「互いに愛し合いなさい」

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します

イエスは、今日の箇所に先立って、「父(=神)がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい」(9)と命じられた。

このイエスの言葉を、単に「厳しい道徳的命令」として聞くならば、「本当に愛することは中々難しい」という月並みな結論で終わってしまうかもしれない。しかしイエスは、そのような実行困難な「道徳的命令」を与えたのではない。彼はむしろ、すべての根底には神の愛があると言おうとしているのだ。「わたしの愛にとどまりなさい」という命令の真の意味は、そこにある。このことについて述べたい。

彼は、一切のものの根底に神の愛があると信じていた。

例えば、「空の鳥を見よ」、「野の花を見よ」 (マタイ6,25以下) と言う。この世界の最も小さな存在に優しい眼差しを向けたのは、神の愛を信じたからだ。空の鳥は「種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない」のに、ちゃんと生きている。また、野の花は「栄華を極めたソロモンでさえ」及ばないほど美しい。もし神が、これらのものを愛していなければ、どうしてこのようなことがあり得るだろうか。自然界にこれ程多彩で不思議な生命の営みがあるのは、神が愛をもって天地万物を創造されたからではないか。一切の根底に神の愛がある。そう信じていたからこそ、彼はまた、誰からも認められないような人・病気や不幸の故に苦しむ人・しばしば自分の罪に打ちひしがれている人々に対して慈しみの目を向けたのであった。

さて、この信仰に基づいて、イエスはさらに、「これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである」(11)と言われた。我々は、この点に注意しなければならない。我々が「イエスの愛にとどまるのは、我々の内に喜びが満たされるためだ」というのだ。

我々は、愛されることに無上の喜びを感じ、愛する時に生き甲斐を感じる。人間とは、そういう存在だ。愛の中で、様々な意義深い営みもなされる。これは、人間同士の間だけではない。人間と、動・植物との間にも成り立つ関係である。

『毎日新聞』に、京都大学霊長類研究所の松沢哲郎教授が「チンパンジーは進化の隣人」というしている。この人は霊長類研究の世界的な学者で、「アイ」と名づけられたチンパンジーに「字」や「数」を教えて知能を分析し、その発達を追うというユニークな研究で知られる。

その「アイ」に子供が生まれた。「アユム」という「男の子」で、ちょうど1歳6ヶ月になったので、最近、「一歳半検診」をした。その時の様子が先週のコラムで報告されていて、大変に興味深かった。序でに言うと、松沢氏たちはチンパンジーをまるで人間のように扱い、「男の子」・「女の子」と言うし、「何匹」とは言わず、「何人」と言う。

さて、その検診だが、嫌がる検査をいろいろしなければならないので、先ず麻酔薬を注射して眠らせておき、その隙に体の各部の検査・レントゲン撮影・ツベルクリン注射・骨の密度の計測・脳のMRI(磁気共鳴画像装置)の画像撮り等を済ませるわけだが、問題は麻酔注射だ。チンパンジーも注射は嫌いだから、一人一人の性格に応じてあの手この手を考えるのだが、松沢氏は、終わりにこう書いている。「嬉しいことや楽しいことが沢山々々あれば、多少の辛いことは我慢できる。要は、日々培う信頼関係だ」。この「信頼関係」という言葉は、「愛」に置き換えることが出来る。もちろん、そこには「研究のため」という大前提がある。しかし、仮にそうだとしても、彼の「アイ」や「アユム」に対する愛と献身は、単なる「研究のための便宜的手段」ではない。本当に愛しているらしい。そうでなければ、研究も成り立たないだろう。

神がお造りになったすべての者は、愛されることに無上の喜びを感じ、愛する時に生き甲斐を感じる。その時に、本来の自分になる

では、逆の場合はどうか?

少しでも他者との関係がうまく行かないとき、我々も食欲はなくなり、夜もよく眠れない。よく「カッとなる」と言うが、多分血圧も上がっているのだろう。いわんや、憎しみまで進めば、もっとひどくなる。「精神身体医学」(心身症)の専門家が指摘していることだが、強い憎しみを抱いているとき、人は体の中から壊れて行くそうである。心臓にも負担が掛かるし、特に胃の内壁は忽ち充血し、ほんの少しの刺激でも出血する状態だという。これは、実験的にも確かめられている。憎み合っていては、人は肉体的にも生きて行けないのだ。

今、世界は憎しみで充満している。

「どちらが悪い」という以前に、憎み合っているというだけで世界は破滅に向かっているのである。このような状態は、止めなければならない。先ず戦闘行為を止める。しかし、それだけではなく、憎しみそのものを取り除いて、人間の本来の「喜びに満ちた」生活を取り戻す。これが人類の緊急の課題である。

「父(=神)がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。…わたしの愛にとどまりなさい。これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。…わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」。


 
 

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