするチャンスなのだと12節では告げています。誘惑に負けて悪に走らない人々に神さまは「命の冠」を授けてくださるのです。この命の冠とは何かイメージされたものでもなく、絵に描いた餅のようなものでもありません。シラ書6章31節によれば、命の冠とは神さまが与えてくださる「知恵」と解釈することもできます。
私たちは何か悲しいことや苦しいことが起きると、それを誰かのせいにしてしまうことがあります。この箇所では神さまのせいにしてしまうという危険をはらんでいることに警鐘が鳴らされています。ここで「誘惑」という言葉が出てきますが、12節で出てきました「試練」という言葉と同じ言葉です。しかし、試練より誘惑という言葉のほうが悪い意味が含まれます。神さまはけっして右の手で私たちの頭を撫でておいて、左手で私たちの頭を殴るようなお方ではありません。私たちを陥れるために神さまが誘惑されているのではないのです。私たちに苦しいことが続くと、自暴自棄になって悪い思いを抱いてしまうことがあります。あるときにはそれを抱くだけではなく、悪に手を染めてしまうこともあります。これは神さまが試練を与えて、誘惑をされてその結果私たちがもっともっと苦しい方向に陥るという単純なことではなく、悪に手を染めるのは私たち自身の内側にある欲望がそうさせるのです。16節で「わたしの愛する兄弟たち、思い違いをしてはいけません」と記されているのは続く17節、18節で「良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父から来るのです。御父には、移り変わりも、天体の動きにつれて生ずる陰もありません。御父は、御心のままに、真理の言葉によってわたしたちを生んでくださいました。それは、わたしたちを、いわば造られたものの初穂となさるためです」と記されることへの前置きの言葉としてあるのです。神さまは私たちに良いもの、「良い贈り物、完全な賜物」をくださるお方です。よく私たちは神さまを親に譬えます。イエスさまもある時、このように言われたことがあります。
神さまは私たちの父であり、母のような存在です。昨今は親子の間でも不幸な事件が続いていますから今日ではこの聖書の言葉が、掠められていると言えるかもしれませんが、通常、親が子に悪いものを与えるでしょうか。神さまもまた皆さんのことが心配でならないのです。そしてより良い幸せな人生を歩んで行ってほしいと願っておられます。神さまは私たちに試練を与え、誘惑し、悪い道へといざなうお方ではなく、常に皆さん一人ひとりを心にかけ、愛し、幸福を願っておられるお方です。
私たちの日本基督教団は日本が戦争に突入する直前の1941年に「宗教団体法」という法律によって当時のプロテスタント33教派が合同してできたものです。「宗教団体法」とは政府が宗教団体を統制するという目的を持ったものでした。実はそれまでにも明治期より主にアメリカ・カナダからやってきたプロテスタント諸教派が合同して教会を造り上げようという試みがなされてきましたが、それは実現に至りませんでした。他方、キリスト教は日本の社会の中で、神道や仏教と肩を並べる存在とは成れずに、いつかは信徒数を拡大して一人前の宗教として影響力をもちたいという「誘惑」からますます国家に擦り寄っていったのです。教団の代表が伊勢神宮に参拝したり、教団の名によって戦闘機を陸海軍に献納したりするということさえ行われていました。しかし、そのような教団の中で、旧ホーリネス教会の人々のように天皇が神ではなく、聖書に証しされている神さまがまことの神さまだという信仰を貫いて、当時治安維持法によって検挙され、教会は解散させられ、牧師は投獄され、そしてその中にはいのちを落とし、いわば殉教した方々もおられました。そういった人々に対して、ほかの多くのキリスト者たちは自分の仲間と認めようとはしませんでした。彼らを無視したどころか、教団から除名してしまったのでした(のちに謝罪がなされています)。
これからお話しするのは教団には加わりませんでしたが、今も岐阜/三重県で伝道を続けている「美濃ミッション」というグループがあります。この美濃ミッションに起こった弾圧事件がありました。1929年といいますから戦争に突入するしばらく前の話ですが、美濃ミッションの教会員の子どもたちが、小学校で行われた神社参拝を拒否しました。この事件は1930年になって各新聞でも報道されました。これを受けて日本基督教会大垣教会教会員で安八農学校校長の佐藤信夫という人が、「我々キリスト教徒も迷惑を感じている。神社参拝に反対する必要はない」と述べました。美濃ミッションの子どもたちはその後も神社参拝も拒んだので、これらの事件により9月23日提出した美濃ミッション設立願はついに認められませんでした。
1933年、美濃ミッションの子どもたちが伊勢神宮参拝を偶像であるとして拒みました。この事件は新聞で大々的に報道され、岐阜県の政治家大野伴睦は「市民は合法的に、実力で美濃ミッションを閉鎖せよ」と述べました。煽動された大垣市民はこぞって美濃ミッションを迫害したのです。日本基督教会大垣教会牧師朝倉重雄は「神社に低頭するのは、キリスト教信仰に何ら差し支えない」として美濃ミッションを非難し、1933年8月21日、神社参拝を拒んだ児童たちは停学になりました。 同年9月1日、読売新聞は「美濃ミッション 聖書の「神」以外は一切排撃」と題する批判記事が掲載され、翌年の1934年1月、美濃ミッションの幼稚園は閉鎖に追い込まれました。このミッションの指導者であったワイドナー宣教師は、病気によって1939年天に帰り、美濃ミッションは解散を命じられましたが、戦時中も信仰を守り、妥協せず、日本基督教団に加わることもありませんでした。そして1942年3月26日美濃ミッションの牧師たちは治安維持法違反で投獄されたのでした。
このような激しい戦時下の迫害を経て、今も美濃ミッションの人々はその信仰を守り続けておられます。当時のキリスト教の大部分は国家に擦り寄って、自分たちの「欲望」ばかりを燃やしていきました。それに比べて、ホーリネス教会や美濃ミッション、それだけではありません。あの戦争に向かっていくさなかに、国家の向かう方向に反対したキリスト者たちは少数でしたけれど、プロテスタントだけではなく、上智大学のカトリックの学生も靖国神社を参拝しなかったということがありました。これらの人々はまさしく今日の箇所12節にある「試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです」という言葉に表される「適格者」――適格者というのは試練を耐え抜いて認められた人々のことです――そして「神を愛する人々」ではなかったでしょうか。
私たちは毎日の生活の中で絶えず、試練に、誘惑にさらされている者たちです。その中で私たちはどこから聴こえる、どの声に従っていったらよいのでしょうか。私たちは数多く聴こえる声の中で、真実の声に従わなくてはなりません。真実の声とは神さまの声です。神さまの声に聴き従うところに平和が生まれます。幸福が約束されます。私たち一人ひとりがこの世の中で、それができるかどうかが試されています。私たちはその試練を乗り越える時に信仰が確かにされ、「命の冠」を神さまから与えられるのです。私たちの持てる力はとても小さなものです。しかし、小さいのは小さいなりに少しだけ私たちの身の周りを平和の方向に変えてみることができるはずです。神さまの声に聴き従って、この新しい1週間の旅に出かけましょう。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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