第三のみ使いがラッパを吹くと、ともしびのように燃える大きな星が天から落ちました。(啓示8:10)その星は苦よもぎと呼ばれていました。(啓示8:11)
現時点では、この天から落ちる大きな星は、第二回目の南の王に対する攻撃で失墜してしまう北の王によって率いられたイスラム教の会衆を意味しているのではないかと考えています。(ダニエル11:29,30)今回は、イスラム教が、神と同性愛と天国と殺人についてどのように教えているかを調べてみましょう。
(1)イスラム教のクルアーンの神についての教えはほぼ聖書と調和している
イスラム教は、創造者なる神の存在を認めています。クルアーンがまことの神がどのような方であるかを描写していることは、聖書と調和しています。その点は、クルアーンはかなり真理を伝えているようです。クルアーンの中に神についてこう述べられています。「かれこそは神、唯一なるお方である。彼は自在され、すべての創造物はかれによって存在する。・・・かれに匹敵する何物もない」(クルアーン112:1-4)
ムスリムは神だけが全能者、創造者、統治者、そして全宇宙の万物の維持者であることを信じています。また神は万物を支配し、全能であること、神は最も恵み深く、慈愛深い御方であること、神はあらゆることを聞き、見て、知っていること、神の叡智は完璧であると信じています。
また、神は自らの創造物から何も必要としないが、全ての創造物はあらゆる面において神を必要としていること、神は不正や暴虐とは無縁であり、その全ての裁決と実行において英明であること、神が望まれることは、最終的にすべて現実化することなど、ムスリムが神について信じていることも聖書に調和しています。
(2)クルアーンが同性愛を非としていることは聖書と調和している
また、クルアーンが同性愛を非としていることは聖書と調和しています。コーランには同性愛について次のような記述があるということです。「80. また(われは)ルートを(遺わした),かれはその民に言った。『あなたがたは,あなたがた以前のどの世でも,誰も行わなかった淫らなことをするのか。81. あなたがたは,情欲のため女でなくて男に赴く。いやあなたがたは,途方もない人びとである。』それで、クルアーンは、同性愛を淫らなことだと述べています。 旧約聖書では、神は同性愛にふけっていたソドムとゴモラを火と硫黄を降らせて滅ぼしたことが記されています。(創世記19:24,25)またモーセの律法のもとでは、同性愛は、禁じられていました。レビ記には、「あなたは女と寝るようにして男と寝てはならない。それは忌むべきことである。」と記されています。(レビ18:22)
"The Destruction of Sodom and Gomorrah" by Francois de Nome (called Monsu Desideriomark6mauno
創世記には神が同性愛の町ソドムとゴモラを滅ぼしたことが書かれている
新約聖書でも、「不自然な目的のために囲われた男,男どうしで寝る者」などの同性愛は神の王国を受け継がない業に含められています。(コリント第一6:9,10)
また、ハーディスによると、ムハンマドが同性愛者を石打ちで処刑したと記されているとされています。聖書は確かに同性愛を非としてはいますが、同性愛者はクリスチャン会衆に受け入れられないだけです。聖書はそれ以上のことについては、何も述べていません。
イスラム世界の性に対する規定や現代の風潮に関しては、Wikiのイスラーム世界の性文化によくまとめられていると思います。
(3)イスラム教の天国と聖書の天の国あるいは神の王国
イスラムにおける天国 は、信教を貫いた者だけが死後に入ることのできるところです。クルアーンではイスラムにおける天国の様子が具体的につづられています。
コーラン出来事章10節から24節『(信仰の)先頭に立つ者は、(楽園においても)先頭に立ち、これらの者(先頭に立つ者)は、(アッラーの)側近にはべり、至福の楽園の中に(住む)。昔からの者が多数で、後世の者は僅かである。(かれらは錦の織物を)敷いた寝床の上に、向い合ってそれに寄り掛かる。永遠の(若さを保つ)少年たちがかれらの間を巡り、(手に手に)高坏や(輝く)水差し、汲立の飲物盃(を捧げる)。かれらは、それで後の障を残さず、泥酔することもない。また果実は、かれらの選ぶに任せ、種々の鳥の肉は、かれらの好みのまま。大きい輝くまなざしの、美しい乙女は、丁度秘蔵の真珠のよう。(これらは)かれらの行いに対する報奨である。』
