啓示15・16章-七人のみ使いが七つの災厄を注ぎ出す(3)大患難の前に神の宣言を発表する

正しいか間違っているかは別として、私は最善を尽くしましたが、これらは私の意見を表明しているだけです。

啓示15・16章-七人のみ使いが七つの災厄を注ぎ出す(3)大患難の前に神の宣言を発表する

 

 啓示15・16章には、七人のみ使いたちが七つの災厄を注ぎ出すことが預言されています。彼らは、この業をいつ行うのでしょうか。 

(1)七人のみ使いは神の怒りを注ぎ出す業をいつ行うのか 

  この七人のみ使いが神の怒りの災厄を注ぎ出すと言う預言はいつ成就するのでしょうか。第七のみ使いが鉢の中から神の怒りを地に注ぎ出すと、「大いなるバビロンは神のみ前で思い出され」、「神の憤りの怒りのぶどう酒の杯を彼女に与える」ことになります。(啓示18:6)ですから、この業が行われている時に、まだ大いなるバビロンが存在しています。 

 北の王は南の王を三回総攻撃をし、三度目の総攻撃の後、大いなるバビロンは滅ぼされてしまいます。ですから、この業が行われるのは、三度目の総攻撃の前です。大患難の前に、忠実な祭司級が中心となって、神の怒りが人間社会のどの部分に向けられているかを宣言する業が行われることになるのでしょう。そして、エホバ神が大いなるバビロンのどんな点を非としておられるかが説明されることになるのでしょう。 

(2)ハルマゲドンで戦われる全能者なる神の大いなる日の戦争とは何を指すか 

 神の怒りが注ぎ出されている間に、龍と野獣と偽預言者の口から、「悪霊の霊感による表現」が出て来て、「人の住む全地の王たち」のもとに出て行き、「全能者なる神の大いなる日の戦争」に彼らを集めることになります。その戦争は「ハルマゲドン」と呼ばれる場所で戦われます。(啓示16:13,14,16)このハルマゲドンで行われる戦争は何を指すのでしょうか。 

   この「全能者なる神の大いなる日の戦争」とは、エホバの証人は、この事物の体制の終わり、神の王国が人間の政府を終わらせる戦争だと考えています。エホバの証人は、この聖句と、ダニエル書の神の国を表わす山から切り出された石が人間の政府を表わす像を打ち砕く預言が同じことを意味していると考えてそのように解釈しています。しかし、わたしは証人たちが考えているように、ハルマゲドンとは、神の王国が人間の政府を滅ぼす時ではないと思います。 

ハルマゲドンが神が人間の政府を滅ぼす超自然的な終わりでないのはなぜか 

 わたしが、エホバの証人の解釈は間違っているのではないかと思う理由は次の通りです。啓示16章でまず注目されているのは、大いなるバビロンに対する神の司法上の決定です。(啓示16:6,7)次に、ハルマゲドンについての言及があり、再び、大いなるバビロンに対する裁きに注意が向けられています。(啓示16:16,19) 

啓示16,17,18章でも大いなるバビロンの滅びについて注目されている 

  また、啓示17章によると、七人のみ使いの一人がバビロンにいるおそらく捕らわれの状態にあるヨハネ級のクリスチャンたちに、大いなるバビロンについて状況説明をしています。そして、大いなるバビロンの災厄が近いことを告げ、そこから出るように促すことが行われます。(啓示17:1;18:4)ですから、啓示17章でも啓示18章でも、注目されているのは、この事物の体制全体に対する神の非難ではなく、大いなるバビロンに対する裁きです。(啓示17:1) 

大いなるバビロンの滅びに注目しているのにこの事物の体制の超自然的な終わりに突然注目するのは不自然  

ハルマゲドンとは人間の諸政府同士の戦争を意味していると解釈するのが自然 

 ですから、啓示16章6節で、突然、唐突にこの事物の体制を終わらせる神の戦争に注目したと考えるのは、不自然です。その聖句でやはり大いなるバビロンに対する裁きに注意を向けていると考えるのが自然です。ですから、啓示16章の「全能者なる神の大いなる日の戦争」とは、北と南の三度目の抗争を意味していると考えるのが妥当です。(啓示16:14) 

(3)大患難とは国際紛争を意味すると言える理由 

 マタイ24章の「大患難」も、北の王の南の王に対する三度目の総攻撃である国際紛争を意味するのではないかと思います。(マタイ24:21) 

 エホバの証人は、この大患難をこの事物の体制の終わりと解釈しています。しかし、そのように解釈すると、つじつまが合わないことが発生します。なぜなら、イエスは、大患難の前に、「山に逃げなさい」(マタイ24:16)、あるいはその時が、「冬期にならないように祈っていなさい」(マタイ24:20)と言われました。 

この世の終わりの時に山に逃げなければならない理由はないこの世の終わりが冬なら不利になる理由はない 

 エホバ神がもたらすこの事物の体制の超自然的な終わりの時には、滅びははっきりと選択的にもたらされるはずです。イエスは滅ぼす人と救われる人を間違うようなことはありません。ですから、どこにいようと、冬期だろうと、山にいようと、神から非とされた人は滅ぼされるはずです。この事物の体制の終わりは、逃れようとしても、逃れることはできないはずです。あるいはどこにいようとも救われる人は救われると考えられます。  この事物の体制の終わりが冬に生じたら、神の民の誰かにとって不利になるというのは、おかしいです。 

 大患難が、普通戦闘が行われる平地を避けて山にいたら救われる可能性が高いということや、その時期が冬でない方がいいというのは、大患難が避ける努力を払ったら、逃れられる可能性が高くなる人間が引き起こす国際紛争であることを示していると思います。 

戦闘が行われる平地を避けた方がいいので大患難は諸政府同士の戦争と判断するのが妥当 以上のことを考慮するなら、七人のみ使いたちは、大いなるバビロンの滅びの前、つまり北の王が南の王に三度目の総攻撃をする前に、神の宣言を発表すると解釈するのが妥当です。

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