(1)香炉を地に投げつけると雷と声と稲妻が起きる
香炉を地に投げつけると、雷と声と稲妻が生じました。香炉を地に投げつけるとは、忠実な神の民の贖罪の行為だと考えられます。贖罪がなされると雷と声と稲妻が起きます。この雷と声と稲妻とは、それぞれ文字通りのものではなく、象徴的なものでしょう。
稲妻と声と雷とセットになっている場合、その雷の発生源は、エホバ神でしょう。比ゆ的な雷とは何を意味するのでしょうか。 詩編には、神の僕が苦難のときに神に呼び求める時に、神はご自分の僕を助け始められ、「雷の隠れ場」でご自分の僕に答えられることが記されています。(詩編81:7)それで、神の僕が苦難のゆえに神の助けを懇願する時、その答えの表明として比ゆ的な雷が生じる場合があります。
RonAlmog
比ゆ的な雷は神の僕の助けを求める祈りの答えと神の怒りの表明を意味する
しかし、当然、雷は神と神の民の敵に対する神の怒りの表れとして生じる場合があります。(出エジプト9:23)それで比ゆ的な雷とは、神の僕の助けを求める祈りの答えと神の怒りの表明を意味するのではないかと思います。
声とは何を意味するのでしょうか。とりわけご自分の僕たちに対して神がご自分の考えを伝達されることを声が生じると表現されているのでしょう。(出エジプト19:19)神の声は、ある場合、神がとどろかせる雷鳴と同じものです。(詩編29:3;18:13)
神のみ口から出る声は、ご自分の僕たちに対しては、知恵と知識と識別力である場合もあります。(箴言2:6)神の声は、とりわけ聖書にすでに記されているでしょう。エホバはご自分の声に対して心をかたくなにするのではなく、わたしたちがその声に聞き従うことを期待されます。(詩編95:7,8;103:20)
では、稲妻とは何を意味するのでしょうか。エホバ神の稲妻の影響は全地に及び、真実を露わにさせ、敵に動揺と混乱をもたらします。(マタイ24:27。詩編77:18;144:6)ですから、象徴的な稲妻は、真実を明らかにすることであり、結果として神の敵に動揺と混乱をもたらすことを意味するでしょう。とりわけ、神の啓示を意味するのではないかと思います。
象徴的な稲妻は真実を明らかにして神の敵に動揺と混乱をもたらすことを意味する
それで、別のみ使いが火を入れた香炉を地に投げつけた後、雷と声と稲妻が生じたとは、別のみ使いが地の人のために贖罪をした後、神がご自分の僕たちに対してなされたことに対する怒りの表明も含めてご自分の考えを伝達されたことを意味すると思います。
(2)地震が起きるとは
別のみ使いが香炉に地の人のために贖罪をした後、雷と声と稲妻だけでなく地震が生じました。(啓示8:5)地震が起きるとは、何を意味しているでしょうか。 啓示の書の中の地震という言葉の使われ方を検討すると、地震とは国際紛争や政治的な変動を意味しています。
その例の一つですが、啓示の書の中に、「人が地上に現われて以来起きたことのないような大地震」という言い回しがあります。(啓示16:16,18,19)この「地震」は、イエスが大患難に関して言われた言いまわしと酷似しています。(マタイ24:21)
(3)大患難とは何を意味しているか
大患難は何を意味しているでしょうか。エホバの証人は、大患難をこの世の終わり、つまり、神が奇跡的な仕方で、この事物の体制を滅ぼすことだと解釈しています。しかし、イエスが言われた大患難ととても良く似た言いまわしの「人が地上に現れて以来起きたことのないような大地震」は、大いなる都市大いなるバビロンに滅びが臨むことを意味します。(啓示16:19)
聖書は似たような言いまわしの時には、同じことに言及しているとみなすのは妥当なことです。ですから、大患難とは、この世の終わりを意味するのではなく、大いなるバビロンに対して神が裁きを行使されることを意味しているのではないでしょうか。
さらに、聖書はたびたび諸国家の間の軍事攻撃に注目しています。そして、神は軍事強国による軍事攻撃による滅びをご自分の裁きの表明として用いられたことが過去にもたびたびありました。神は、長い間ご自分と契約関係にあったイスラエルがバビロンによって軍事攻撃を受けて荒廃することが起きる事を許されました。それは、単に世界の歴史の流れとして起きた事ではなく、神のイスラエルに対する裁きの表明でした。