聖書はクリスチャンの一部が天の王国に入るという見込みがあることを述べています。そして、それらの者たちが不滅の命を受けることになると約束しています。(コリント第一15:53)しかし、彼らが天に行くのは、安楽な生活をするためではなく、天から地上の人々をイエス・キリストと共に支配して、地上の人々が地上での永遠の命を得られるように助ける奉仕をするためです。(啓示5:10)
天に行くのは悦楽を楽しむためではなくキリストと共に支配して地上の人々を助けるため
また、聖書によると、天の王国に入る人々は、やはり霊者である神と共に住むことになるので、天で人間の肉体の体を持つわけではなく、霊者としての体を与えられる必要があります。(コリント第一15:50)天の王国は、霊者が住む世界なので、聖書によると天国に寝床やカップや酒や果物や肉や美しい少年や少女がいるわけではありません。
ですから、聖書の差し伸べる天国の希望とイスラム教の差し伸べる天国の希望は明らかに異なっています。しかし、聖書によると、すべての人が天に行くわけではありません。聖書は神の義に従って生きる大多数の人々が人間としての命を受けてこの地上で平和に永遠に生き続けることを約束しています。(詩編37:29;72:7)
(4)クルアーンが殺人について述べることは聖書とは調和しない
では、クルアーンの殺人に対する見方について調べてみましょう。例えば、殺人についてはクルアーンにこのような記述があります。
「人を殺した者、地上で悪を働いたという理由もなく人を殺す者は、全人類を殺したのと同じである。」(クルアーン5章32節)「アッラーが神聖化された生命を,法と正義のため以外には殺害してはならない。このようにかれは命じられた。」(クルアーン6章151節)基本的には、クルアーンには、理由なく無実の人間を殺すことを禁じています。
しかしながら、クルアーンは宗教的な迫害を受けた場合や、攻撃された場合、イスラム教徒に戦うことを認めています。 「あなたがたに戦いを挑む(いどむ)者があれば、アッラーの道のために戦え。だが侵略的であってはならない。本当にアッラーは、侵略者を愛されない。」(第2章「雌牛」190節)
「戦いをし向ける者に対し(戦闘が)許される。それはかれらが悪を行うためである。アッラーは、かれら(信者)を力強く援助なされる。(かれらは)ただ『わたしたちの主はアッラーです。』と言っただけで正当な理由もなく、その家から追われた者たちである。」(第22章「巡礼」39-40節)ですから、クルアーンは自己防衛のために、また、アッラーのために戦うことを認めています。
これは、聖書がクリスチャンにいかなる理由があっても殺人をすることを禁じているのとは、対照的です。啓示の書はスミルナ会衆のクリスチャンに次のように勧めています。「悪魔はあなた方のうちのある者たちを次々に獄に入れるであろう。それは,あなた方が十分に試されるため,また十日のあいだ患難に遭うためである。忠実であることを死に至るまでも示しなさい。そうすれば,命の冠をあなたに与えよう。」(啓示2:10)
ですから、新約聖書は迫害されても、戦って殺人をすることは認めていません。それどころか、復活に信仰を抱いて、たとえ死んでも神に忠実であり続けることを命じています。
旧約時代に、神はイスラエル人に異教のカナン人を殺して滅ぼすことを許されました。しかし、イエス・キリストが到来して、モーセの律法は廃棄され、イスラエル人を特別な民とした契約関係も終了しました。そして、イエスは、ご自分の弟子たちに剣をとって戦うことを禁じられました。(マタイ26:52)
さらに、聖書は悔い改めないで、殺人をする者は、最終的には「第二の死」を被る、すなわち復活できない永遠の死を被ると警告しています。(啓示21:8)
それで、イエス・キリストは、クリスチャンに殺人を認めない立場を回復されましたが、イスラム教の教えは、殺人を絶対に非とした聖書の教えとは厳密に言うと異なっています。それでイスラム教の教えは、殺人を禁ずる聖書の義にかなった教えを投げ捨てる、つまり、苦よもぎのように苦い教えに戻ってしまったことを意味しています。
(5)イスラム教と戦うキリスト教も聖書から背教しているので倒壊を経験することが予告されている
将来、イスラム教の星が致命的に見える倒壊を被ることになります。啓示8章10節で予告されている通り、イスラム教というともしびのように燃える大きな星は天から地に落ちてしまいます。すなわち、ダニエルの預言によると、南に対する北の攻撃で、北の軍勢は大敗を喫してしまいます。(ダニエル11:30)その時、イスラム教の多くの人々は、自らの宗教を吟味せざるを得なくなるでしょう。
