母の日、母の人生

ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を
514日は母の日でした。この日の礼拝は日本から工藤弘雄先生ご夫妻をお迎えして、工藤先生に聖書のメッセージを執り継いでいただきました。聖書箇所はマタイの福音書1521-28節、タイトルは「母の切願に動く主の御手」でした。

ご存知のようにこの箇所は、悪霊に取り付かれた娘のために、カナン人の母がイエス様に助けを切願する場面です。

イエス様は、イスラエルの家の失われた羊のところに使わされている、というご自分の使命がありました。しかしカナンの女性は、娘を癒すことができる方はイエス様しかいないと信じ、強い信念を持ってご自身の信仰を貫かれ、ついに、「あなたの信仰は立派です。その願いどおりになるように。」と、イエス様に言わしめたのです。

カナンの女性の揺るぎない信仰が、イエス様の御手を動かしたのでした。

母の日にふさわしい内容の、心に迫るメッセージを感謝して受け取りました。

礼拝後には、教会に来ていた女性全員に、子供たちからバラの花が手渡されました。

家に帰り花瓶にいけると、今日は母の日なんだなーと、しみじみ日本にいる母のことを考えました。

私の母は93歳です。90歳近くまで自転車で買い物に行っていた母ですが、今はあっちこっち調子が悪いと、家に閉じこもりがちなようです。

母の人生は幸せだったのかなー、と思いました。戦争経験者の母、長男の家に嫁いだので、舅・姑・夫に仕えた母、4人の子供を出産した母、家族全員の世話を一人でしていた母、そんな母を小さいころの私は、「お母さんは働き者」というイメージで思っていました。

家族は、いつも母の作る食事を食べ、母が掃除した家に住み、母が洗濯した服を着て、母が薪でお風呂を沸かしてくれて家族みんなが入りました。

私たち娘はそんな母の仕事を手伝いながら、母と一緒の幸せな時間を楽しんでいました。

あるとき私は、母が泣いているのを見たことがありました。初めてのその姿に、とてもショックを受けました。10歳ぐらいの時だったと思います。

どうしたの?と聞くと、「大丈夫よ、ちょっとお腹が痛くて」と答えたのですが、子供でもウソだと直ぐにわかりました。ですが、本当の理由は尋ねませんでした。

私は母がかわいそうだと思って、ずっとそばにいました。そして学んだことがあります。それは、母も泣くんだ、私と同じ人間なんだ、という当たりまえのことでした。でも、後になって思えばそれは逆で、私が母と同じ人間だと分かった時でした。そして、母を泣かせるようなことを私は絶対しない、と思ったのでした。

私は毎年1度、母の誕生日のころ日本に帰国します。母が元気なうちに母を救わなければ、という一心で日本へ行くのですが、母に福音を伝えるのはそう簡単ではありませんでした。年々高齢になる母を前に、だんだん焦りが出てきて、福音を話そうとすると、「またその話?」と、いつも遮られて、もどかしい年月が過ぎていきました。

しかし約2年半前、カナン人の女性のような私の必死の祈りが主に聞かれたのでしょうか、御霊に導かれるまま、母に、このように切り出しました。

「お母さん、私は今からお母さんに、私の人生で得た一番大切なことを話そうと思ってるの。聞いてくれる? お母さんは、キリスト教の話はもうたくさん!っていつも言うけど、今日は最後まで話したいの。最後まで聞いてから、お母さんはYESNO を言えるから、心配しないでね。

話す前にお願いがあるんだけど、私はわかりやすく話すから、お母さんもまじめに理解しようという気持ちで聞いてね。じゃないと、お母さんの時間が無駄になるから。」

そう言うと、母は、いつもと違う私を前に、神妙な顔になって、「わかった。いいよ、聞くよ。話して!」と言いました。

私が話したことは、イエス・キリストを信じたきっかけ、理由、人間の罪、人が死ぬ理由、神様は人の心を見られる方、三位一体の神、神の子イエスが人となってこの世に来られたこと、十字架に掛けられ死んだ理由、よみがえられた理由、この世を去った後の世界、大体このようなことを話しました。

母は確認するように、たまに短い質問をしながら、本当にまじめに聞いていました。

私は母に、「お母さん、今の話、わかった?」と聞くと、母は「わかった。イエス・キリストって、そういう人だったんだね。初めて知ったよ。」と言いました。

「お母さんは、そういうイエス様を救い主だって信じる?」と聞くと、「信じるよ。」と、軽く言ったのでした。私は、ちょっと面食らって、「えっ?何で信じるの?」と、とっさに出てしまった言葉に、母は、「だって、イエス・キリストは神様だから、人間の罪を一人で背負って、代わりに死んだんでしょ?そして、人間を生きさせてくれたんでしょ?」と言いました。

「そうよ。お母さん、さすが、頭いい!理解したんだね!」と言うと、「何言ってんの!今あんたが言ったばっかりじゃない。」と言うのです。口の達者な母でしたが、「じゃ、お母さんのために祈るよ」と言って、母が受け入れた祈りと、感謝の祈りを主に捧げました。

母の日に、この忘れがたい日のことを、昨日のことのように思い出しました。

「母に慰められる者のように、わたしはあなたがたを慰め、エルサレムであなたがたは慰められる。」イザヤ66:13

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