さらに、一世紀の大患難は、エルサレムがローマ軍によって軍事攻撃を受けた事でした。それは、神が起きる事に何らかの導きを与えて来られたとしても、例えば火山の爆発や地震が起きたり火と雹が降ったりというような神の奇跡的な裁きの表明が関係したものではありませんでした。それは、二国家間の軍事紛争でした。そうであれば、終わりの時の大患難、イエスが終わりの時に起こると予告されている大患難も、エルサレムに例えられるような国家を他の軍事強国が攻撃することを意味しているのではないでしょうか。
また、マタイ24章29節には、「それらの日の患難のすぐ後」と記載されています。少なくとも、このことは、大患難でこの世が終わっていないことを意味しています。
さらに、イエスが言及された大患難は人類史上起きたことがないような大規模なものなのですから、この大患難は、ダニエル書で預言されている北の王の南の王に対する三度目の総攻撃を意味しているのではないでしょうか。(啓示16:16,18,19)北と南の間の三度目の国際紛争を「大患難」とみなすならば、確かにその後、北の王の短い統治期間があり、この事物の体制は存続しています。
(4)啓示8章で言及されている地震
おそらく、啓示8章で言及されている地震は、イエス・キリストの言及された大患難ではないでしょう。北の王の南の王の三度目の軍事攻撃である大患難の前に起こる軍事紛争を意味しているのではないかと思います。
例えば、啓示16章で予告されている「大いなる都市は三つの部分に裂け,諸国民の[数々の]都市が倒れた。」という言葉で描写されている軍事紛争などを意味しているのかもしれません。(啓示16:19)啓示の書は、北の王が南の王を三度目の総攻撃で滅ぼす前に大いなるバビロンの弱体化につながる内戦が大いなるバビロンの中で起きる事を示唆しているようです。
大患難の前に内戦が起きて南の王が三つに分裂することが地震として預言されているのかもしれない
啓示の書の「大いなる都市」とは、大娼婦大いなるバビロンを意味しています。(啓示11:8;17:18;18:10,21)ですから、比ゆ的な地震が起きて、大いなるバビロンが3つに分裂してしまうことが分かります。大いなるバビロンが3つに分裂することは、大いなるバビロンが倒れてしまう道につながることになるでしょう。
さらに、大いなる都市がひとつの国家なのですから、「諸国民の数々の都市が倒れた」とは、諸国家の政府が倒れることを意味します。(啓示16:19)大患難に際して多くの諸国家の政権が倒れてしまうでしょう。
啓示8章で預言されている地震とは、大患難の前触れとなるそのような南の王の国の中で起きる内戦、また南の王の同盟国の政権が倒れる比ゆ的な地震を意味しているのではないかと思います。
それで、総合して考えると、天で静寂が起きたとは、常供のものが取り去られ、神への賛美が一時的に中断されることを意味し、七人のみ使いの最後の者たちはそれでも忠実に神聖な奉仕を続けると考えられます。そして、忠実な者たちによって熱心な祈りがなされ、イエス・キリストの贖いの犠牲によって贖罪がなされ、神の民と全世界の人々の罪の許しを求める祈りがなされます。(ヨハネ第一2:2)
そして、比ゆ的な雷と声と稲妻である神の啓示と神の怒りの表明があります。そして、南の王の国が三つに分裂する内戦が起こり、諸政府の政権が倒れてしまうというような紛争、つまり地震が起こることになるのではないかと思います。
大患難の大地震の前に諸政府の倒壊や南の王の王国の内戦などの地震が起こるのではないかLeggi il Firenzepost
エホバ神と神の民との間には意志の疎通があります。わたしたちは啓示された神の声、聖書に基づいた神のご意志に聞き従いましょう。(詩編85:8)
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
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