ところが、聖書は、ローマカトリック教会やギリシャ正教会に率いられたキリスト教徒の軍隊がイスラム教徒と戦うことを預言しています。その時、ローマカトリック教会とギリシャ正教会ははっきり聖書から「違反」しています。(ダニエル8:12)
その時、ローマカトリック教会もギリシャ正教会の教えもイエス・キリストが回復された聖書の教え、クリスチャンに完全に殺人を禁ずる教えから背教することになっています。そのため、ダニエルの預言によると、世界的に背教したキリスト教も覆されることになっています。北の王は自らの敗北の復しゅうのためにキリスト教の本拠地を、軍事攻撃し、荒廃させることになることが預言されています。(ダニエル11:31)
聖書はキリスト教の本拠地が軍事攻撃を受け荒廃することを預言している
ですから、聖書の預言では、イスラム教もキリスト教も殺人を禁ずる教えから背教するグループは倒壊を経験することが予告されています。
(6)霊感の表現がまことの神から出ているかどうかを見極める必要がある
聖書は、まことの神の霊感を受けた音信と、悪霊の霊感を受けた音信のふたつがあることを述べて、わたしたちが聖典、あるいは特定のメッセージがどちらであるか吟味するようにと勧めています。使徒のひとりはこのように勧めました。「霊感の表現すべてを信じてはなりません。むしろ,その霊感の表現を試して,それが神から出ているかどうかを見きわめなさい。多くの偽預言者が世に出たからです。」(ヨハネ第一4:1)
多くのイスラム教徒は、クルアーンが万物の創造者であるまことの神から来ていると信じています。しかし、新約聖書は、西暦98年に完成し、クルアーンは西暦650年頃完成したとされています。わたしたちはクルアーンより、ずっと前から存在していた聖典である聖書に照らして、果たしてクルアーンがまことの神から来ている霊感の表現であるかどうかを吟味する必要があります。
なぜなら、クルアーンには、殺人や姦淫に関する立場で聖書と異なる教えが含まれています。イエス・キリストは神の子として、姦淫や殺人に関して、絶対に認めない立場を回復されました。そして、その立場は、神の崇拝者が聖なる神に受け入れられるために必要な条件です。(ヨハネ14:6)
また、聖書は、悪魔サタンが「人の住む全地」を「惑わしている」と述べています。(啓示12:9)ですから、わたしたちはまことの神に受け入れられていると考えていても、悪魔サタンに惑わされ、間違った道を選択しているということがありえるのです。
もし、クルアーンがまことの神の霊感を受けた書物でなければ、悪霊の霊感を受けた書物なのかもしれないのです。(啓示16:14)そうすると、クルアーンには実際は、まことの神である創造者から人々を引き離すために悪霊が考え出した偽りが含まれているかもしれません。
クルアーンには聖書と調和した教えがたくさん含まれています。とりわけクルアーンが神について述べることはほぼ聖書と調和しています。また、クルアーンには聖書中に登場する人命が多数登場しています。そのために、イスラム教の人々がクルアーンを真の神からの啓示だと信じ込んだとしても、よく理解できることです。
しかし、わたしたちは「霊感の表現」とされる聖典、聖書やクルアーンをよく調べて、どれが正しくまことの神からの啓示なのかを見極める必要があります。
イスラム教もひとつの大きな星と表現されていることは、イエス・キリストが全世界のキリスト教とイスラム教を含めて諸宗教の状況を、全世界的な視野で見ておられることを示しています。それで、私たちは、キリスト教、イスラム教を問わず自分たちの信じていることが聖書と調和しているかを吟味することが必要です。
なぜなら、まことの神の律法に違反して、大々的に殺人をする者たちが、キリスト教徒であれ、イスラム教徒であれ倒壊と敗北を被ることを聖書は予告しているからです。そのような倒壊を被る前に、わたしたちはどの教えが、唯一のまことの神の霊感を受けているのかを吟味して調べる必要があります。そうすれば、わたしたちは悪魔サタンに誤導され、みずからがたどってきた道を後悔したり、失望したりせずにすみます。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
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